朝日新聞 08/12/20-25
・料理を使い回すな、韓国で国民運動始まる (08/12/20 国際)
ー テレビ局が無作為に20の飲食店を調べた。16店で食べ残し料理が再利用されていた。政府がこの習慣を根絶する国民運動を開始。法改正して罰則を科す。内部告発を報奨金で奨励。中国その他アジアでも同様かもっとひどいのではないか。多数の皿で大量の料理を供するのがご馳走という習慣は使い回しで支えられているのだったか。日本でのアジア系料理店ではどうか。
・ノーベル賞、二つの疑惑、中国政府、選考委員を招待、大手製薬会社が圧力 (08/12/20 社会)
ー スウェーデンで捜査当局が汚職の可能性があると調査開始。(1)中国政府が今年初め、ノーベル賞の選考委員を丸抱えで招待した疑惑。(2)本年の医学生理学賞の受賞に関し、ノーベル財団の関連会社に出資している製薬会社と受賞者との間に特許料の授受があることが明るみに。ノーベル賞をめぐっては、裏でさまざまな働きかけがあるのは学界では常識。ノーベル賞は与えられるものではなく、「獲るもの」といわれる。中国もアジアの大国にふさわしく、受賞者を出したいところだろう。
・若沖 晩年の大屏風、象と鯨 北陸の旧家から (08/12/21 社会)
ー 若沖の愛好家は多い。06年夏、東京国立博物館に勢揃いした作品の中でひときわ目を引いた「鳥獣花木図屏風」にも巨大な象が描かれていた。ただしこれは若沖の眞作かまだ確定されていない。今回のそれぞれ象と鯨を描いた大屏風は若沖の作に間違いないという。実物を見たいものだ。公開を待ちたい。
・東京大「襖クラブ」苦学生の技、半世紀伝承 (08/12/22 教育)
ー 思い出した。学生時代に学費稼ぎのアルバイトとして評判だった。ふすまの枠を外し刷毛で糊を塗り、張る。ビシッと張るのが難しいのは、自宅でやってみたことがあるので分かっている。今やバイトというより、サークル活動として伝承されているらしい。一人前になるのは、入部後練習に励んで一年後だとか。業者の料金の半額でやるので、年間100件の注文があるという。
・田母神論文「国を常に支持」が愛国か (08/12/22 声・主張)
ー 日本近代史の専門家、ジョン・ダワーMIT教授(『敗北を抱きしめて』著者)が、田母神論文が論拠とする太平洋戦争の開戦にいたる「ルーズベルトの罠」説は、多くの関係文書を参照した綿密な学問的研究からいまや事実としても論理からも支えられていないと指摘。また当時のアジア情勢を広い文脈で見る必要があるとし、田母神論文は、日本だけの観点、それも軍部主導だった経緯を是とする観点だけから、単純な論理で組み立てられているとする。航空幕僚長によるこの論文は「戦後、日本が世界で獲得してきた尊敬と信頼を恐ろしく傷つける」行為だと憂いている。「国を愛するということが、人々の犠牲に思いをいたすのでなく、なぜ、いつでも国家の行為を支持する側につくことを求められるのか」と結んでいる。
・兵馬俑 定説巡り論争、「始皇帝と無関係」研究者提起、出土武器「時代遅れ」(08/12/23 文化)
ー 兵馬俑を研究してきた研究者が、始皇帝の副葬だとすると稜から遠すぎる、武器、馬車の規格、彩色など始皇帝時代のものとは考えにくいなどから、秦ではなく、楚の時代のものではないかと。一方こんな大規模な副葬は始皇帝以外に造れないとの反論も。
・今朝、読売新聞に出ていた広告です。意外と大きなニュースなので、朝日新聞でも広告しています。(08/12/22 全面広告)
ー この全面広告の奇抜なツリには驚いた。08/12/01の法律改正で非営利の団体の法人化が簡単になったと。HPのドメイン名登録業者の広告らしい。読売にはどんな広告を出したのだろう。08/12/25 に再び全面広告。「今朝、ついに毎日新聞にも出た広告です。覚えてほしいニュースなので、朝日新聞では再掲載しています。」とある。ドメイン名登録ってよほど儲かるらしい。
・日本の暮らし、この快適さがたまらない (08/12/23 声・主張)
ー ニュージーランドから朝日新聞との交換記者としてきている「ドミニオン・ポスト」紙の記者、レベッカ・パーマーさん。日本に来た当初は、電車に駆け込む日本人を見てどうしてこんなにせっかちなんだろうと驚いた。3ヶ月もすると、数分後に来る電車が待てなくなっている自分に気づく。東京はなにごとも便利、快適、美味しい、多様。すっかり気に入った。しかしゴミ、無駄使い、環境負荷などの点でニュージーランドと比べてしまうと。
2008年12月27日土曜日
2008年12月20日土曜日
バス通勤、年収960万円のJAL社長、新聞スクラップ(6)
朝日新聞08/12/16-19
・倹約JAL社長、評判。バス通勤、社員食堂で行列、年収960万円 (08/12/16 社会)
ー 米国でビッグ3首脳の高待遇が問題になっているなか、世界有数の航空会社JALの社長が、タイトルのような待遇を自ら決めて実行していることをCNNテレビが報じ、アメリカだけでなく世界中から大きな反響が寄せられていると。経営再建に取り組む中で,同年代の人に早期退職をお願いした代償にということらしい。社長がこうでは、それ以下の幹部社員たちも低い待遇に甘んじているのだろうかと勘ぐりたくなる。たぶん社長だけのことなのだろう。でも社員たちは心苦しいだろうな。ちょっと心配。
・百貨店モデルは破綻 (08/12/16 経済)
ー 大丸と松坂屋を傘下に持つJフロントリテイリングの社長の弁。「百貨店モデルは破綻している。自民党と一緒」と。「経営革新を伴わない統合は意味がない」とも。
・天声新語(テーマ「景気」最優秀作、69歳会社員)(08/12/16 Aspara)
ー 読者参加欄アスパラクラブの「天声新語」に応募し,選ばれたもの。その一節に「昔から庶民は不況を覚悟のうえ、節約と我慢の耐乏生活でしのいできた。良寛さんではないけれど『不景気の時は不景気に逢えばよく候』と腹をくくればよい。企業であれ個人であれ、不況時こそ好況時の生活習慣病となった無駄、贅沢、飽食を削ぎ落とし,清算したうえで出直しを図る好機である。庶民が耐乏生活を恐れているかぎり、国民救済に便乗した悪政の連鎖は断ち切れない」と。
・ニッポン人脈記 民の心を測る(13) 政権の命運 数字が予言 (08/12/16 夕)
ー このシリーズ最終回は、内閣終盤の支持率と退陣との関係。歴代内閣のデータがリストされている。昨日(08/12/19)の時事通信社の発表した麻生内閣支持率は、17%。これは歴代内閣終盤時の支持率と比較すると、竹下(7%)、森(9%)、岸、田中(ともに12%)についで低い(芦田(17%)と同じ)。安倍、福田より低くなった。麻生内閣も終盤のようである。
・風力発電と鳥の衝突 (「知って得!」欄 08/12/17夕)
ー 風力発電機の問題点のひとつとして鳥が衝突で犠牲になるということがある。米国での調査が行われた。鳥が人工物へ衝突して死ぬ推定数はこうである。建物の壁や窓:9億8千万〜9800万羽。送電線:1億7400万以下。車:8千万〜6千万。通信用の塔:5千万〜400万。風力発電:4万から1万。数だけからはいえないかもしれない(希少種がいるとか)が、こういうデータにもとづいて議論されることが望ましい。
・ブッシュ政権8年(下)、施策選び 策士の影 (08/12/19)
ー 3回にわたってブッシュ政権を回顧する特集記事の(下)。チェイニー副大統領の影響力が大きかったことが何度も指摘されている。アメリカン大学のサーバー教授による評では,ブッシュのリーダーシップは,広く衆知を集めてものごとを決めるというより、やや孤立気味で,自分の決定にこだわり、異議を唱える人々を嫌うというタイプ。歴代の大統領の中では,最底辺に位置づけられるのではないかと,厳しい。
・倹約JAL社長、評判。バス通勤、社員食堂で行列、年収960万円 (08/12/16 社会)
ー 米国でビッグ3首脳の高待遇が問題になっているなか、世界有数の航空会社JALの社長が、タイトルのような待遇を自ら決めて実行していることをCNNテレビが報じ、アメリカだけでなく世界中から大きな反響が寄せられていると。経営再建に取り組む中で,同年代の人に早期退職をお願いした代償にということらしい。社長がこうでは、それ以下の幹部社員たちも低い待遇に甘んじているのだろうかと勘ぐりたくなる。たぶん社長だけのことなのだろう。でも社員たちは心苦しいだろうな。ちょっと心配。
・百貨店モデルは破綻 (08/12/16 経済)
ー 大丸と松坂屋を傘下に持つJフロントリテイリングの社長の弁。「百貨店モデルは破綻している。自民党と一緒」と。「経営革新を伴わない統合は意味がない」とも。
・天声新語(テーマ「景気」最優秀作、69歳会社員)(08/12/16 Aspara)
ー 読者参加欄アスパラクラブの「天声新語」に応募し,選ばれたもの。その一節に「昔から庶民は不況を覚悟のうえ、節約と我慢の耐乏生活でしのいできた。良寛さんではないけれど『不景気の時は不景気に逢えばよく候』と腹をくくればよい。企業であれ個人であれ、不況時こそ好況時の生活習慣病となった無駄、贅沢、飽食を削ぎ落とし,清算したうえで出直しを図る好機である。庶民が耐乏生活を恐れているかぎり、国民救済に便乗した悪政の連鎖は断ち切れない」と。
・ニッポン人脈記 民の心を測る(13) 政権の命運 数字が予言 (08/12/16 夕)
ー このシリーズ最終回は、内閣終盤の支持率と退陣との関係。歴代内閣のデータがリストされている。昨日(08/12/19)の時事通信社の発表した麻生内閣支持率は、17%。これは歴代内閣終盤時の支持率と比較すると、竹下(7%)、森(9%)、岸、田中(ともに12%)についで低い(芦田(17%)と同じ)。安倍、福田より低くなった。麻生内閣も終盤のようである。
・風力発電と鳥の衝突 (「知って得!」欄 08/12/17夕)
ー 風力発電機の問題点のひとつとして鳥が衝突で犠牲になるということがある。米国での調査が行われた。鳥が人工物へ衝突して死ぬ推定数はこうである。建物の壁や窓:9億8千万〜9800万羽。送電線:1億7400万以下。車:8千万〜6千万。通信用の塔:5千万〜400万。風力発電:4万から1万。数だけからはいえないかもしれない(希少種がいるとか)が、こういうデータにもとづいて議論されることが望ましい。
・ブッシュ政権8年(下)、施策選び 策士の影 (08/12/19)
ー 3回にわたってブッシュ政権を回顧する特集記事の(下)。チェイニー副大統領の影響力が大きかったことが何度も指摘されている。アメリカン大学のサーバー教授による評では,ブッシュのリーダーシップは,広く衆知を集めてものごとを決めるというより、やや孤立気味で,自分の決定にこだわり、異議を唱える人々を嫌うというタイプ。歴代の大統領の中では,最底辺に位置づけられるのではないかと,厳しい。
2008年12月17日水曜日
生きがいが死亡率減を、新聞スクラップ(5)
朝日新聞、08/12/11-15
・男に生きがい、死亡率減、秋田で1600人調査(08/12/11夕、14面)
ー 生きがいを感じて暮らしていると、脳卒中で死亡するリスクが大幅に減るとの調査結果。88年秋田県大森町(現横手市)の40〜74歳の約1600人の健康状態を,03年まで追跡調査。同時に「生きがいをもって生活しているか」「ストレスが多いと思うか」などを質問。生きがいが「非常にある」「ある」と答えた男性と、「普通」「はっきり言えない」と答えた男性を比較すると、生きがいがある男性の死亡リスクは他の男性に比べ38%低い、脳卒中になるリスクは72%低いとの結果。心臓病やガンによる死亡では差がない。女性では差がはっきりしないとの結果。政治家とか芸術家に長寿が多いように感じていたが、「生きがい」と長寿に相関があるようだ。
・谷岡さん、日米民主党の交流どう進めますか?(08/12/11、政策)
ー 民主党は政権についた場合に備えて、米国へ幹部や議員を派遣して人脈作りをしているようだ。留学経験者が用いられているらしい。谷岡さんは、民主党参院議員で中京女子大学長、オバマの予備選から本選にかけてあちこちに飛んで見聞を深めてきたようだ。小沢党首への訪米報告で「オバマの選挙はすこぶるどぶ板だった」に対し、「やっぱりなー」といわれたと。
・森林再生、日英の「緑の交流」深めよ。C.W.ニコル(08/12/11、オピニオン)
ー ニコルは日本に住みつき日本人となった英国人(正確にはウェールズ人というべきか)の作家。黒姫の里山に住み、森林再生に努めている。10月にチャールズ皇太子が訪日した際、環境保護や環境教育に熱心な皇太子は、わざわざ黒姫を訪ねニコルと会った。「とても感銘を受けた」との言葉を残し、日英で森林再生の事業の交流をしようと約束したという。もともとの日本人が忘れていることを、英国皇太子と元英国人が指摘している。妙なことだ。
・「補給支援法が成立」(08/12/13、政治)
・給油活動、テロ・海賊を抑止、岡本行夫・元首相補佐官に聞く(同上)
・「給油よりインフラ」補給延長、アフガン支援の市民(08/12/13、社会)
ー アフガニスタン沖の給油活動を延長する法案が成立した。何のため給油をつづけるのか疑問だが、これについて、「たいへん実体的な意味を持っている」と岡本は強調する。湾岸戦争時に大金を出しながら評価されなかったトラウマを下敷きにしたよくある意見だ。無料のガソリンスタンドを続けるほかに,アフガニスタンに平和をもたらすための支援方法はないのだろうか。同じ紙面でも、NPOや市民団体は「派遣よりインフラ整備や和平仲介を」といっている。たぶん次の延長はないだろう。日本の国際貢献は,アメリカから叱られる(岡本)までもなく、必要だ。何をするか。野党側が提案すべきだろう。
・古書街から本を連れ帰る先(「仕事中お邪魔します」シリーズ、鹿島茂さん)
ー 鹿島は神田に仕事場を持ち、近くに住処を持つ。神田古書街にはたえず出没する。そのたびに安売りされている「恵まれない境遇の本たち」をせっせと連れ帰る。月に100冊ずつ本が増えるという。20坪の書斎、60の本棚に2万冊を超える蔵書があるという。二つの仮説(というより予言)を書いている。1.本に価値が出てくる時代が訪れる。2.次世代では、本を積極的に読む一部知識層が、本を読まない多数のネット層を支配する。
・池上彰の新聞ななめ読み、容疑者の親、カメラを向ける必要性とは(08/12/15夕)
ー 池上も,私がスクラップした08/12/03の「声」欄、「容疑者の父親、必要な映像か」に注目している。元厚生事務次官襲撃事件で、成人の容疑者について、親の自宅に報道陣が押しかけ、カメラ報道までしたのはどうか,との声に池上も同意見としている。しかし、今回の場合、犬の処分が問題とされたので,それを確かめるためには親の取材が必要だったと,報道の対応を擁護しているようだ。私の記憶では,親の映像がテレビで流されたのは、犬の処分の問題が詳細に報される前だったように思う。そんな問題のあるなしにかかわらず、親はテレビの前に引っぱり出されるのが通例だ。池上は、せいぜいカメラは避けて話だけを報道すればよいとしている。とにかく映像を撮ってこいと、デスクはカメラに要求するのではないか,と私は思う。
・男に生きがい、死亡率減、秋田で1600人調査(08/12/11夕、14面)
ー 生きがいを感じて暮らしていると、脳卒中で死亡するリスクが大幅に減るとの調査結果。88年秋田県大森町(現横手市)の40〜74歳の約1600人の健康状態を,03年まで追跡調査。同時に「生きがいをもって生活しているか」「ストレスが多いと思うか」などを質問。生きがいが「非常にある」「ある」と答えた男性と、「普通」「はっきり言えない」と答えた男性を比較すると、生きがいがある男性の死亡リスクは他の男性に比べ38%低い、脳卒中になるリスクは72%低いとの結果。心臓病やガンによる死亡では差がない。女性では差がはっきりしないとの結果。政治家とか芸術家に長寿が多いように感じていたが、「生きがい」と長寿に相関があるようだ。
・谷岡さん、日米民主党の交流どう進めますか?(08/12/11、政策)
ー 民主党は政権についた場合に備えて、米国へ幹部や議員を派遣して人脈作りをしているようだ。留学経験者が用いられているらしい。谷岡さんは、民主党参院議員で中京女子大学長、オバマの予備選から本選にかけてあちこちに飛んで見聞を深めてきたようだ。小沢党首への訪米報告で「オバマの選挙はすこぶるどぶ板だった」に対し、「やっぱりなー」といわれたと。
・森林再生、日英の「緑の交流」深めよ。C.W.ニコル(08/12/11、オピニオン)
ー ニコルは日本に住みつき日本人となった英国人(正確にはウェールズ人というべきか)の作家。黒姫の里山に住み、森林再生に努めている。10月にチャールズ皇太子が訪日した際、環境保護や環境教育に熱心な皇太子は、わざわざ黒姫を訪ねニコルと会った。「とても感銘を受けた」との言葉を残し、日英で森林再生の事業の交流をしようと約束したという。もともとの日本人が忘れていることを、英国皇太子と元英国人が指摘している。妙なことだ。
・「補給支援法が成立」(08/12/13、政治)
・給油活動、テロ・海賊を抑止、岡本行夫・元首相補佐官に聞く(同上)
・「給油よりインフラ」補給延長、アフガン支援の市民(08/12/13、社会)
ー アフガニスタン沖の給油活動を延長する法案が成立した。何のため給油をつづけるのか疑問だが、これについて、「たいへん実体的な意味を持っている」と岡本は強調する。湾岸戦争時に大金を出しながら評価されなかったトラウマを下敷きにしたよくある意見だ。無料のガソリンスタンドを続けるほかに,アフガニスタンに平和をもたらすための支援方法はないのだろうか。同じ紙面でも、NPOや市民団体は「派遣よりインフラ整備や和平仲介を」といっている。たぶん次の延長はないだろう。日本の国際貢献は,アメリカから叱られる(岡本)までもなく、必要だ。何をするか。野党側が提案すべきだろう。
・古書街から本を連れ帰る先(「仕事中お邪魔します」シリーズ、鹿島茂さん)
ー 鹿島は神田に仕事場を持ち、近くに住処を持つ。神田古書街にはたえず出没する。そのたびに安売りされている「恵まれない境遇の本たち」をせっせと連れ帰る。月に100冊ずつ本が増えるという。20坪の書斎、60の本棚に2万冊を超える蔵書があるという。二つの仮説(というより予言)を書いている。1.本に価値が出てくる時代が訪れる。2.次世代では、本を積極的に読む一部知識層が、本を読まない多数のネット層を支配する。
・池上彰の新聞ななめ読み、容疑者の親、カメラを向ける必要性とは(08/12/15夕)
ー 池上も,私がスクラップした08/12/03の「声」欄、「容疑者の父親、必要な映像か」に注目している。元厚生事務次官襲撃事件で、成人の容疑者について、親の自宅に報道陣が押しかけ、カメラ報道までしたのはどうか,との声に池上も同意見としている。しかし、今回の場合、犬の処分が問題とされたので,それを確かめるためには親の取材が必要だったと,報道の対応を擁護しているようだ。私の記憶では,親の映像がテレビで流されたのは、犬の処分の問題が詳細に報される前だったように思う。そんな問題のあるなしにかかわらず、親はテレビの前に引っぱり出されるのが通例だ。池上は、せいぜいカメラは避けて話だけを報道すればよいとしている。とにかく映像を撮ってこいと、デスクはカメラに要求するのではないか,と私は思う。
2008年12月12日金曜日
iPhoneで産経新聞全紙面が読める
iPhoneには次々に「アプリ」と称する追加機能を取り込める。すでに1万とかの数あるそうだ。私もいくつかダウンロードして,iPhoneを使いでのある機器に成長させている。ToDoの管理、カレンダー管理(いずれもパソコンと同期機能つき)、テキストエディター(送信機能つき)、iPhoneで撮った写真の処理や送信など、いずれも便利に使っている。「オカリナ」と称する、iPhoneを吹いて鳴らす楽器として演奏できるアプリも楽しい。新聞はNYタイムズと,朝日ニュースを読んでいるが、今日から使えるようになった産経新聞の購読アプリは画期的だ。全紙面を紙面のまま読めるのである(「産経新聞、全紙面を無料で閲読できるiPhone/iPod touch アプリ」)。iPhoneの小さな画面でありながら,好きなように拡大縮小し、読む場所を動かし、頁をめくりなどして読める。無線LANでダウンロードするのに,2,3分を要するが、そのあとはオフラインで読めるところがいい。朝取り込み、出先で読むことができるわけだ。このようなサービスはまだ他社は行っていないのではないか。
産経新聞は,すでにインターネット上で紙面を読む『産経NetView』というサービスを行っている(有料)。そのiPhone版であるが、携帯機器に配信し、携帯機器の機能を最大限使って利用できるようにしたところがすごい。しかも無料だ。
上に掲載した画面は、新聞の第1面全面を出したところだが、これを拡大して読んだり、頁をめくったり、全ページのサムネールを出し、好きなページに飛んだりできる。この画面はスクリーンショット機能で,自分のiPhone画面を保存したものである。
2008年12月11日木曜日
蝶の長旅、新聞スクラップ(4)
朝日新聞、08/12/08-10
●岐阜から奄美へ、傷だらけ1110キロ(08/12/10夕 1面、写真付き)
ー「アサギマダラ」という蝶は春には北へ、秋には南下する渡りの蝶である。どこまで渡るか、試しに岐阜県下呂市観音峠でつかまえた蝶の羽根に日付と連絡先を書き込んで放った。それが高知県で一旦捕獲され、写真を撮った後放たれ、最終的に40日後に奄美大島市名瀬で再々捕獲された。その時は羽根がぼろぼろになっていたという。
●自民、弱まる改革志向、朝日・東大調査(08/12/08、1,3面)
ーもろもろの党に属する議員にどれだけの政策のずれがあるかの調査結果。次期衆院選立候補予定者900人を対象に調査したもの。概していえば、3面の見出し通り、「防衛・財政、自・民隔たり」の傾向があるが、それより、両党内の議員ごとの意見の隔たりが大きい。意見の分布を,安保・外交についてタカからハトへの軸、改革について進めるか、現状維持かの軸を二つの軸にとって、座標で位置づけると,互いに入り乱れていることがよく分かる。中川(秀)や石原(伸)らと、鳩山(由)や菅らが意外に近い。政策だけからいえばどのあたりが結びつくといいか、再編の将来を予感させる。それにしても、自民全体としては小泉改革にすっかり後ろ向きになっている。公明はつねに座標軸の真ん中にいて、どこの党とも組めるという位置にいることも微妙。
●大臣コロコロ、官僚冷淡(08/12/08夕、トップ)
ー朝日もよくぞ、えげつない見出しを付けたものだ。それほど麻生内閣は、官僚からもマスコミからも(もちろん国民からも)見放されている。小見出しに「『もう死に体』政治と距離」ともある。コロコロというのは、この2年、各省の大臣がコロコロと替わっていること。農水と防衛は何と6人も替わっている。そうなると官僚は、どうせすぐ替わる大臣という扱いしかしない。行政の停滞ぶりはまことに嘆かわしい。
●ニッポン人脈記、民の心を測る(9)信用危うし、ウソと苦闘(08/12/10夕 1面)
ー先日来何度かスクラップで紹介しているこのシリーズは、世論調査法の確立のために尽くした人々を取り上げている。今回は調査員による世論調査の時代に、調査員が回収率を上げるためにウソの調査票をでっち上げたことがあること、それを疑い全件の追跡調査をしてその事実を明らかにした責任者の話が出ている。回収率とかそれに利益が絡むとろくなことにならない例。いまは調査に協力する気にさせる工夫した調査票による郵送法に置き換わっているという。
●雨水、ためれば資源(08/12/10 生活面)
ー雨水を下水に流れっぱなしにせずに溜めて,庭の散水、トイレや風呂、洗濯に利用すると水道代の節約だけでなく、洪水対策にもなるという実例の紹介。わが家でも裏庭には水道栓がなく,散水に苦労する。早速雨水をためる工夫をしてみようか。そういうとワイフは「やってごらん」と笑う。
●岐阜から奄美へ、傷だらけ1110キロ(08/12/10夕 1面、写真付き)
ー「アサギマダラ」という蝶は春には北へ、秋には南下する渡りの蝶である。どこまで渡るか、試しに岐阜県下呂市観音峠でつかまえた蝶の羽根に日付と連絡先を書き込んで放った。それが高知県で一旦捕獲され、写真を撮った後放たれ、最終的に40日後に奄美大島市名瀬で再々捕獲された。その時は羽根がぼろぼろになっていたという。
●自民、弱まる改革志向、朝日・東大調査(08/12/08、1,3面)
ーもろもろの党に属する議員にどれだけの政策のずれがあるかの調査結果。次期衆院選立候補予定者900人を対象に調査したもの。概していえば、3面の見出し通り、「防衛・財政、自・民隔たり」の傾向があるが、それより、両党内の議員ごとの意見の隔たりが大きい。意見の分布を,安保・外交についてタカからハトへの軸、改革について進めるか、現状維持かの軸を二つの軸にとって、座標で位置づけると,互いに入り乱れていることがよく分かる。中川(秀)や石原(伸)らと、鳩山(由)や菅らが意外に近い。政策だけからいえばどのあたりが結びつくといいか、再編の将来を予感させる。それにしても、自民全体としては小泉改革にすっかり後ろ向きになっている。公明はつねに座標軸の真ん中にいて、どこの党とも組めるという位置にいることも微妙。
●大臣コロコロ、官僚冷淡(08/12/08夕、トップ)
ー朝日もよくぞ、えげつない見出しを付けたものだ。それほど麻生内閣は、官僚からもマスコミからも(もちろん国民からも)見放されている。小見出しに「『もう死に体』政治と距離」ともある。コロコロというのは、この2年、各省の大臣がコロコロと替わっていること。農水と防衛は何と6人も替わっている。そうなると官僚は、どうせすぐ替わる大臣という扱いしかしない。行政の停滞ぶりはまことに嘆かわしい。
●ニッポン人脈記、民の心を測る(9)信用危うし、ウソと苦闘(08/12/10夕 1面)
ー先日来何度かスクラップで紹介しているこのシリーズは、世論調査法の確立のために尽くした人々を取り上げている。今回は調査員による世論調査の時代に、調査員が回収率を上げるためにウソの調査票をでっち上げたことがあること、それを疑い全件の追跡調査をしてその事実を明らかにした責任者の話が出ている。回収率とかそれに利益が絡むとろくなことにならない例。いまは調査に協力する気にさせる工夫した調査票による郵送法に置き換わっているという。
●雨水、ためれば資源(08/12/10 生活面)
ー雨水を下水に流れっぱなしにせずに溜めて,庭の散水、トイレや風呂、洗濯に利用すると水道代の節約だけでなく、洪水対策にもなるという実例の紹介。わが家でも裏庭には水道栓がなく,散水に苦労する。早速雨水をためる工夫をしてみようか。そういうとワイフは「やってごらん」と笑う。
2008年12月8日月曜日
新聞スクラップ(3)
朝日新聞08/12/04-07
●縮むニッポン、「窓」編集委員室から(08/12/04夕 1面)
ー03年に交通量のピークが来て、これからは減るばかりだそうだ(国交省の発表)。拡張には慣れているが、縮んでいく社会は未知の社会、それに慣れていくとともに、それなりの都市設計、街づくりが必要な時代となる。
●端っこ優先席、なんだか冷遇(08/12/05「声」欄投書、米大学客員教授、74歳)
ー電車の優先席は端っこ、連結部近くに設けられている。騒音が多く、揺れも大きい、「弱者を隅っこに追いやっていないか」という意見。路線バスでは,中央部に優先席があるのにと。
●予算折衝合理化を指示、麻生首相(08/12/05 政治欄)
ー予算の編成作業で、復活折衝をやめるように指示したそうだ。私も数年、この仕事に関係した時代があったが、シーリング制度が導入されて以来、復活折衝などは、「見せ場を作るため」あらかじめ仕組まれたセレモニーのようなものだった。予算の編成過程の改革がいわれているが,財務省はこの権限だけは手放さないだろうな。首相指示を受けて園田博之政調会長代理は「殴り合いでも何でもやりながら決めていくというやり方をしたい」と述べたという。何か勘違い?
●曲げぬ数字、漢字救った、ニッポン人脈記、民の心を測る(6) (08/12/05夕 1面)
ー戦後の占領期、連合軍総司令部(GHQ)は日本語表記をローマ字化しようとしたらしい。「日本人の読み書き能力調査」というのが、1948年に行われた。全国で15歳から64歳まで1万7千人がテストを受けた。結果、読み書きできない人はわずか2%とでた。調査担当者(柴田武、言語学者、「新明解国語辞典」の編者の一人)がGHQに呼ばれて、「字の読めない人が非常に多い」という結果にしてくれと圧力をかけられた。「調査結果は曲げられない」とはねつけた。そのおかげでローマ字化は取りやめられた。ランダムサンプリングが全国規模の調査ではじめて使われたのだという。サンプル選びは,前回も出た林知己夫が担当した。
●脱ぎ捨てた「怒る宿命」(08/12/07 国際欄「風」、真鍋弘樹)
ーオバマはが過去の黒人政治家と際だって異なったのは、決して怒りを表に出さなかったことだと。公民権運動につらなる政治家が,激しい怒りを顕わにしてきたのと対照的。そのオバマを黒人たちが受け入れ、白人たちも受け入れた。それがアメリカの大きな変化だろうと。オバマの勝利は,黒人を「怒り続ける宿命」から解放するきっかけになるかもしれないと。「すべてはまだ始まりに過ぎない」とも。だが、米国の歴史が,「オバマ前と,オバマ後との二つに」分けられることになるだろうと。
●加藤周一さん死去 (08/12/06 1面)
●加藤周一さん、稀有な知性、旺盛に発言、戦争への怒り原点 (08/12/6 夕)
●大知識人の微笑とまなざし、加藤周一さんのこと (08/12/7 文化欄、大江健三郎)
●「北極星」が落ちた (同上、井上ひさし)
ーこの人のすごいところは,知識と思考の多方面にわたることと、考えが、戦中から現代にいたるまで、時代とともにまったくぶれなかったこと。井上ひさしはそのことを北極星になぞらえる。周囲がどう動こうと「自分の立ち位置を変えなかった。雑種姓を尊重してあらゆることを拒まずに受け入れ、でも、自分は動かない」。彼を見て「自分がいまどこにいるか、ずれていないかを確認してきました」と。
●縮むニッポン、「窓」編集委員室から(08/12/04夕 1面)
ー03年に交通量のピークが来て、これからは減るばかりだそうだ(国交省の発表)。拡張には慣れているが、縮んでいく社会は未知の社会、それに慣れていくとともに、それなりの都市設計、街づくりが必要な時代となる。
●端っこ優先席、なんだか冷遇(08/12/05「声」欄投書、米大学客員教授、74歳)
ー電車の優先席は端っこ、連結部近くに設けられている。騒音が多く、揺れも大きい、「弱者を隅っこに追いやっていないか」という意見。路線バスでは,中央部に優先席があるのにと。
●予算折衝合理化を指示、麻生首相(08/12/05 政治欄)
ー予算の編成作業で、復活折衝をやめるように指示したそうだ。私も数年、この仕事に関係した時代があったが、シーリング制度が導入されて以来、復活折衝などは、「見せ場を作るため」あらかじめ仕組まれたセレモニーのようなものだった。予算の編成過程の改革がいわれているが,財務省はこの権限だけは手放さないだろうな。首相指示を受けて園田博之政調会長代理は「殴り合いでも何でもやりながら決めていくというやり方をしたい」と述べたという。何か勘違い?
●曲げぬ数字、漢字救った、ニッポン人脈記、民の心を測る(6) (08/12/05夕 1面)
ー戦後の占領期、連合軍総司令部(GHQ)は日本語表記をローマ字化しようとしたらしい。「日本人の読み書き能力調査」というのが、1948年に行われた。全国で15歳から64歳まで1万7千人がテストを受けた。結果、読み書きできない人はわずか2%とでた。調査担当者(柴田武、言語学者、「新明解国語辞典」の編者の一人)がGHQに呼ばれて、「字の読めない人が非常に多い」という結果にしてくれと圧力をかけられた。「調査結果は曲げられない」とはねつけた。そのおかげでローマ字化は取りやめられた。ランダムサンプリングが全国規模の調査ではじめて使われたのだという。サンプル選びは,前回も出た林知己夫が担当した。
●脱ぎ捨てた「怒る宿命」(08/12/07 国際欄「風」、真鍋弘樹)
ーオバマはが過去の黒人政治家と際だって異なったのは、決して怒りを表に出さなかったことだと。公民権運動につらなる政治家が,激しい怒りを顕わにしてきたのと対照的。そのオバマを黒人たちが受け入れ、白人たちも受け入れた。それがアメリカの大きな変化だろうと。オバマの勝利は,黒人を「怒り続ける宿命」から解放するきっかけになるかもしれないと。「すべてはまだ始まりに過ぎない」とも。だが、米国の歴史が,「オバマ前と,オバマ後との二つに」分けられることになるだろうと。
●加藤周一さん死去 (08/12/06 1面)
●加藤周一さん、稀有な知性、旺盛に発言、戦争への怒り原点 (08/12/6 夕)
●大知識人の微笑とまなざし、加藤周一さんのこと (08/12/7 文化欄、大江健三郎)
●「北極星」が落ちた (同上、井上ひさし)
ーこの人のすごいところは,知識と思考の多方面にわたることと、考えが、戦中から現代にいたるまで、時代とともにまったくぶれなかったこと。井上ひさしはそのことを北極星になぞらえる。周囲がどう動こうと「自分の立ち位置を変えなかった。雑種姓を尊重してあらゆることを拒まずに受け入れ、でも、自分は動かない」。彼を見て「自分がいまどこにいるか、ずれていないかを確認してきました」と。
2008年12月4日木曜日
新聞スクラップ(2)
朝日新聞 08/12/03-04
●どうする国の出先機関 (上)地方整備局 管轄違えばコスト大差 (08/12/03 政治欄)
●どうする国の出先機関 (下)二重行政 責任の所在あいまい (08/12/04 政治欄)
●出先庁舎の建設、分権委「凍結を」仙台は当面着工延期 (08/12/03 政治欄)
●国出先機関、地方振興局に集約、分権推進委が提言へ (08/12/04 政治欄)
ー 行政の無駄を省き、地方に権限を渡すようにしようとしている中で、最も問題視されているのが、国土交通省の地方整備局と、農林水産省の地方農政局だ。先日もテレビで取り上げていたが、たとえばひとつの川で、国が担当する区画と県が担当する区画と、格別の意味もなく混在している。おまけに予算のレベルが違うらしい。国が手厚い。こんなのは全部地方に任せていいのに、どうしてそのままなのか。私の自宅近くにも、国交省の地方事務所がある。このところ古かった庁舎を大がかりな新庁舎に建て直している。きっと道路特定財源が無駄遣いされているな、と思うのだが、仙台ではそれに「待った」をかけたらしい。全国で36カ所、総額で2049億円の新庁舎の建設が進んでいるという。仙台に限らず、すべて「待った」をかけてほしい。地方に任せることになる(そうなるのが当然だと思うが)前にと、駆け込みで無駄な支出を急いでいるようだ。国の出先機関の統廃合は、当面最も肝要なポイントだと考えるが、統廃合という言葉でごまかされてはならない。「地方振興局に集約」など、きっと官僚の考えそうな生き残り策のようだ。ズバリ「廃止」でやるべきだ。
●ニッポン人脈記 民の心を測る 4. かきまぜて味わう「巨人」(08/12/03夕 一面)
ー 学生時代に「数理統計学」を教わった林知己夫先生のことが写真とともに紹介されているのが懐かしい。正確な推計結果を得るための調査法の確立にこだわった人だった。佐渡で野ウサギが増えて困っていると聞けば、冬季雪の上のウサギの足跡を友人、知人を動員して徹底的に調べ、全体数の推計値を出した逸話などが載っている。近年の世論調査はサンプリングもいい加減、回収率も悪い。そんな中で支持率が○○.○%などという数字が新聞に出ていると、この人に教わったことからすると,それだけの数字を並べる意味があるのか(有効数字は何桁か)、おかしいな,といつも思っていた。
●容疑者の父親、必要な映像か (08/12/03 声欄)
ー 元厚生事務次官の襲撃事件について、テレビが父親にインタビューし、映像まで流していたことについての投書。未成年ならともかく、中年に達した犯人の親に責任を問うのはどうかと。日本では,何かが起きると親とか,学校の教師とかがテレビの前に引き出される。私もこれは行きすぎだと感じていた。
●ガーデニングの常識、花育ての基本詰まったパンジー (08/12/04夕)
ー プランターにパンジーを植えて半月ほどである。駐車スペースが1台分減ったので、そこをプランターで埋めようと,やったことのない園芸に手を出している。チューリップとヒヤシンスの球根を植えた。これは来春が楽しみだ。それだけではさびしい。そこでパンジーを植えたのだが,無事に冬を越せるか。ところがパンジーは寒さにあうほど根がはり春にいい花を咲かせるとの、このガーデニングの記事に気を強くした。咲いた花は早めに摘んだ方がいいようだ。
●どうする国の出先機関 (上)地方整備局 管轄違えばコスト大差 (08/12/03 政治欄)
●どうする国の出先機関 (下)二重行政 責任の所在あいまい (08/12/04 政治欄)
●出先庁舎の建設、分権委「凍結を」仙台は当面着工延期 (08/12/03 政治欄)
●国出先機関、地方振興局に集約、分権推進委が提言へ (08/12/04 政治欄)
ー 行政の無駄を省き、地方に権限を渡すようにしようとしている中で、最も問題視されているのが、国土交通省の地方整備局と、農林水産省の地方農政局だ。先日もテレビで取り上げていたが、たとえばひとつの川で、国が担当する区画と県が担当する区画と、格別の意味もなく混在している。おまけに予算のレベルが違うらしい。国が手厚い。こんなのは全部地方に任せていいのに、どうしてそのままなのか。私の自宅近くにも、国交省の地方事務所がある。このところ古かった庁舎を大がかりな新庁舎に建て直している。きっと道路特定財源が無駄遣いされているな、と思うのだが、仙台ではそれに「待った」をかけたらしい。全国で36カ所、総額で2049億円の新庁舎の建設が進んでいるという。仙台に限らず、すべて「待った」をかけてほしい。地方に任せることになる(そうなるのが当然だと思うが)前にと、駆け込みで無駄な支出を急いでいるようだ。国の出先機関の統廃合は、当面最も肝要なポイントだと考えるが、統廃合という言葉でごまかされてはならない。「地方振興局に集約」など、きっと官僚の考えそうな生き残り策のようだ。ズバリ「廃止」でやるべきだ。
●ニッポン人脈記 民の心を測る 4. かきまぜて味わう「巨人」(08/12/03夕 一面)
ー 学生時代に「数理統計学」を教わった林知己夫先生のことが写真とともに紹介されているのが懐かしい。正確な推計結果を得るための調査法の確立にこだわった人だった。佐渡で野ウサギが増えて困っていると聞けば、冬季雪の上のウサギの足跡を友人、知人を動員して徹底的に調べ、全体数の推計値を出した逸話などが載っている。近年の世論調査はサンプリングもいい加減、回収率も悪い。そんな中で支持率が○○.○%などという数字が新聞に出ていると、この人に教わったことからすると,それだけの数字を並べる意味があるのか(有効数字は何桁か)、おかしいな,といつも思っていた。
●容疑者の父親、必要な映像か (08/12/03 声欄)
ー 元厚生事務次官の襲撃事件について、テレビが父親にインタビューし、映像まで流していたことについての投書。未成年ならともかく、中年に達した犯人の親に責任を問うのはどうかと。日本では,何かが起きると親とか,学校の教師とかがテレビの前に引き出される。私もこれは行きすぎだと感じていた。
●ガーデニングの常識、花育ての基本詰まったパンジー (08/12/04夕)
ー プランターにパンジーを植えて半月ほどである。駐車スペースが1台分減ったので、そこをプランターで埋めようと,やったことのない園芸に手を出している。チューリップとヒヤシンスの球根を植えた。これは来春が楽しみだ。それだけではさびしい。そこでパンジーを植えたのだが,無事に冬を越せるか。ところがパンジーは寒さにあうほど根がはり春にいい花を咲かせるとの、このガーデニングの記事に気を強くした。咲いた花は早めに摘んだ方がいいようだ。
2008年12月2日火曜日
新聞スクラップ(1)
朝日新聞12月1、2日分
●「アパ代表のみ最高点、田母神氏論文を審査」(08/12/01朝 第1面)
●「アパ代表、「選外」公表委員に抗議、田母神氏論文『事実と違う』」(08/12/01朝 社会面)
ー朝日は執拗に内部事情を探り出そうとしている。どうやらアパ代表が事前に田母神氏を最優秀にしようと謀ったデキレースだったらしい。審査委員が内情を暴露している。
●若宮啓文(前論説主幹、コラムニスト)「守るべき『いい国』とは何か、自衛隊の君へ」(08/12/01朝 オピニオン欄)
ー「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れるか」との田母神の発言に、戦前の日本を「いい国」と考えるのはどうか。むしろ戦前の過ちを反省し、謝罪する潔い国こそ、守るに値する「いい国」ではないかと。
●観流「日本の民主主義、冷笑的態度、脱するとき」(藤生京子、08/12/02朝 文化欄)
ー記事の一部だが「アジア諸国との比較調査で、日本は国が国民の意思で運営されていると考える人の割合が韓国に次いで低い。でも韓国と違って抗議運動は起こらない」との一文が目を引いた。
●フェノロサ追想(2)「語り継がれる秘仏開扉」(08/12/02夕 2面)
ー明治初期における日本の文化の外国への紹介者フェノロサの没後100年とかで、シリーズものの特集を組んでいる。夢殿の秘仏(救世観音像)をフェノロサが長年の禁を破って開扉させたという秘話は、どうやら同行した岡倉天心によって脚色されたものらしい。それまでも何度か開扉されていたという。
上記で、−印以下は、私のコメント。
●「アパ代表のみ最高点、田母神氏論文を審査」(08/12/01朝 第1面)
●「アパ代表、「選外」公表委員に抗議、田母神氏論文『事実と違う』」(08/12/01朝 社会面)
ー朝日は執拗に内部事情を探り出そうとしている。どうやらアパ代表が事前に田母神氏を最優秀にしようと謀ったデキレースだったらしい。審査委員が内情を暴露している。
●若宮啓文(前論説主幹、コラムニスト)「守るべき『いい国』とは何か、自衛隊の君へ」(08/12/01朝 オピニオン欄)
ー「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れるか」との田母神の発言に、戦前の日本を「いい国」と考えるのはどうか。むしろ戦前の過ちを反省し、謝罪する潔い国こそ、守るに値する「いい国」ではないかと。
●観流「日本の民主主義、冷笑的態度、脱するとき」(藤生京子、08/12/02朝 文化欄)
ー記事の一部だが「アジア諸国との比較調査で、日本は国が国民の意思で運営されていると考える人の割合が韓国に次いで低い。でも韓国と違って抗議運動は起こらない」との一文が目を引いた。
●フェノロサ追想(2)「語り継がれる秘仏開扉」(08/12/02夕 2面)
ー明治初期における日本の文化の外国への紹介者フェノロサの没後100年とかで、シリーズものの特集を組んでいる。夢殿の秘仏(救世観音像)をフェノロサが長年の禁を破って開扉させたという秘話は、どうやら同行した岡倉天心によって脚色されたものらしい。それまでも何度か開扉されていたという。
上記で、−印以下は、私のコメント。
新聞記事のスクラップ
新聞記事のスクラップはいつのころからか、ずっと続けている習慣である。ネットで新聞が読める時代であるし、ネット記事を保存あるいはクリップしておけば、パソコン上にデータベースができるのは分かっているが、私は古い人間で、読むのはやはり紙媒体がいいし、記事の保存は新聞紙のスクラップがいい。私のスクラップ法はいたっていい加減である。新聞紙のこれという記事を切り取り(これには紙一枚だけ切り取るカッターを使う)、プラスティック箱に放り込むだけである。何を切り取ったかは漠然とした記憶に頼っている。後で必要になったときには、たしかあの記事を切り取ったと、日付順に積み重なった紙片の山から探し出す。でも、そんなことをするのは、百件に一つもない。大部分はスクラップのまま、ある時期を経てごみと化す。それでもスクラップをするのは、その作業の際に、新聞をもう一度まんべんなく見直して、場合によってはじっくり読むことと、スクラップしておいた紙切れを外出時に持ち歩いて読み直したりすることをメリットと感じているからである。
スクラップをデータベース化することを一時は考えたことがある。そのためのソフトをパソコン上で動かしていたこともある。しかし長続きしなかった。余分な労力がいり、そんな暇がなかった。だから紙を切り取り積んでおくのが、最上のものぐさスクラップ術であるとしてきた。そこを今回一歩進めてみることにした。この雑記帳に、何をスクラップしたかをひとこと添えて記録しておけば検索ができる。また、私のスクラップを公開すれば、少しは人さまのためになるかもしれない。そう思ってはじめることにした。
対象は主として朝日新聞である。紙媒体として長年読み慣れている。ただし、東京へ出かけている間は、毎日新聞をコンビニで買うこともある。それも混じることがあるだろう。ある程度時事問題も追うが、時間とともに過ぎゆくものは、切り取って保存しておく意義がさほどない。どちらかというと文化欄などに目が行くことが多い。社説もほとんどスクラップしない。ネット上で読めるからである。ただし、コラムニストやその他の寄稿者のまとまった論説は、けっこう切り取ることがある。
日本の新聞はいまだに、全記事のネット上での無料購読に踏み切っていない。だから、ネット上に載らないような記事をスクラップし、ここに記録しておくことは補助的な意義があるかもしれない。もし気になるスクラップがあれば、有料の記事データベースを利用するまでもなく、公共図書館へ行けば、バックナンバーを読める。私も、ゴミの山を捨てても、このブログのスクラップ記録を役立てることができる。そんな意図から、このシリーズものをはじめることにした。さて、いつまで続くことか。
スクラップをデータベース化することを一時は考えたことがある。そのためのソフトをパソコン上で動かしていたこともある。しかし長続きしなかった。余分な労力がいり、そんな暇がなかった。だから紙を切り取り積んでおくのが、最上のものぐさスクラップ術であるとしてきた。そこを今回一歩進めてみることにした。この雑記帳に、何をスクラップしたかをひとこと添えて記録しておけば検索ができる。また、私のスクラップを公開すれば、少しは人さまのためになるかもしれない。そう思ってはじめることにした。
対象は主として朝日新聞である。紙媒体として長年読み慣れている。ただし、東京へ出かけている間は、毎日新聞をコンビニで買うこともある。それも混じることがあるだろう。ある程度時事問題も追うが、時間とともに過ぎゆくものは、切り取って保存しておく意義がさほどない。どちらかというと文化欄などに目が行くことが多い。社説もほとんどスクラップしない。ネット上で読めるからである。ただし、コラムニストやその他の寄稿者のまとまった論説は、けっこう切り取ることがある。
日本の新聞はいまだに、全記事のネット上での無料購読に踏み切っていない。だから、ネット上に載らないような記事をスクラップし、ここに記録しておくことは補助的な意義があるかもしれない。もし気になるスクラップがあれば、有料の記事データベースを利用するまでもなく、公共図書館へ行けば、バックナンバーを読める。私も、ゴミの山を捨てても、このブログのスクラップ記録を役立てることができる。そんな意図から、このシリーズものをはじめることにした。さて、いつまで続くことか。
2008年11月20日木曜日
グーグル・ドキュからブログへ
グーグルは、単なる検索サービスだけでなく、いろいろな機能を供用している。今回はドキュ(Docs)と呼ばれる文書書きの機能を使って書いたものを、このブログに直接転送してみた。一つ前のエントリもこのエントリも、それで送ったものである。自分のブログを登録しておくと、書いたものをワンクリックで、ここに公開することができる。グーグルを中心に、シームレスにあれこれの用が足せる。これは便利だ。
グーグルは、iPhoneに特化したページを提供している。ふつうのパソコンとまったく同等に使える。ドキュの読み書きもできる。ということは、iPhoneで書いて、このブログへの書き込みもできる。以前"ShoZu"を使ってiPhoneからブログへの書き込みができることを書いた(『iPhoneからの書き込み成功』08/11/10)。しかし、"ShoZu"は主として iPhone で撮った画像のアップロード用のアプリである。テキストのアップロードにはドキュからの方がいいだろう。書きかけの未完成・非公開の断片を含めて、ドキュを用いて「文書庫」を作ることができ、それをどの機器からも参照できるところがありがたい。
グーグルのメイルサービス(gmail)を使っておられる方は多いことだろう。簡単に登録することができ(もちろん無料)、ウェブ上で、どのパソコンからもメールを読むことができる。ほとんど無制限といっていいスペースを供給している。しかも時期が来ると消えるということもない。私は、重要なメールはgmailに転送しておいて、どこから、どんな方法であれ、ネットに繋がれば、参照できるようにしている。登録情報(IDやパスワードなど)を通知してきたメールなどをそこに置いている。いうなれば重要メールの保管庫である。gmailのメール一覧のページには、以前ここに書いたことがあったが(『iPhoneの使いこなし』08/10/31)ToDo管理に使っているRTMというソフトで書いた「今日やるべきこと」のリストが表示され、その欄に追加したり、変更したりができる。
グーグル・カレンダーは、Macにもともと付属しているiCalより使いやすい。iPhone用のグーグルページでの表示も明快なので、こちらの方を使っている。カレンダーは、あちこちを使うと混乱する。小さな月間表示の手帳と、iPhoneでのグーグルカレンダーだけを使っている。
グーグル・リーダーは、ニュース(朝日とNYT)と、よく読みにいくブロッガーを登録してある。読みにいくと、時刻順に新しいエントリが表示されて便利だ。RSSリーダーには、読み切れないほどのブログが登録されているので、日に一度、ざっと眺める程度にしている。
グーグル・グループも少数のメンバーとのメール交換、画像交換に便利だ。これはわざわざグーグルに行かずにメールが配信されるが、大きな画像となると、グループのページに掲載した方がいい。
グーグル・ノートは、読んだウェブ・ページをクリップできると、余丁町散人さんのブログ(『Google Notebook が面白いことなど』)で読んだ。登録して使えるようにしているが、まだ使いこなしていない。読んだページで、気になった部分をコピペし、コメントを付加して、記録として残したり、それをウェブ上で公開することができるようだ(『余丁町散人の公開ノートブック』がその例)。そのうちにものにしてみたい。
こんな具合に、グーグルを中心に、シームレスに、頭脳労働を組織化できる。いつの間にかグーグルなしにはやっていけないようになっている。
以上は、すでに使いこなしている人には、何を今さらというほどのものだろう。私には、ほう、ここまでやれるかという域にようやく達したので、記録として書いてみた。
【追記】余丁町散人さんからのコメントがあり、上記の『公開ノートブック』以外に、グーグル・リーダーからクリップして、「共有」機能を使って公開しているとのこと。以下がそれです。なるほど、というものですが、すいすいと新機能を使っておられるのに感心いたします。習うより慣れろというか、模索しながら使ってみて、ものにしてしまうところがえらい!
『余丁町散人 の共有アイテム』
グーグルは、iPhoneに特化したページを提供している。ふつうのパソコンとまったく同等に使える。ドキュの読み書きもできる。ということは、iPhoneで書いて、このブログへの書き込みもできる。以前"ShoZu"を使ってiPhoneからブログへの書き込みができることを書いた(『iPhoneからの書き込み成功』08/11/10)。しかし、"ShoZu"は主として iPhone で撮った画像のアップロード用のアプリである。テキストのアップロードにはドキュからの方がいいだろう。書きかけの未完成・非公開の断片を含めて、ドキュを用いて「文書庫」を作ることができ、それをどの機器からも参照できるところがありがたい。
グーグルのメイルサービス(gmail)を使っておられる方は多いことだろう。簡単に登録することができ(もちろん無料)、ウェブ上で、どのパソコンからもメールを読むことができる。ほとんど無制限といっていいスペースを供給している。しかも時期が来ると消えるということもない。私は、重要なメールはgmailに転送しておいて、どこから、どんな方法であれ、ネットに繋がれば、参照できるようにしている。登録情報(IDやパスワードなど)を通知してきたメールなどをそこに置いている。いうなれば重要メールの保管庫である。gmailのメール一覧のページには、以前ここに書いたことがあったが(『iPhoneの使いこなし』08/10/31)ToDo管理に使っているRTMというソフトで書いた「今日やるべきこと」のリストが表示され、その欄に追加したり、変更したりができる。
グーグル・カレンダーは、Macにもともと付属しているiCalより使いやすい。iPhone用のグーグルページでの表示も明快なので、こちらの方を使っている。カレンダーは、あちこちを使うと混乱する。小さな月間表示の手帳と、iPhoneでのグーグルカレンダーだけを使っている。
グーグル・リーダーは、ニュース(朝日とNYT)と、よく読みにいくブロッガーを登録してある。読みにいくと、時刻順に新しいエントリが表示されて便利だ。RSSリーダーには、読み切れないほどのブログが登録されているので、日に一度、ざっと眺める程度にしている。
グーグル・グループも少数のメンバーとのメール交換、画像交換に便利だ。これはわざわざグーグルに行かずにメールが配信されるが、大きな画像となると、グループのページに掲載した方がいい。
グーグル・ノートは、読んだウェブ・ページをクリップできると、余丁町散人さんのブログ(『Google Notebook が面白いことなど』)で読んだ。登録して使えるようにしているが、まだ使いこなしていない。読んだページで、気になった部分をコピペし、コメントを付加して、記録として残したり、それをウェブ上で公開することができるようだ(『余丁町散人の公開ノートブック』がその例)。そのうちにものにしてみたい。
こんな具合に、グーグルを中心に、シームレスに、頭脳労働を組織化できる。いつの間にかグーグルなしにはやっていけないようになっている。
以上は、すでに使いこなしている人には、何を今さらというほどのものだろう。私には、ほう、ここまでやれるかという域にようやく達したので、記録として書いてみた。
【追記】余丁町散人さんからのコメントがあり、上記の『公開ノートブック』以外に、グーグル・リーダーからクリップして、「共有」機能を使って公開しているとのこと。以下がそれです。なるほど、というものですが、すいすいと新機能を使っておられるのに感心いたします。習うより慣れろというか、模索しながら使ってみて、ものにしてしまうところがえらい!
『余丁町散人 の共有アイテム』
FON(巨大無線LANコミュニティ)に加入した
個人用無線LANをそれぞれ共用に開放して、世界中で互いに利用し合うというコミュニティがあることを最近知った。早速専用の無線ルーターを入手し、接続・登録し、メンバーとなった。
この組織・仕組みは”FON"と呼ばれる。メンバーになると、他のメンバーが公開しているルーターを利用して、どこでも、パソコンやiPhoneなどをインターネットに繋ぐことができる。料金は要らない。専用ルーター("La Fonera"、1980円、ヨドバシカメラなどで売っている)を購入して、自分のブロードバンドに接続することで、費用負担をしていることになる。
FONは国際的な組織である。したがって、外国へ行ったときも、そこにメンバー(Foneroと呼ばれる)がいれば、自分の機器を無料でインターネットに繋ぐことができる。メンバーはどんどん増えているらしい。出先で無線LAN接続を必要とし、Feneroになっていく人がますます増れば、人の住む地表部分を覆い尽くすことができるかもしれない。けっこう高価な接続料を取っているホットスポットなどを不要とする日が来るかもしれない。
Foneroのいる地点は、FON Maps で探すことができる。iPhoneのようにGPS機能をを備えている機器だと、Mapsで、自分のいる地点付近のアクセスポイント(Feneroのいる家)を探して、WiFi接続をすることができる。
どのぐらいの範囲に電波が届くか、試みに自宅まわりをiPhoneをもって調べてみた。だいたい3軒先ぐらいまでは接続可能である。裏通りでは、自宅を望むことができる場所では接続した。私の家は鉄骨耐火造りである分だけ、多少電波が弱いかもしれない。木造住宅で2階に無線ルーターを設置すればかなりの範囲に届くのではないか。
この無線LANは、IEEE 802.11b(11Mbps / 22Mbps)と g(54Mbps)に対応している。通信速度に不満はない。iPhoneで、写真ページに接続してみても、ブロードバンド有線接続と変わらない早さで画像が出る。ソフトバンクのパケット通信よりよほど早い。できるだけFONでiPhoneを繋ぐことにしたい。
また、この無線ルーターは自分用の接続(MyPlace)と、開放している接続(FON_AP)とを完全に分けている。自分用の方はパスワード保護される。したがって開放により、こちらのパソコンにアクセスされたり、ウィルスを送り込まれたりする心配はない。
Mapsを見てみると、私の住む水戸市では、設置箇所がまだまばらにしかない。それでも歩いていける範囲に何人かのFeneroがいるようだ。私が主として接続を必要としているのは、東京自宅付近であるが、こちらはけっこう密度が濃い。ちょっと出れば屋外ではあるが、接続できるポイントはありそうだ。今度確かめてみよう。
このシステムは、2005年にスペインでヴェンチャー企業として始まり、06年に日本法人が設立され、運用が始まった。Google、Skype、Exiteなどが出資しており、livedoorのスポットと提携している。今年の5月でアクセスポイントが3万9千という。世界中では百万を超えたところらしい。通知を受けた会員番号が112万台であるのは、通し番号なのだろう。
こうして、どこでも、いつでもインターネット接続が自由にできる環境が整いつつあるのは喜ばしいことだ。
2008年11月16日日曜日
Google Scholar で自分の論文リストを調べる
Google の検索サービスとして、”Google Scholar" があることは知っていた。学術論文誌に発表された論文を著者名やキーワードで検索できる。そこで自分の論文を検索してみた。ちょっとやっかいなのは、抄録を公開する際に、論文誌によって著者名を "Masashi Iizumi" としたものと、省略して "M.Iizumi" としたものとがあることである。フルネームの "Masashi Iizumi" で引いてみると、自分の主論文などが出てこない。"M. Iizumi" では、同姓同名の人がたくさん混じり込む。あれこれやってみて、完全でないものの、ほとんどを網羅していて、かなり他を排除しているように思える検索結果が下記である。別人のものも混じっているが、内容が全く別分野のものなので、分かっていただけよう。
著者:"Masashi Iizumi" OR 著者:"M.Iizumi" - Google Scholar
こんなことをやってみたのは、かつて在米中に一緒に仕事をしたアメリカ人の研究仲間と、明日から2,3日東京で過ごすことになっていて、以前の四方山話に花が咲くことになるだろうから。彼ももう引退している。私が研究現場から引退したのは、20年も前のことである(研究所の経営・企画部門に移った)。彼と会って話しとなれば、きっと話題になりそうな仕事のことを少しは思い出しておこうと、彼と共著で書いた論文は何だったか、記憶を呼び起こすためにトライしてみたのが、このグーグル・サービスである。
はじめて使ってみたのだが、ずいぶん充実しているので、感心した。グーグルは一般の人だけでなく、専門分野にまで役立つようにとずいぶん手を広げている。検索して出てくるのは、論文の抄録だが、学会員であれば、論文全部を読める。その部分は、各学会ごとに十数年このかた電子化の仕事が進んでいて、論文をパソコン上で読めるようになっている。
私が現役研究者時代にやっていたことを、多少なりと読者に知ってもらう役に立つかと、ここに検索リストを記しておくことにした。なお上記リストには、日本語で書いた論文は収録されていない。それはそれでできるのだろうが、今回はやってみなかった。私は論文数は多い方ではない。研究分野を途中で変えたため空白期間があったのと、早めに研究現場から退いたなど、いくつかの理由がある。一生通じてこつこつと研究を続けた人は、研究分野にもよるが共著論文を含めて、100は優に超えて、数百編に及ぶ人もいる。
著者:"Masashi Iizumi" OR 著者:"M.Iizumi" - Google Scholar
こんなことをやってみたのは、かつて在米中に一緒に仕事をしたアメリカ人の研究仲間と、明日から2,3日東京で過ごすことになっていて、以前の四方山話に花が咲くことになるだろうから。彼ももう引退している。私が研究現場から引退したのは、20年も前のことである(研究所の経営・企画部門に移った)。彼と会って話しとなれば、きっと話題になりそうな仕事のことを少しは思い出しておこうと、彼と共著で書いた論文は何だったか、記憶を呼び起こすためにトライしてみたのが、このグーグル・サービスである。
はじめて使ってみたのだが、ずいぶん充実しているので、感心した。グーグルは一般の人だけでなく、専門分野にまで役立つようにとずいぶん手を広げている。検索して出てくるのは、論文の抄録だが、学会員であれば、論文全部を読める。その部分は、各学会ごとに十数年このかた電子化の仕事が進んでいて、論文をパソコン上で読めるようになっている。
私が現役研究者時代にやっていたことを、多少なりと読者に知ってもらう役に立つかと、ここに検索リストを記しておくことにした。なお上記リストには、日本語で書いた論文は収録されていない。それはそれでできるのだろうが、今回はやってみなかった。私は論文数は多い方ではない。研究分野を途中で変えたため空白期間があったのと、早めに研究現場から退いたなど、いくつかの理由がある。一生通じてこつこつと研究を続けた人は、研究分野にもよるが共著論文を含めて、100は優に超えて、数百編に及ぶ人もいる。
久坂部羊『無痛』を読んで、・・・
読んでみた(「無痛」)。何か書こうと数日抱え込んで、何も書くことがないと諦めた。
5年に一度ぐらいのペースで、ミステリーを読んでみようかという気になる。最後に読んだのは、ゴダードの何だったか。よく覚えていない。
ミステリーを読むのは、暇つぶしと、ちょっとした好奇心ゆえだ。「暇つぶし」は好きでない。"To kill time" がそれに当たる英語だと習ったことがある。単なる時間つぶしのことだ。いい結果をもたらす暇つぶしもある。こちらの方には"resource"という語をあてるらしい。"Reading is a great resource" という例文が辞書に載っている。
ともかく「暇つぶし」は好きでない。だから、ミステリーも読まないし、ゴルフもやらない。囲碁もだ。でも、プラスアルファが期待できれば、たまには暇つぶしもする。先日、文字通りの時間つぶしが、思いがけず、結果として大きなプラスアルファをもたらしくれたことを、もう一つの雑記帳(”Memorandum")の方に書いた(ここ)。
この本を読んだ際の、動機としてのプラスアルファは、新聞広告にあった「哲学的な小説」との評者の惹句であった。幻冬舎が、この文庫本だけのためにひときわ大きなスペースの広告を出していた。気がついだだけで、二度も。結果としてのプラスアルファは見つけられなかった。数日かけて読んだ。600ページを超える大作である。私は遅読だし、没頭して読み続ける方でない。だからミステリー小説好きになれないのかもしれない。読み終えての達成感は少しもなかった。でも何か書こうと考えて、ここ数日を過ごしてしまった。書くということは、尾籠な話で申し訳ないが排便に似ていて、とにかく出さないと精神的な便秘症になってしまう。それが今回は出ないのだ。
この本を読む気になったのは、久坂部羊の小説だからだ。この人の医学エッセイ『日本人の死に時』を読んで、紹介したことがある(ここ)。これからの老後、それも「死に向かう老後」について、いい指針を与えられた。この人は小説も書いている。医学ミステリーも。多才な人だ。そして上記の惹句。だから読む気になったのだった。
読んでみて残ったのは、薄気味悪さだけ。だから中身には触れる気にならない。唯一、気になったのは、ある種の医者には、患者を見分ける能力が備わっているということ。見ただけで、病気の原因が何であり、治るか、治らないかが分かるのだという。治る患者は治療しなくても治る。放っておいても自然に治る。治らない患者は、どんなに医療を施しても無駄で死に至る。ほんとうだろうか。真実だとしたら、医療は何のためになるのか。医者自身が医療を否定している。それともこれは小説だけの仮想的なことなのか。
以上つまらぬことを書いたが、雑記帳ということで、お許しいただきたい。これで次のテーマに向かえる。
5年に一度ぐらいのペースで、ミステリーを読んでみようかという気になる。最後に読んだのは、ゴダードの何だったか。よく覚えていない。
ミステリーを読むのは、暇つぶしと、ちょっとした好奇心ゆえだ。「暇つぶし」は好きでない。"To kill time" がそれに当たる英語だと習ったことがある。単なる時間つぶしのことだ。いい結果をもたらす暇つぶしもある。こちらの方には"resource"という語をあてるらしい。"Reading is a great resource" という例文が辞書に載っている。
ともかく「暇つぶし」は好きでない。だから、ミステリーも読まないし、ゴルフもやらない。囲碁もだ。でも、プラスアルファが期待できれば、たまには暇つぶしもする。先日、文字通りの時間つぶしが、思いがけず、結果として大きなプラスアルファをもたらしくれたことを、もう一つの雑記帳(”Memorandum")の方に書いた(ここ)。
この本を読んだ際の、動機としてのプラスアルファは、新聞広告にあった「哲学的な小説」との評者の惹句であった。幻冬舎が、この文庫本だけのためにひときわ大きなスペースの広告を出していた。気がついだだけで、二度も。結果としてのプラスアルファは見つけられなかった。数日かけて読んだ。600ページを超える大作である。私は遅読だし、没頭して読み続ける方でない。だからミステリー小説好きになれないのかもしれない。読み終えての達成感は少しもなかった。でも何か書こうと考えて、ここ数日を過ごしてしまった。書くということは、尾籠な話で申し訳ないが排便に似ていて、とにかく出さないと精神的な便秘症になってしまう。それが今回は出ないのだ。
この本を読む気になったのは、久坂部羊の小説だからだ。この人の医学エッセイ『日本人の死に時』を読んで、紹介したことがある(ここ)。これからの老後、それも「死に向かう老後」について、いい指針を与えられた。この人は小説も書いている。医学ミステリーも。多才な人だ。そして上記の惹句。だから読む気になったのだった。
読んでみて残ったのは、薄気味悪さだけ。だから中身には触れる気にならない。唯一、気になったのは、ある種の医者には、患者を見分ける能力が備わっているということ。見ただけで、病気の原因が何であり、治るか、治らないかが分かるのだという。治る患者は治療しなくても治る。放っておいても自然に治る。治らない患者は、どんなに医療を施しても無駄で死に至る。ほんとうだろうか。真実だとしたら、医療は何のためになるのか。医者自身が医療を否定している。それともこれは小説だけの仮想的なことなのか。
以上つまらぬことを書いたが、雑記帳ということで、お許しいただきたい。これで次のテーマに向かえる。
2008年11月10日月曜日
iPhoneからの書き込み成功
iPhoneからShoZuというアプリを使って、この雑記帳に直接書き込めるか。前回ドライブ旅行をしたときなど、何度もトライしていみたが、うまくいかなかった。今日、設定を全部消去してやり直したら、なんということなく成功。これで、出先から、パソコンなし、iPhoneだけでエントリを書き込めることになった。
ソフトバンク(iPhoneの日本での携帯電話会社)が、全国各所で公衆無線LANを無料で利用可能にした、との連絡を受けている。あちこちにあるBBモバイルポイント(マクドナルドなどにあり)に行って、メールの送受だけでなく、ウェブサイトの閲覧、書き込みなどを楽にできるようになる。もともとiPhoneは、ソフトバンクの携帯電話用電波を使うことになっているが、電波では、時間によっては安定して繋がらないし、遅いし、パケット代は高い。じつをいうと、メール以外は自在に使えるという状態ではなかった。自宅では無線LANルーターで繋いでいる。
今日のテストで、これからパソコンをもたずに出歩いて、その出先からモバイルポイントさえ見つければ、この「雑記帳」に書き込みが可能となった。
iPhoneは携帯端末として日に日に進化しつつあるのがうれしい。今日はひと山こえたような気がする。
ソフトバンク(iPhoneの日本での携帯電話会社)が、全国各所で公衆無線LANを無料で利用可能にした、との連絡を受けている。あちこちにあるBBモバイルポイント(マクドナルドなどにあり)に行って、メールの送受だけでなく、ウェブサイトの閲覧、書き込みなどを楽にできるようになる。もともとiPhoneは、ソフトバンクの携帯電話用電波を使うことになっているが、電波では、時間によっては安定して繋がらないし、遅いし、パケット代は高い。じつをいうと、メール以外は自在に使えるという状態ではなかった。自宅では無線LANルーターで繋いでいる。
今日のテストで、これからパソコンをもたずに出歩いて、その出先からモバイルポイントさえ見つければ、この「雑記帳」に書き込みが可能となった。
iPhoneは携帯端末として日に日に進化しつつあるのがうれしい。今日はひと山こえたような気がする。
2008年11月9日日曜日
アフガニスタンとアフガン
政治番組などを見ていると、「アフガニスタン」と国名をいうとき、「アフガン」と平気でいう人がいる。それも著名な政治評論家(たとえば森本敏)や政治家がそうだ。たぶん「アフガニスタン」といちいち言うのが面倒くさくて、省略形として口にしているのだろうが、これはずいぶん無神経だ。「アフガン」は「アフガニスタン」の省略形ではなく、「アフガン人」あるいは形容詞としての「アフガニスタンの」を意味する。テレビに出たり、時評を書いたりする人は、言葉を正確に使うように心がけてほしい。
ちなみに、英語表記の国名/形容詞/国民名がやや特異な例をあげておくと、
Afghanistan/Afghan/Afghan(アフガニスタン)
Denmark/Danish/Dane(デンマーク)
Finland/Finish/Finn(フィンランド)
Germany/German/German(ドイツ)
Greece/Greek/Greek(ギリシャ)
Holland/Dutch/DutchmenあるいはHollander(オランダ俗称)
Iraq/Iraqi/Iraqi(イラク)
Netherlands/Netherlandish/Netherlander(オランダ通称)
Norway/Norwegian/Norwegian(ノルウェイ)
Philippines/Phillippine/Filipino(フィリッピン)
Poland/Polish/Pole(ポーランド)
Scotland/ScotchまたはScottish/Scot(スコットランド)
Spain/Spanish/Spaniard(スペイン)
Sweden/Swedish/Swede(スエーデン)
Switzerland/Swiss/Swiss(スイス)
Thailand/Thai/Thai(タイ)
Turkey/Turkish/Turk(トルコ)
こうしてみると、国名としての「アフガニスタン」を「アフガン」というのは、このリストの最後の3者に似ている。しかし日本ではすでにアフガニスタンという国名が一般に使われているのだから、「アフガン」をタイやトルコと同列に使うべきではない。
ちなみに、英語表記の国名/形容詞/国民名がやや特異な例をあげておくと、
Afghanistan/Afghan/Afghan(アフガニスタン)
Denmark/Danish/Dane(デンマーク)
Finland/Finish/Finn(フィンランド)
Germany/German/German(ドイツ)
Greece/Greek/Greek(ギリシャ)
Holland/Dutch/DutchmenあるいはHollander(オランダ俗称)
Iraq/Iraqi/Iraqi(イラク)
Netherlands/Netherlandish/Netherlander(オランダ通称)
Norway/Norwegian/Norwegian(ノルウェイ)
Philippines/Phillippine/Filipino(フィリッピン)
Poland/Polish/Pole(ポーランド)
Scotland/ScotchまたはScottish/Scot(スコットランド)
Spain/Spanish/Spaniard(スペイン)
Sweden/Swedish/Swede(スエーデン)
Switzerland/Swiss/Swiss(スイス)
Thailand/Thai/Thai(タイ)
Turkey/Turkish/Turk(トルコ)
こうしてみると、国名としての「アフガニスタン」を「アフガン」というのは、このリストの最後の3者に似ている。しかし日本ではすでにアフガニスタンという国名が一般に使われているのだから、「アフガン」をタイやトルコと同列に使うべきではない。
2008年11月5日水曜日
オバマの日
アメリカ大統領選の開票速報をテレビでずっと見ていた。午前10時頃から始まり、午後3時ごろまでずっと目を離せなかった。NHKのBS1は、時折のBSニュースによる中断があったが、アメリカのテレビ局ABCの中継とNHKの解説とをずっと放映した。一方で、パソコン画面にNYTネット版の大統領選速報画面を出して、見守った。ABCの方は、出口調査にもとづいてどしどし当確を出していく。NYTは、選管の集計を報じるため、確定数しか報じない。ただしこちらは詳細に数字を見ることができる。画面を切り替えると、郡(county)単位に赤〔共和)、青〔民主)を染め分けた図まで出る。
11時頃ABCは、ペンシルヴァニアをオバマが取ったと報じる。マケインが一つも落としてならない激戦州の一角がはやくも崩れた。そのころのNYTの集計では開票率は10%にも達していなかった。12時すぎ、昼食をとっているうちに、オハイオをオバマが取ったとの報。オハイオを落として大統領になった人はここ何回かの大統領選でないという。これでオバマの当選はほぼ決まりだった。各州ごとの集計をNYTでみているとヴァージニア、フロリダで、僅差ながら、ずっとオバマが勝っている。ABCはすでにヴァージニアはオバマとしている。他の州でもオバマの青が、共和党の赤の牙城を浸食していく。過半数270まであと僅かである。対するマケインは130を超える程度。午後1時直前、BS1はニュースに切り替わる。その直前にBSの解説者は、速報が再開されたときには、オバマの当選が決まっているでしょうと告げ、15分後にと、速報を中断する。
午後1時になったとたん、ニュースの字幕に速報でオバマ当選決定の文字が出た。カリフォルニアの開票時間を待って、開票率0%でABCはカリフォルニアでの当確を報じ、オバマが次期大統領に確定とした。歴史的瞬間だった。間もなく接戦だったフロリダもオバマの青色になった。テレビはアメリカ各地でオバマ当選を喜ぶ人々の映像を伝えてきた。NYのタイムズスクエアで、ハーレムで、シカゴの広場で、人々は抱き合って、喜んでいる。静かに涙を流す老黒人男性の表情が印象的だった。すぐにNYにいる知人にメールを送った。彼女とその友人たちが、どんなにかこの日を待ち望んでいたことか。現地時間では夜の11時を過ぎているが、きっと起きて速報を見ていることだろう。
間もなくアリゾナ州フェニックスでマケインの敗戦演説が始まった。つい今しがたオバマに電話をして「おめでとう」を言ったと切り出した。マケインの演説は潔かった。激戦を闘った後、相手を讃え、みな同じ目的、この国を変える、ために一つになろうと呼びかけた。じつに見事な演説で、この大統領選中のマケイン演説の最良のものと思えた。きっと彼は、もう何日も前に敗戦を覚悟して、この演説を準備していたのではないかと思えるほどだった。
2時前、シカゴの広場の特設会場でオバマの勝利演説が始まった。6万数千人が集まっているという。ものすごい人の数だ。オバマの演説台の両側には、防弾用の強化ガラスの壁が高く立てられている。広場を囲むビルの窓からの狙撃からオバマを守るためだという。オバマは夫人と二人の娘と4人で演台に歩み寄った。二人の娘は赤と黒のドレス、夫人は大胆に赤をあしらった黒のドレス。憎い演出だ。いよいよオバマの演説は始まるというのに、BSは定時のニュースを流しはじめる。NHK総合に切り替えると、こちらでオバマの演説を生中継しはじめている。演説は前半はマケインへの謝辞、家族と協力者への感謝など定型的だったが、後半に、南部にいる百何歳かのお婆ちゃんが、この百年間にどんな変化を眺めてきたかを顧みながら、自分が大統領になったことの歴史的意義を語り、大いに聞かせるものだった。演説後、登壇したのは大統領と副大統領バイデンの家族だけだった。半数以上がオバマ関係の黒人だ。互いに喜び合っている。印象深い演出だった。
11時頃ABCは、ペンシルヴァニアをオバマが取ったと報じる。マケインが一つも落としてならない激戦州の一角がはやくも崩れた。そのころのNYTの集計では開票率は10%にも達していなかった。12時すぎ、昼食をとっているうちに、オハイオをオバマが取ったとの報。オハイオを落として大統領になった人はここ何回かの大統領選でないという。これでオバマの当選はほぼ決まりだった。各州ごとの集計をNYTでみているとヴァージニア、フロリダで、僅差ながら、ずっとオバマが勝っている。ABCはすでにヴァージニアはオバマとしている。他の州でもオバマの青が、共和党の赤の牙城を浸食していく。過半数270まであと僅かである。対するマケインは130を超える程度。午後1時直前、BS1はニュースに切り替わる。その直前にBSの解説者は、速報が再開されたときには、オバマの当選が決まっているでしょうと告げ、15分後にと、速報を中断する。
午後1時になったとたん、ニュースの字幕に速報でオバマ当選決定の文字が出た。カリフォルニアの開票時間を待って、開票率0%でABCはカリフォルニアでの当確を報じ、オバマが次期大統領に確定とした。歴史的瞬間だった。間もなく接戦だったフロリダもオバマの青色になった。テレビはアメリカ各地でオバマ当選を喜ぶ人々の映像を伝えてきた。NYのタイムズスクエアで、ハーレムで、シカゴの広場で、人々は抱き合って、喜んでいる。静かに涙を流す老黒人男性の表情が印象的だった。すぐにNYにいる知人にメールを送った。彼女とその友人たちが、どんなにかこの日を待ち望んでいたことか。現地時間では夜の11時を過ぎているが、きっと起きて速報を見ていることだろう。
間もなくアリゾナ州フェニックスでマケインの敗戦演説が始まった。つい今しがたオバマに電話をして「おめでとう」を言ったと切り出した。マケインの演説は潔かった。激戦を闘った後、相手を讃え、みな同じ目的、この国を変える、ために一つになろうと呼びかけた。じつに見事な演説で、この大統領選中のマケイン演説の最良のものと思えた。きっと彼は、もう何日も前に敗戦を覚悟して、この演説を準備していたのではないかと思えるほどだった。
2時前、シカゴの広場の特設会場でオバマの勝利演説が始まった。6万数千人が集まっているという。ものすごい人の数だ。オバマの演説台の両側には、防弾用の強化ガラスの壁が高く立てられている。広場を囲むビルの窓からの狙撃からオバマを守るためだという。オバマは夫人と二人の娘と4人で演台に歩み寄った。二人の娘は赤と黒のドレス、夫人は大胆に赤をあしらった黒のドレス。憎い演出だ。いよいよオバマの演説は始まるというのに、BSは定時のニュースを流しはじめる。NHK総合に切り替えると、こちらでオバマの演説を生中継しはじめている。演説は前半はマケインへの謝辞、家族と協力者への感謝など定型的だったが、後半に、南部にいる百何歳かのお婆ちゃんが、この百年間にどんな変化を眺めてきたかを顧みながら、自分が大統領になったことの歴史的意義を語り、大いに聞かせるものだった。演説後、登壇したのは大統領と副大統領バイデンの家族だけだった。半数以上がオバマ関係の黒人だ。互いに喜び合っている。印象深い演出だった。
2008年10月31日金曜日
iPhoneの使いこなし
iPhoneを大いに期待して使いはじめたのだが、なかなか難物である。機能満載のはずなのだが、初歩的な機能すら使いこなせないでいる。基本であるはずのネット接続が安定して確保できない。それどころかメールすらままならない。受信はできるのだが、送・返信がまともにできない。メールを最後まで書かないうちに、すべてが消えてしまうことがある。何行も書いて、さて送ろうとする寸前、画面が突然消えてしまうのだ。せっかく書いたものは、どこにも残っていない。なんということだ。何度もそれを繰り返し、書いたものが消えるのが怖くて、1、2行書いてたところで送る始末。HPやブログをパソコン並みに読めるのはずなのだが、ページが表示されるのはいいとして、読んでいるうちに、突然消える。そのたびに舌打ちして、こんなもの使いものになるかと毒づいていた。
多少分かってきたのは、使い方が悪かったということだ。ふつうのパソコンに慣れ、そのつもりで使っていたのが間違っていた。内蔵メモリーというのか、キャッシュメモリーというのか、それが少ない。それをやりくりして、情報量の多いウェブページを表示したり、一時記憶したりしている。キャッシュが足りない状態で、メールを書いたりしていると、日本語変換がひどく遅くなる。そこへメール受信とかほかのジョブが割り込むと、処理不能になり、破綻してすべてがおシャカになる。書きかけの文書を保存しておく余裕などないのだ。
電源オフをせずに、スリープを挟んで使い続けていた。それがいけなかった。何かを書いていて日本語変換の途中で全然動かなくなった。にっちもさっちもいかない。強制シャットダウンをして、再起動してみた。その時、突然問題が解決した。俄然サクサク動くようになった。メールだって長文を最後まで書いて送れる。ネット読みで途中でダウンすることもない。NYTの記事やコラムニストの論説の全文をゆっくりと読める。これまでは、読んでいて最後まで終わらないうちに落ちていたのだ。何のことはない、これまでキャッシュがごみで満杯の状態で使っていたのだ。
対策、ひんぱんに電源オフ、再起動をする。ホームボタンの長押しだけでもいいらしい。これでずいぶん使いやすくなった。
まだまだ、問題はある。このブログにiPhoneから書き込みができるはずである。先日東京滞在中に専用アプリを使って送ってみたのだが、書いたはずのエントリは、どこかに消えたままだ。メールを送るだけでも書き込めるらしい。それはまだ試みていない。iPhoneで撮った写真をここに掲載することもできずにいる。
他方、これはいいと重宝して使っている機能はあれこれある。グーグルと連繋したいくつかの機能、リーダー、ドキュ、カレンダー。RTMというToDo処理ソフト。iPhoneとこれらの機能なしにはやっていけないほどだ。
iPhoneをひいき目に見て使っている。これは進化途中の将来型の携帯端末だ。当然まだまだ課題は多い。ハードが期待されている能力に十分対応していない。iPhoneのファームウエアはもっと進化する必要があるだろう。これはオンライン・バージョンアップで対応してくれるだろう。それより現状のままでも、それをどう使いこなすか、まだ分かっていないことが多々あるようだ。また、ネットに繋ぐ環境が不十分だ。携帯の電波は能力不足だ。それを補う無線LAN接続がユビキタス〔いつでも、どこでも)になっていない。その他もろもろ。
ちっちゃくて、力足らずだが、何とか使いこなしてみるぞ、と思わせる可愛いヤツだ。
多少分かってきたのは、使い方が悪かったということだ。ふつうのパソコンに慣れ、そのつもりで使っていたのが間違っていた。内蔵メモリーというのか、キャッシュメモリーというのか、それが少ない。それをやりくりして、情報量の多いウェブページを表示したり、一時記憶したりしている。キャッシュが足りない状態で、メールを書いたりしていると、日本語変換がひどく遅くなる。そこへメール受信とかほかのジョブが割り込むと、処理不能になり、破綻してすべてがおシャカになる。書きかけの文書を保存しておく余裕などないのだ。
電源オフをせずに、スリープを挟んで使い続けていた。それがいけなかった。何かを書いていて日本語変換の途中で全然動かなくなった。にっちもさっちもいかない。強制シャットダウンをして、再起動してみた。その時、突然問題が解決した。俄然サクサク動くようになった。メールだって長文を最後まで書いて送れる。ネット読みで途中でダウンすることもない。NYTの記事やコラムニストの論説の全文をゆっくりと読める。これまでは、読んでいて最後まで終わらないうちに落ちていたのだ。何のことはない、これまでキャッシュがごみで満杯の状態で使っていたのだ。
対策、ひんぱんに電源オフ、再起動をする。ホームボタンの長押しだけでもいいらしい。これでずいぶん使いやすくなった。
まだまだ、問題はある。このブログにiPhoneから書き込みができるはずである。先日東京滞在中に専用アプリを使って送ってみたのだが、書いたはずのエントリは、どこかに消えたままだ。メールを送るだけでも書き込めるらしい。それはまだ試みていない。iPhoneで撮った写真をここに掲載することもできずにいる。
他方、これはいいと重宝して使っている機能はあれこれある。グーグルと連繋したいくつかの機能、リーダー、ドキュ、カレンダー。RTMというToDo処理ソフト。iPhoneとこれらの機能なしにはやっていけないほどだ。
iPhoneをひいき目に見て使っている。これは進化途中の将来型の携帯端末だ。当然まだまだ課題は多い。ハードが期待されている能力に十分対応していない。iPhoneのファームウエアはもっと進化する必要があるだろう。これはオンライン・バージョンアップで対応してくれるだろう。それより現状のままでも、それをどう使いこなすか、まだ分かっていないことが多々あるようだ。また、ネットに繋ぐ環境が不十分だ。携帯の電波は能力不足だ。それを補う無線LAN接続がユビキタス〔いつでも、どこでも)になっていない。その他もろもろ。
ちっちゃくて、力足らずだが、何とか使いこなしてみるぞ、と思わせる可愛いヤツだ。
2008年10月22日水曜日
「クローズアップ現代」のキャスターに注文をつける
NHKの時事問題解説番組「クローズアップ現代」(月ー木、午後7:30ー8:00)のキャスターをしている国谷(くにや)さんという女性、たしかにこの種の問題を扱うのに抜群のセンスがあるのだろうが、この人の日本語にはがまんがならない。とてもふつうの日本語教育を受けてきた人とは思えない。外国育ちのバイリンガルなのだろうか。日本語をまるで英語を話しているかのように、変なメリハリをつけて話す。日本語らしいメリハリがついていればいいのだが、そうではない。強調点と関係ない部分に変に力が入ってきたかと思うと、そこからさらに強調しようと、ますますハイテンションに上昇していき、聞くに堪えない。ああ、いやだ。テレビを消してしまうことも多い。
そんな繰り返しに、がまんができず、NHKのホームページに「意見問い合わせ欄」があるのを見つけ、そこに投稿してみた。以下である。400字を超えると、受け付けないので、一部省略した。
【ここから投稿分】
「クローズアップ現代」を、ずっとがまんして視聴しています。
国谷キャスターの日本語は、毎回がまんの限度を超えます。どうして、こんな変な日本語を使う人を、NHKを代表する番組に使うのでしょうか。この人の日本語のイントネーション、アクセントは非常におかしく、神経を逆なでされることがしばしばです。
たとえば昨日(10/21)、太陽電池を問題にしていました。その際の「でんち」のアクセントが、明らかにおかしいです。第1シラブルにアクセントがあるべきです。同じ番組のなかで、人により「でんち」と「でんち」が混じって聞こえるのには、いらいらします。
この人のイントネーションは、とても日本語と思えないほど、おかしいです。もっと平板であってほしいです。この人は、最初から強調で始まり、それがどんどんハイテンションに上がっていき、聞いている方で息苦しくなります。
NHKには、ちゃんと日本語の話し方についての教育制度〔機関)があると聞きます。そこへこの人を一年間送って、徹底的に日本語を鍛え直したらどうでしょうか。
これまで裏で、読みだけをやっていた男性アナウンサーにも問題を感じていましたが、やっと最近変わりましたね。ホッとしました。この人は「・・・ました」の、「ま」に変に力が入って、「まぁーした」と聞こえ、重ったるかったです。
NHKは、もっときれいで、聞きやすい日本語を使うよう、力を入れてください。
【投稿文、ここまで】
こんなことを書いても、しょうがないと思いながら、クレイムをつけてみた。最後のセンテンスは、「力を入れてください」ではなく、「力を抜いてください」とするべきだったか。書かなかったけれど、この人の番組開始時の出だしもおかしい。最初の一礼の間に「今晩は、クローズアップ現代です」と言ってしまうのだ。「今晩は」で一礼し、「クローズアップ現代です」は顔を正面に向けていってほしい。全体に早口なのは現代風なのだろうが、そのあまり、口の中でくぐもってしゃべってしまうのもよくない。
【08/10/23追記】
読みだけを担当する男性アナウンサーが交代したらしいというのは、私の感違いであった。今晩登場、日替わりで出たり出なかったりしている。重ったるい読み上げぶりは相変わらずである。
そんな繰り返しに、がまんができず、NHKのホームページに「意見問い合わせ欄」があるのを見つけ、そこに投稿してみた。以下である。400字を超えると、受け付けないので、一部省略した。
【ここから投稿分】
「クローズアップ現代」を、ずっとがまんして視聴しています。
国谷キャスターの日本語は、毎回がまんの限度を超えます。どうして、こんな変な日本語を使う人を、NHKを代表する番組に使うのでしょうか。この人の日本語のイントネーション、アクセントは非常におかしく、神経を逆なでされることがしばしばです。
たとえば昨日(10/21)、太陽電池を問題にしていました。その際の「でんち」のアクセントが、明らかにおかしいです。第1シラブルにアクセントがあるべきです。同じ番組のなかで、人により「でんち」と「でんち」が混じって聞こえるのには、いらいらします。
この人のイントネーションは、とても日本語と思えないほど、おかしいです。もっと平板であってほしいです。この人は、最初から強調で始まり、それがどんどんハイテンションに上がっていき、聞いている方で息苦しくなります。
NHKには、ちゃんと日本語の話し方についての教育制度〔機関)があると聞きます。そこへこの人を一年間送って、徹底的に日本語を鍛え直したらどうでしょうか。
これまで裏で、読みだけをやっていた男性アナウンサーにも問題を感じていましたが、やっと最近変わりましたね。ホッとしました。この人は「・・・ました」の、「ま」に変に力が入って、「まぁーした」と聞こえ、重ったるかったです。
NHKは、もっときれいで、聞きやすい日本語を使うよう、力を入れてください。
【投稿文、ここまで】
こんなことを書いても、しょうがないと思いながら、クレイムをつけてみた。最後のセンテンスは、「力を入れてください」ではなく、「力を抜いてください」とするべきだったか。書かなかったけれど、この人の番組開始時の出だしもおかしい。最初の一礼の間に「今晩は、クローズアップ現代です」と言ってしまうのだ。「今晩は」で一礼し、「クローズアップ現代です」は顔を正面に向けていってほしい。全体に早口なのは現代風なのだろうが、そのあまり、口の中でくぐもってしゃべってしまうのもよくない。
【08/10/23追記】
読みだけを担当する男性アナウンサーが交代したらしいというのは、私の感違いであった。今晩登場、日替わりで出たり出なかったりしている。重ったるい読み上げぶりは相変わらずである。
2008年10月18日土曜日
今日は"Memorandum"の方に
この「雑記帳」に書きはじめて、自分で迷っている。あることをブログ・エントリとして書こう。さてどちらに載せるか。自分で判然と区別がつかないのである。最初は、中途半端なもの〔読者には申し訳ない)をこちらに、少しまとまったものを"Memorandum"の方にというつもりだった。しかし、書き分けは難しい。しょせん私ごときが書くのは、中途半端である。そうはいっても、書きはじめれば、地が出て、理屈っぽくなり、長くなる。それをこっちにするか、あっちにするか。線を引きがたい。
ともかく、今日は、あっちに書いた。米大統領選はオバマで決まり、という話題である(ここ)。これだって、最初はこちらに載せるつもりで書きはじめた。あちらにしたのは、しばらくご無沙汰だなあ、というほどの気持ちのブレの結果である。お許しくだされ。
ついでに近況。前回のこちらのエントリで書いた、テーブルトップフォトに凝っている。これで、3日連続で、半日は撮影に取り組んでいる。撮影対象の収集のため、昨日は夕方、散歩に出て、落ち葉や栗とイガを拾ってきた。今日は連れ合いの買いものに同道して、野菜市場で被写体はないかとキョロキョロした。食物としてでなく、被写体として野菜やそのほかのグローサリーを見るのは、新鮮な経験である。その気になると、撮りたくなる対象はけっこうある。今日は姫リンゴ、イチジクなどをその目的で購入した。来週月曜日は東京へ。テーブルトップフォトの第2回、実習の日である。
ともかく、今日は、あっちに書いた。米大統領選はオバマで決まり、という話題である(ここ)。これだって、最初はこちらに載せるつもりで書きはじめた。あちらにしたのは、しばらくご無沙汰だなあ、というほどの気持ちのブレの結果である。お許しくだされ。
ついでに近況。前回のこちらのエントリで書いた、テーブルトップフォトに凝っている。これで、3日連続で、半日は撮影に取り組んでいる。撮影対象の収集のため、昨日は夕方、散歩に出て、落ち葉や栗とイガを拾ってきた。今日は連れ合いの買いものに同道して、野菜市場で被写体はないかとキョロキョロした。食物としてでなく、被写体として野菜やそのほかのグローサリーを見るのは、新鮮な経験である。その気になると、撮りたくなる対象はけっこうある。今日は姫リンゴ、イチジクなどをその目的で購入した。来週月曜日は東京へ。テーブルトップフォトの第2回、実習の日である。
2008年10月16日木曜日
テーブルトップフォト、もうひとつ
テーブルトップフォトを試みる
趣味の写真で、テーブルトップフォトなるものを習い始めていることを書いた(『テーブルトップフォトを習う』08/10/07)。次回実習があり、その次に各自作品を5つ提出し、講評を受けることになっている。私的スケジュールからして、次回の実習後に撮影開始では間に合わないので、昨日から手がけはじめた。
最初に思い浮かんだテーマは、自然にあるものを、存在するままに、美しく、愛おしむ気持ちを込めて撮るということである。ひとつだけというより、組み合わせて撮る。配置の工夫が必要であるが、今回はそのことより、まずは自然光のもと、影を生じないよう、深い被写界深度(ピントの違いでポケないように)で撮ることを心がけてやってみた。やはり、カメラからの距離の遠近で、すべてのものにピントを合わせるのは難しかった。白バックで、プラスに露出補正して、少しハイキーで撮ることを心がけた。
このブログではひとつのエントリにひとつしか画像を受け入れないようなので、次のエントリにもう一つ画像を置くことにする。このエントリの画像は「貝殻と小石」。いつ手元に来たのか覚えていないのだが、巻き貝の貝殻と、連れ合いがあちこちで拾い集め、部屋のあちこちに置いてある小石をアレンジしたもの。新彊ウイグル自治区の玉(ぎょく)の産地の川辺で拾ったものもある。画像をクリックしていただくと、拡大画面で表示される。
2008年10月15日水曜日
かかとの痛みで整形外科へ
左足のかかとが痛い。いつからだったか、忘れてしまったが、だいぶ前だ。3、4週間前だったか。履き慣れない室内履きを半日履いて、かかとの肉球が痛んだ。そんなことは前にもあったので、放っておけば直ぐに治ると思った。ところがしっかり居着いてしまった。おかしいなと思いながら、毎日のウォーキングを続けたり、遠出していた。横浜での撮影会とか、上京しての用事とか、ドライブついでの観光とか。その間、ずっとかかとが痛んでいた。最初はかかとの肉球だったが、どうやらくるぶしの関節にひろがってきたような感じがする。大したことはないと自己診断しながらも、これはやっぱり医者に診てもらわなくてはいけないかな。そう思いはじめて、さらに1,2週間が過ぎた。
連休を無為に過ごし、その直後の混雑を避け、今日、整形外科に行ってみた。連れ合いがこの3ヶ月ほどむち打ち症でお世話になっている医院だ。上京時の高速バスが追突事故を起こし、その時に首に衝撃を受け、後遺症の目まいや頸痛の治療に通った。治ったわけではないが、これ以上どうにもならないだろうと、通うのをやめた。入れ替わりに私が行くハメになった。レントゲン診断の結果、骨に異常はなく、足底筋膜炎〔腱膜炎とも)と診断された。踵からつま先部まで、足の底を繋いでいる筋肉の表面膜なのか、腱なのか、それが炎症を起こしているらしい。ジョギングやウォーキングのやり過ぎなどで発症することがあるらしい。こちらはやり過ぎというほどではないから、たぶん老化に伴って、筋力が減少したせいだろうか。レントゲン写真からすると、私の場合、土踏まずを作っている足の骨が上に反りすぎていて(扁平足の反対、ハイアーチというらしい)、無理を生じていると医者はいう。
湿布の貼り薬を処方されたが、しばらく足を休ませるしかないらしい。朝のウォーキングが唯一の健康法だったのに、それを禁じられては、どうして摂取カロリーと運動量のバランスを取ったらいいのだろうか。プールで水中ウォーキングをするのがいいらしいが、今さら、スポーツクラブなどに入って、泳いだり、エクササイズをするのも面倒だ。しばらく蟄居するしかないだろう。
連休を無為に過ごし、その直後の混雑を避け、今日、整形外科に行ってみた。連れ合いがこの3ヶ月ほどむち打ち症でお世話になっている医院だ。上京時の高速バスが追突事故を起こし、その時に首に衝撃を受け、後遺症の目まいや頸痛の治療に通った。治ったわけではないが、これ以上どうにもならないだろうと、通うのをやめた。入れ替わりに私が行くハメになった。レントゲン診断の結果、骨に異常はなく、足底筋膜炎〔腱膜炎とも)と診断された。踵からつま先部まで、足の底を繋いでいる筋肉の表面膜なのか、腱なのか、それが炎症を起こしているらしい。ジョギングやウォーキングのやり過ぎなどで発症することがあるらしい。こちらはやり過ぎというほどではないから、たぶん老化に伴って、筋力が減少したせいだろうか。レントゲン写真からすると、私の場合、土踏まずを作っている足の骨が上に反りすぎていて(扁平足の反対、ハイアーチというらしい)、無理を生じていると医者はいう。
湿布の貼り薬を処方されたが、しばらく足を休ませるしかないらしい。朝のウォーキングが唯一の健康法だったのに、それを禁じられては、どうして摂取カロリーと運動量のバランスを取ったらいいのだろうか。プールで水中ウォーキングをするのがいいらしいが、今さら、スポーツクラブなどに入って、泳いだり、エクササイズをするのも面倒だ。しばらく蟄居するしかないだろう。
2008年10月14日火曜日
中央公論11月号特集「政治崩壊」はお勧め
福田首相が突然辞め、盛り上がりのない総裁選で、麻生首相に替わった。支持率は低迷で、解散すらままならない。日本の政治は、何かぽかんと空虚な状態に入っているように感じる。日本はいったいどうなるのだろう。そんな政治状況を「中央公論11月号」の特集「政治崩壊」が的確に分析してくれているようだ。内容は、
1.「自己管理できな政党が日本をむしばんでいる」 佐々木毅〔元東大総長、政治学)
2.徹底討論「新自由主義か社会民主主義か」 竹中平蔵(小泉内閣で改革担当大臣、経済学)、山口二郎(北大教授、小泉改革批判、政治学)
3.座談会「劣化した政治家が失った『狂熱的なもの』」保阪正康(ノンフィクション作家、昭和史研究)、御厨貴(東大教授、TBS時事放談司会者)、井上寿一(学習院大教授、アジア外交史)
4.「麻生・小沢のバラマキ路線で大丈夫か」 与謝野馨(現・経済財政担当大臣)、聞き手:田原総一郎(テレ朝、サンデープロジェクト司会者)
5.「国家の再生を阻む中央の”統制”を解除せよ」 片山善博(前鳥取県知事)
6.「政権交代の可能性を読む」 伊藤惇夫(政治ジャーナリスト)
〔一部省略)
と、多彩である。
総じて、どの論者も、今の自民党政治が耐用期限をとっくに過ぎ、劣化している、それが現在の状態を産みだしているとしている点で共通している。1.の佐々木論文は、読んで呆れる。政党に向かって、政治と政党のあり方のイロハを説いている。政党は一つの組織であり、組織であればそれなりの経営管理が必要だ、それが空洞化しているのが、自民党の現状だといっている。そんな私ら素人にとっても初歩的なことをこの代表的政治学者に言ってもらわなければならないのかと呆れた。政策論議より、政局だけに目を向けている日本の政治のお粗末さは、次の2.で竹中・山口も指摘している。自民党が「とにかく政権にいるために何でもあり」の政党なら、「民主党は政権を奪いたい人間の集まり」となっていると。
面白いのは、政治についての主張が対極にあるように見える竹中と山口が討論の座につき、話すことが存外噛みあっていることだ。小泉政権が残した歪みを山口が問題にすれば、竹中は改革が不十分で徹底していないから現状があるとし、山口は改革が、無駄を放置し、削ってはいけないところばかり手を突っ込んでいると責めている。何が問題か現状認識では二人はけっこう一致している。竹中は彼が行った政策を「新自由主義」というレッテルでくくられることを拒否している。自由ではなく、ルールを強化してむしろたがをはめた、と主張する。最後には、意外にわかり合った風に見える。小泉内閣で、改革に本気だったのは、小泉・竹中以外に一握りの人だけだった、今はどんどん元に戻って行きつつあると、竹中が嘆いている。ではあの小泉政治は何だったのだろう。
3人の玄人政治評論家による座談会(3)では、日本の政治が劣化してしまったと指摘する点では当たっているのだが、観点は古いなあ。昔の政治家は狂熱的なオーラがあり、それをもった政治家が見あたらなくなってしまった、そこに劣化の現れがあるという。安倍、福田、麻生は、いずれも政権を戦い取る意欲も、怨念も、凄みも、オーラもないままに、自民党内のご都合主義によって、次々にクビをすげ替えられただけ。それではますますダメだろうと、自民党政治をウォッチしてきた玄人たちはいいたいようだ。ダメにした原因のひとつは「お化けみたいな世論」だとする。小沢については不思議な政治家として、よく分からない、といっている。そのよく分からない小沢を、清く正しく美しい、学級会レベルの連中が支えているのが民主党らしい。
4.で、与謝野は田原相手に、けっこう本音を言っている。福田が立ちゆかなくなったのは公明党のせいとか、総裁選で、麻生−小池だけの争いになったら、二人の議論のレベルが自民党のレベルと思われては困るから自分が立ってみたとか、麻生の景気刺激策は、ドリンク剤を飲んで一時的な疲れをとる程度とか、結局消費税アップしかこの国をまっとうにする方策はないと、いつもながらの主張。この人は財政に詳しいが、無駄を省くというところには一切目が行かず、民主党の政策にしても、麻生の景気対策にしても、何かをするには金が要りますよと、きわめてまっとうな主張。「上げ潮」についても、高い成長率は、それは望ましいが、成長率を上げるための答えがないと。
片山はいつもの主張。霞ヶ関はポンコツ。地方がもっと自主性を与えられ、地方地方がわがこととして自分で自分のことを考えるようにならなければ、日本の将来はないと。
まあ、こんなところで、ざっとした紹介は終わろう。この特集、時宜を得ていて、読み応えありと、お勧めするのが趣旨。
2008年10月12日日曜日
山下肇先生のこと
10月9日の新聞の死去お知らせ欄が、駒場で過ごした若い頃の思い出をよびおこした。山下肇先生にドイツ語を習ったころのことである。出身校のことを書くのは控えたいのだが、この先生のいた教養学部のユニークだった雰囲気を思い出してみたい。先生自身がその当時のご自身と学部の学生たちとのことを書いている。『大学の青春・駒場』(1956、光文社カッパブックス、絶版)である。本の扉には「教師である著者と教え子の大学生たちが一つになって息づいているような生活記録」とある。私には、当時30代半ばだった先生の若々しい姿しか記憶にない。その後、教養学部長となり、退官し、去る10月6日、88歳で亡くなられた。先生の老いた姿は想像できない。若い頃のままだ。多くの著書、翻訳書がある(上記wikipediaリンク参照)。
私が大学2年、1954年当時、学生運動は比較的穏やかだった。それでもあるとき何かが問題になった。寮を一つ改装して教官室棟に転用することだったか。その時、クラス担任兼ドイツ語購読担当だった先生の時間に、授業をつぶして、クラス討論をしたいと自治委員が要求した。クラス全員も賛成だった。先生もいいでしょうと応じただけでなく、議論に加わった。行き過ぎをたしなめながらも、私たちの生意気な意見を理解してくれた。その結果、このクラスでまとまった反対意見を、先生が次の教授会で発言しましょう、とまで約束することになった。次の授業の時、先生は、済まなそうな表情で、教授会は、私ごとき若輩が口を差し挟めるような雰囲気でなく、なにも発言できませんでした、と詫びた。背の高い先生が、しょんぼりと頭を下げる姿を見て、誰も何も言えなかった。それが、山下先生というと真っ先に思い出すシーンだ。ふだんは意気軒昂な先生であっても、若い助教授である。大先生が並ぶ教授会に学生の意見など持ち出すのは荷が重かったのだろう。たいていの先生は、授業をつぶして自治会の討論にするなどもってのほか、ここは学びの場ですなどと、やんわりとたしなめるものだ〔HP 本館に別の先生について、かつて書いた中にも、そのようなことが書いてある)。そんな中で、できるだけ学生のいうことを聞こうとする先生の存在はユニークだった。授業が終わると先生を囲んで話し込むこともあった。
新制大学ができて数年というころだ。最初の2年間を教養課程で、語学を含めて一般教養科目を履修し、後半の2年を専門課程でそれぞれの専攻科目を修める、という骨格ができて、定着しはじめたころだろうか。この基本路線をもっとも忠実に形にしていたのが東大だった。教養学部を駒場に置き、そこで2年。後半は、本郷の各学部に移る。駒場の教養学部は、キャンパスもそこに漂う雰囲気も、旧制一高の名残をとどめていた。第2外国語履修を中心にクラスが編成されていた。当時ドイツ語を選択する人が圧倒的に多かった。クラスごとに担任教師がいて、ほとんど語学の先生が張り付いていた。
入学して1年半経ったところで、後半に進学する学科が決まる。成績次第で希望通りにならない悲喜劇があった。教養学部での最後の半年は、そうして決まった学科別にクラスが編成替えになる。物理学科(地球物理学科と天文学科も含む)へ進むドイツ語選択クラスの担任が、この山下肇先生だった。学生と仲間のような付き合いをしてくれる、兄貴といっていいような先生として人気があった。ドイツ書講読のテキストは、物理学科進学者に配慮して、ハイゼンベルクの "Zur Geshichte der physikalischen Naturerklaerung" (自然の物理学的説明の歴史について)であった。その薄っぺらなテキストを今でも持っている。悪い紙質の各ページに、びっしりと書き込みがしてある。予習にけっこう骨が折れた記憶がある。
激しかった学生運動が沈静化していた時期だった。すこし前までは非常に激しかった。昭和27(1952)年には「メーデー事件」(使用禁止となった皇居前広場に数千人が集まり、警官5千人と乱闘、二人の死者がでた)があり、破壊活動防止法が成立するなどした。学生たちは激しいデモをするばかりか、交番に向かって火炎瓶を投げたりしていた。私が入学のころ、共産党の路線変更で急に穏やかになった。息子が大学に入って火炎瓶を投げたりする仲間にならないかと心配していた両親にとっては、いい時期だったことだろう。
山下先生は、旧制浦和高校の教授だったが、この学校が東大教養学部に併合されたことから、昭和24(1949)年、教養学部設立に参加した。大きな変革期だった。大学側にもさまざまな混乱があったらしいが、学生たちも騒然としていた。山下先生は、さまざまな局面で、親身になって学生の相談相手になり、個人的に面倒まで見ていた。そのことは最初に引用した「大学の青春・駒場」に生々しく記録されている。
本のカバー裏扉には「著者のことば」としてこうある。
昭和24年の発足いらい、私は新しい大学の青春の息吹を、学生たちとともに呼吸してきた。日本の未来をになう選ばれた青年たちが、時代の激浪に洗われながら、この駒場で、高い理想にめざめ、真理とモラルを求めている。若い人生を精いっぱいに生きている。その真摯な群像に接するとき、さながら日本の希望そのものを見る感じがする。いわば、駒場とは新しい大学、新しい日本をつくりだす一つの大きな源泉ともいえようか。その学園の内なる生命の鼓動に支えられてきた一人として、いま私はこの本を書かずにいられなかった。 |
うーん、先生も若かったのだな、と思うし、エリート主義的匂いも、ちょっと。その後の著書で、「むかし若気の至りで『大学の青春・駒場』と題する小冊子を書いた赤恥の・・・」と書いている。しかし、そのような若気の至りがまかり通っていた時代が懐かしいし、その場に私もいたことを賜物と感じる。先生の冥福を祈る。
2008年10月11日土曜日
マタタビ酒とアケビ酒
【画像説明。左が:アケビ酒、右:マタタビ酒】
昨日エントリーに書いた旅の後始末。そこで、こう書いた。「帰途のルート沿いの道の駅とか地元物産店に寄り、連れ合いの買いもの、安値の野菜・果物と、珍しい物産(マタタビ、アケビの実など)を、小さな車に満載して、帰ってきた。」。野菜や果物の始末と収納は、昨日中に終えたが、今日、連れ合いは、果実酒作りから、ジャム作りまで、終日キッチンで立ち働いていた。この人はやり出すと止まらない。さらに戦線を拡大する傾向のある人だ。
朝食が終えるか終えないうちに、アケビとマタタビの果実酒作りに取りかかった。私は口先だけ介入する。アケビは果実酒作りの本には記載されていないようだ。中身の食用部分だけを使うか、皮ごと使うか。ネットで検索してみるといろいろと試している人がいる。中身だけというやり方もあれば、皮も使う人もあるようだ。紫色を帯びた皮の色に魅力がある。中身と皮を分離し、皮は裂いてリカーに浸すことにした。560円で買った12個のアケビを使う。リカーには香りがいいブランデーを使う。もちろん高価な飲用のものでなく、果実酒用のものだ。連れ合いはいつでも用を足せるよう、何本かストックしている。それを使う。
マタタビ酒は、レシピ−がある。問題は果実が野生のものゆえ、汚れていること、虫がついていること。表面の汚れは洗っただけではとれないほど。丁寧に襞の部分を剥いたり、穿ったり。表面に色の変わった孔があるものは、割ってみると、中に虫が巣くっている。それを取り去る。1kg、400円で買ったマタタビは、個数は百個どころではなかったろう。かなり手間がかかった。これにはホワイトリカーを使う。
アケビ酒は、2ヶ月したら、身と皮を取り出す。それ以降は飲めるようだ。マタタビ酒は、身はそのままでいい。ただし、エキスのしみ出しと熟成に時間がかかるようだ。飲めるようになるまでに、半年か1年かかるらしい。それぞれに楽しみだ。私はマタタビ酒で試してみようと思っていることがある。この酒を手や腕に塗って、猫に近づいてみる。寄ってきて、身体を擦りつけてくるかどうか。
連れ合いの果実酒作りは歴史が古い。大きな瓶に入ったままのものもあるが、大部分は私の飲んだウィスキーやジンの瓶を再利用したボトルに入れ、生産年などを書いたラベルが貼ってある。ほとんどは、梅酒かプラム酒だが、カリン酒、リンゴ酒、レモン酒、イチゴ酒、グレープフルーツ酒、ショウガ酒、サルナシ酒などもある。一番古いストックとしては、73年のプラム酒が確認されている。地下室の酒蔵には、720ml瓶がおよそ130本、漬け込みのままの、3リットルほどの大瓶が5本並んでいる。ここに新たに2本が加わった。死ぬまでに飲みきれないストックを抱えているのだが、連れ合いはシコシコと作り続けている。
「戦線拡大」と書いたのは、連れ合いの作業は、この果実酒作りで終わらず、葡萄ジャム、リンゴの砂糖煮それにイチジクの砂糖煮と続いたからだ。まだ何かやっている。
2008年10月10日金曜日
思い立って旅へ
われながら、衝動的だな、と思いながら、旅に出た。何であれ、その気になったら、直ぐにできるのが、遊民の特権である。東京での用事から帰ったのが、火曜日の昼過ぎ。にわかに思い立って、翌水曜日から、旅に出ようかと連れ合いに提案してみたら、いいよとの返事。早速宿の手配を開始。ねらった宿は満室で取れないなどの障害はあったが、何とか出かけるめどがその日のうちについた。水曜日朝には、まだ200kmほどしか走っていない新車「アイちゃん」を駆って北へ向かっていた。
前日買った「まっぷるマガジン・福島」(昭文社)をチラッと眺めて、見当をつけたのが、初日、羽鳥湖の温泉付きペンション。二日目、南会津の湯野上温泉。最初の目的地「はとりこ」を、そこに着くまで「はじまこ」と思い込んでいたほど、にわか仕立ての旅だった。
結果としては、悪くなかった。あてずっぽうのやり方もなんとかなるものだ。たままた選んだペンションの当夜の客は、われわれ二人だけ。ペンションのほうも、脱サラしてペンション経営十数年のご主人ひとりだけ。そのご主人と酒を飲んで、あれこれ話し込むしまつ。それがけっこう深刻だった。彼の抱えるもろもろの問題、たとえば、そのリゾート開発地へいわば入植した彼の土着の苦労話。それにとどまらず、おしなべてどの地方も抱える過疎対策などの問題などなど。それはまた、機会があったら書くことにしよう。
翌日はその近辺に大規模に展開しているリゾート施設「レジーナの森」〔うまくいっているのか、どうかまでは見通せなかったが)を一回りしたあと、タイムスリップして、江戸時代の会津街道の宿場町「大内宿」へ。ここは、あらかじめ知らず、旅先で教えられて訪れてみた観光地。聞けば年間220万人もの人が押しかける有名な観光地だそうだ。茅葺きの家屋が並ぶ、奇跡的に残った江戸時代の面影を残す街並みだそうだが、まったくダメ。観光地として知られすぎて〔私は知らなかったが)、あまりに多く人が押しかけ、それに応じて、せっかくの古い街並みが、見せ物となってしまっている。ほとんどすべての家が、お土産屋兼蕎麦屋になっていて、わんさと押しかける観光客に愛嬌を振りまいている。高山や、妻籠のほうがまだましだ。
ガイドブックで気にとめて出かけた南会津町〔旧田島町)にある「旧南会津郡役所」の洋風建築のほうが印象深かった。午後遅く訪れた私たちだけを相手に、係の女性は、丁寧にこの地の歴史を物語ってくれた。明治初期、朝敵会津を抑え込むために県令として赴任した薩摩出身の三島道庸に、過酷な扱いを強いられた会津の忍苦。遡って天領だった江戸時代の百姓一揆の哀話など。この地は、民主党で今や黄門さん的存在である渡部恒三の地元であった。ほんわかして、ユーモラスなこの人の語り口と出身地との結びつきを、その地に至って実感したのだった。
今朝は、「塔のへつり」という奇景を、なるほどと見ているうちに、そこへやってきたアジア人らしい若者たちに、吊り橋を揺らすなと文句をつけたのをきっかけに、技術研修生として滞日中の彼らとしばし話したり、遠足にやってきた会津若松の小学生から「おじさん、宮崎駿にそっくり」と、はやしたてられたり。行く先々に、あれこれがあった。帰途のルート沿いの道の駅とか地元物産店に寄り、連れ合いの買いもの、安値の野菜・果物と、珍しい物産(マタタビ、アケビの実など)を、小さな車に満載して、帰ってきた。
この時期に急遽、旅をする気になったのは、このときを外すと、私と連れ合いの二人のスケジュールからして、しばらく旅行に出るチャンスがないことと、働いている人々が秋を楽しむこれからの時期に、私ら遊民が邪魔をしては申し訳ないという二つの理由からだった。もう一つ、小振りとはいえ、新しく乗りはじめた車が、旅心を誘うのだ。
前日買った「まっぷるマガジン・福島」(昭文社)をチラッと眺めて、見当をつけたのが、初日、羽鳥湖の温泉付きペンション。二日目、南会津の湯野上温泉。最初の目的地「はとりこ」を、そこに着くまで「はじまこ」と思い込んでいたほど、にわか仕立ての旅だった。
結果としては、悪くなかった。あてずっぽうのやり方もなんとかなるものだ。たままた選んだペンションの当夜の客は、われわれ二人だけ。ペンションのほうも、脱サラしてペンション経営十数年のご主人ひとりだけ。そのご主人と酒を飲んで、あれこれ話し込むしまつ。それがけっこう深刻だった。彼の抱えるもろもろの問題、たとえば、そのリゾート開発地へいわば入植した彼の土着の苦労話。それにとどまらず、おしなべてどの地方も抱える過疎対策などの問題などなど。それはまた、機会があったら書くことにしよう。
翌日はその近辺に大規模に展開しているリゾート施設「レジーナの森」〔うまくいっているのか、どうかまでは見通せなかったが)を一回りしたあと、タイムスリップして、江戸時代の会津街道の宿場町「大内宿」へ。ここは、あらかじめ知らず、旅先で教えられて訪れてみた観光地。聞けば年間220万人もの人が押しかける有名な観光地だそうだ。茅葺きの家屋が並ぶ、奇跡的に残った江戸時代の面影を残す街並みだそうだが、まったくダメ。観光地として知られすぎて〔私は知らなかったが)、あまりに多く人が押しかけ、それに応じて、せっかくの古い街並みが、見せ物となってしまっている。ほとんどすべての家が、お土産屋兼蕎麦屋になっていて、わんさと押しかける観光客に愛嬌を振りまいている。高山や、妻籠のほうがまだましだ。
ガイドブックで気にとめて出かけた南会津町〔旧田島町)にある「旧南会津郡役所」の洋風建築のほうが印象深かった。午後遅く訪れた私たちだけを相手に、係の女性は、丁寧にこの地の歴史を物語ってくれた。明治初期、朝敵会津を抑え込むために県令として赴任した薩摩出身の三島道庸に、過酷な扱いを強いられた会津の忍苦。遡って天領だった江戸時代の百姓一揆の哀話など。この地は、民主党で今や黄門さん的存在である渡部恒三の地元であった。ほんわかして、ユーモラスなこの人の語り口と出身地との結びつきを、その地に至って実感したのだった。
今朝は、「塔のへつり」という奇景を、なるほどと見ているうちに、そこへやってきたアジア人らしい若者たちに、吊り橋を揺らすなと文句をつけたのをきっかけに、技術研修生として滞日中の彼らとしばし話したり、遠足にやってきた会津若松の小学生から「おじさん、宮崎駿にそっくり」と、はやしたてられたり。行く先々に、あれこれがあった。帰途のルート沿いの道の駅とか地元物産店に寄り、連れ合いの買いもの、安値の野菜・果物と、珍しい物産(マタタビ、アケビの実など)を、小さな車に満載して、帰ってきた。
この時期に急遽、旅をする気になったのは、このときを外すと、私と連れ合いの二人のスケジュールからして、しばらく旅行に出るチャンスがないことと、働いている人々が秋を楽しむこれからの時期に、私ら遊民が邪魔をしては申し訳ないという二つの理由からだった。もう一つ、小振りとはいえ、新しく乗りはじめた車が、旅心を誘うのだ。
2008年10月7日火曜日
ノーベル物理学賞、日本人3人に
今年度のノーベル物理学賞が発表され、日本の物理学者3人に与えられた。まずはめでたい。南部の受賞のうわさは、ずっと前にこの時期になるとでていたことがあったが、そのうちに立ち消えになっていた。そこにこの受賞である。何で早くくれなかったのかと文句をいいたいところだろう。小林−益川は、やはり十年ほどから数年前に騒がれていた。発表時期に記者が集まったりしたと聞いた。南部の仕事は50年前のもの、小林−益川のは、35年前のものだ。理論だが、その正当性は理論屋の間ではとっくに確立していたし、実験で最終確認がおこなわれたのはだいぶ遅れたが、かなり前だ。どう見ても時期遅れの受賞だ。物理はずっと先に進んでいるからと、受賞者たちはインタビューでは、いささか困惑気味のだった。まあ、ノーベル賞はそんなこともある。それでもめでたいし、日本の若い人たちにいい影響を与えることだろう。
この時期になると、誰が受賞するか、話題になる。新聞でもあれこれ予想を立てていた。物理学賞は、どちらかというと時節柄、ナノテクノロジー関係のテーマを追っていた。基礎物理の分野、素粒子や宇宙物理という分野は、行き詰まり気味で、新しいブレークスルーがない。これについては、Memorandum のほうで話題にしたことがある(『迷い道にいるのか、物理学』〈08/1/22〉)。極端に言う人は、ここ2,3十年、画期的な発見がなされていないという。その事情から、35年とか、もっと前の業績に光が当てられたのだろう。けちをつけたくないが、袋小路に入ってしまったその分野の行き詰まりぶりを反映した受賞のような面がある。
この時期になると、誰が受賞するか、話題になる。新聞でもあれこれ予想を立てていた。物理学賞は、どちらかというと時節柄、ナノテクノロジー関係のテーマを追っていた。基礎物理の分野、素粒子や宇宙物理という分野は、行き詰まり気味で、新しいブレークスルーがない。これについては、Memorandum のほうで話題にしたことがある(『迷い道にいるのか、物理学』〈08/1/22〉)。極端に言う人は、ここ2,3十年、画期的な発見がなされていないという。その事情から、35年とか、もっと前の業績に光が当てられたのだろう。けちをつけたくないが、袋小路に入ってしまったその分野の行き詰まりぶりを反映した受賞のような面がある。
テープルトップ・フォトを習う
いちおう写真を趣味にしている。しかし何が自分の写真かとなると、まだまだ模索中だ。あれこれ撮っているが、少し自分の写真の幅を拡げて見たいと思うようになった。気があちこちに散るのが、私の悪い癖だとは分かっている。それでも興味のおもむくままにで、いいじゃないかと、自分で自分を甘やかせている。最近絵画の「静物画」(still life)に相当するようなものを撮ってみたいと考えている。絵を見ると「静物画」が一つのジャンルとしてあって、どの画家も描いている。写真では、広告写真はあるが、花写真をのぞけば、アマチュアの写真では、それほど見られない。絵画の静物画のような、アート性の高い写真を撮ってみたいと思うようになった。それには照明その他の写真技法を学ぶ必要があるな、と思っていた。
そんなところに、「ニコン塾」で「テーブルトップフォト」の講座が開かれることを知って、早速申し込んだ。昨日その一回目があり、あと二回目は実技、3回目は各人の作品批評ということになっている。
昨日開かれた講座には十数人の受講生。男性はほとんどがシルバー世代。女性は若い世代が多い。講師は、これまで何度かこの講義シリーズをしてきて、いつもほとんどは女性なのに、今回は男性が多いですね、「こもの撮り」は女性の感性がものをいうことが多く、女性向きなのですと、男性受講生の出鼻をくじくようなことをいうことから講義が始まった。そこで事件があった。女性受講生の一人が、先生のいうひと言ひと言に文句をつけはじめた。声が小さい、不明瞭だ、もっとはっきり話せ、○○とは何か、私はさっぱり分からない、などなど。すぐにこの人は狂っている、これでは講義が成り立たない、と分かってきて、受講生全員が、口々に制止しようとしたが、どうにもならない。塾の責任者に来てもらって、退席してもらった。それまで10分か、15分。さんざん喚きちらしながら、会場を去った。同じく写真を志し、学びに来る仲間にこんな人がいるとはあきれた。たぶん、ほかの場でもトラブルメーカーになっているのだろう。
で、講義はどうだったかというと、やはり餅は餅屋、この分野のコツをいろいろと教えてもらって、これからこの分野の写真を手がけていくのに、参考になった。特別の照明は要らない。自然光でいい。トレーシングペーパーとか、手作りのレフ板でいい。特別なレンズもツールも要らない。一通りの注意事項も教えてもらった。これで、自分の場合どうしようかとの見通しもついた。あとは私が目論んでいるような、絵画の「静物画」のようなアート的な写真を撮れるか、となると、これはこの講義の範囲外で、手探りでやっていくしかないだろう。たぶん画像処理とか、プリントの技法も必要になるだろう。ともかく、一つ楽しみが増えた。
そんなところに、「ニコン塾」で「テーブルトップフォト」の講座が開かれることを知って、早速申し込んだ。昨日その一回目があり、あと二回目は実技、3回目は各人の作品批評ということになっている。
昨日開かれた講座には十数人の受講生。男性はほとんどがシルバー世代。女性は若い世代が多い。講師は、これまで何度かこの講義シリーズをしてきて、いつもほとんどは女性なのに、今回は男性が多いですね、「こもの撮り」は女性の感性がものをいうことが多く、女性向きなのですと、男性受講生の出鼻をくじくようなことをいうことから講義が始まった。そこで事件があった。女性受講生の一人が、先生のいうひと言ひと言に文句をつけはじめた。声が小さい、不明瞭だ、もっとはっきり話せ、○○とは何か、私はさっぱり分からない、などなど。すぐにこの人は狂っている、これでは講義が成り立たない、と分かってきて、受講生全員が、口々に制止しようとしたが、どうにもならない。塾の責任者に来てもらって、退席してもらった。それまで10分か、15分。さんざん喚きちらしながら、会場を去った。同じく写真を志し、学びに来る仲間にこんな人がいるとはあきれた。たぶん、ほかの場でもトラブルメーカーになっているのだろう。
で、講義はどうだったかというと、やはり餅は餅屋、この分野のコツをいろいろと教えてもらって、これからこの分野の写真を手がけていくのに、参考になった。特別の照明は要らない。自然光でいい。トレーシングペーパーとか、手作りのレフ板でいい。特別なレンズもツールも要らない。一通りの注意事項も教えてもらった。これで、自分の場合どうしようかとの見通しもついた。あとは私が目論んでいるような、絵画の「静物画」のようなアート的な写真を撮れるか、となると、これはこの講義の範囲外で、手探りでやっていくしかないだろう。たぶん画像処理とか、プリントの技法も必要になるだろう。ともかく、一つ楽しみが増えた。
2008年10月5日日曜日
ハーゲン弦楽四重奏団を聴く
オーストリー・ザルツブルクからやってきた兄妹四重奏団、ハーゲン弦楽四重奏団のコンサートへ行ってきた。水戸の芸術館のコンサートホールで行われた。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を3曲。中でも第14番(作品131)が、素晴らしくよかった。音が澄んで美しく、最弱音が心に響いて聞こえる。そしてフォルテになると、女性が混じっている四重奏とは思えない盛り上がった音を響かせる。14番は、ベートーヴェンの曲の中でも愛好しているものの一つだが、これまで聴いた中で最高の感動を与えてくれた。ほかに彼の生涯最後の曲、第16番と、40歳のとき、失恋した直後に作曲したといわれる第11番。ドイツ系らしい端正な音だった。
この四重奏団は、もともと兄妹4人で結成され、84年にザルツブルク音楽祭でデビュー、大成功を収め世に出た。一人がソロ演奏家となったので、第2ヴァイオリンに兄妹外の人が入っているが、もともと音楽一家らしい息の合い方で、他にないハーモニーを産みだしているのではないか。今回は何回目かの来日で、先月(9月)29日から、東京で3回、あと横浜、静岡、大阪と、連日の演奏会のあと、最後に水戸にやってきた。水戸には2度目である。
会場には、水戸芸術館の館長を務める吉田秀和氏が、元気な姿を見せていた。95歳になるが、水戸芸術館での主なコンサートには、お嬢さんであろうか、付き添いの方とともにやってきて、中央後部のシートで聴いている。水戸にとってはもったいない人だ。しかしおかげで、水戸は地方でも有数の音楽のセンターとして質の高い音楽に居ながらにして接することができる。
この四重奏団は、もともと兄妹4人で結成され、84年にザルツブルク音楽祭でデビュー、大成功を収め世に出た。一人がソロ演奏家となったので、第2ヴァイオリンに兄妹外の人が入っているが、もともと音楽一家らしい息の合い方で、他にないハーモニーを産みだしているのではないか。今回は何回目かの来日で、先月(9月)29日から、東京で3回、あと横浜、静岡、大阪と、連日の演奏会のあと、最後に水戸にやってきた。水戸には2度目である。
会場には、水戸芸術館の館長を務める吉田秀和氏が、元気な姿を見せていた。95歳になるが、水戸芸術館での主なコンサートには、お嬢さんであろうか、付き添いの方とともにやってきて、中央後部のシートで聴いている。水戸にとってはもったいない人だ。しかしおかげで、水戸は地方でも有数の音楽のセンターとして質の高い音楽に居ながらにして接することができる。
2008年10月3日金曜日
ペイリン副大統領候補の英語
かつてアメリカに住んだときに耳にして印象に残っている会話の断片がある。「アメリカでちゃんとした仕事をするためには、"good English"(まともな英語)を話せないといけない」。アメリカでエリートであるための最低限の資格を言っているように聞こえた。
アメリカでは、誰もがまともな英語を話していると思うと大間違いである。アメリカ人は、早い、遅い、の差はあれ、誰しも外国からやってきた人、あるいはその子孫である。それぞれの母国語を引きずっている。広大な土地だから、それぞれの地方でさまざまに違う英語が話される。ニューヨークあたりで、なんとか英語が話せるようになったと思っても、地方へ行って地元の人と話すと、何をいっているのか、さっぱり聴き取れない。もちろん、会話が成り立たない。
いったい何が "good English" なのか、よく分からないが、こんなのだろうか。東部の知識人にとっては、アイビーリーグ大学出の人が話している英語がそれである。あるいは、テレビのニュースキャスターや解説者が話している英語、知的な政治家やビジネスマンが話している英語のことである。
ところが大衆レベルで話されている英語は、それとずいぶん違う。日本での、おすましの日本語と大衆レベルの日本語とか、方言とかよりもっと差が大きいようだ。
ブッシュ大統領(JWB)の英語はずいぶんひどいと非難された。JWB自身が自分の英語の下手さ加減をジョークにしていた。原子力というときに、"nuclear" を「ニューキュリアー」と発音するのが、その典型例であった。JWBは、テキサス英語をイェール大学で洗練することがなかった。
マケイン共和党大統領候補が唐突に選んだ副大統領候補、ペイリンの英語はとてもひどいらしい。私の米国でのメル友(私のブログやHPの読者は、誰のことかご存じだろう)は、2,3日前のメールで、「彼女の英語はテリブルで、言ってることも辻褄が合わない」と書いてきた。今日(08/10/3)の副大統領候補同士のディベート中継のさいに、副音声で英語を聞いてみた。私にはよく分からないが、メリハリの利いた分かりやすい英語でない。抑揚なく口ごもりがちに、べらべらしゃべる、私には苦手の英語であった。
私がよく読みにいく、ニューメキシコ州在住のブロッガー、”dangerousmeta”の主は、彼女の英語がひどく気に入らないらしい。今日のディベートの感想の中でこう書いている(うまく訳せない部分があるが、ともかく)。
ここで、「どん、ずばり」と、とりあえず訳してみたのは、"shootin'" という語である。ペイリンは、何ごとにつけ、その言葉を挟むらしい。正しい意味あいをご存じの方は教えていただきたい。
アメリカでは、誰もがまともな英語を話していると思うと大間違いである。アメリカ人は、早い、遅い、の差はあれ、誰しも外国からやってきた人、あるいはその子孫である。それぞれの母国語を引きずっている。広大な土地だから、それぞれの地方でさまざまに違う英語が話される。ニューヨークあたりで、なんとか英語が話せるようになったと思っても、地方へ行って地元の人と話すと、何をいっているのか、さっぱり聴き取れない。もちろん、会話が成り立たない。
いったい何が "good English" なのか、よく分からないが、こんなのだろうか。東部の知識人にとっては、アイビーリーグ大学出の人が話している英語がそれである。あるいは、テレビのニュースキャスターや解説者が話している英語、知的な政治家やビジネスマンが話している英語のことである。
ところが大衆レベルで話されている英語は、それとずいぶん違う。日本での、おすましの日本語と大衆レベルの日本語とか、方言とかよりもっと差が大きいようだ。
ブッシュ大統領(JWB)の英語はずいぶんひどいと非難された。JWB自身が自分の英語の下手さ加減をジョークにしていた。原子力というときに、"nuclear" を「ニューキュリアー」と発音するのが、その典型例であった。JWBは、テキサス英語をイェール大学で洗練することがなかった。
マケイン共和党大統領候補が唐突に選んだ副大統領候補、ペイリンの英語はとてもひどいらしい。私の米国でのメル友(私のブログやHPの読者は、誰のことかご存じだろう)は、2,3日前のメールで、「彼女の英語はテリブルで、言ってることも辻褄が合わない」と書いてきた。今日(08/10/3)の副大統領候補同士のディベート中継のさいに、副音声で英語を聞いてみた。私にはよく分からないが、メリハリの利いた分かりやすい英語でない。抑揚なく口ごもりがちに、べらべらしゃべる、私には苦手の英語であった。
私がよく読みにいく、ニューメキシコ州在住のブロッガー、”dangerousmeta”の主は、彼女の英語がひどく気に入らないらしい。今日のディベートの感想の中でこう書いている(うまく訳せない部分があるが、ともかく)。
すまないけど、私的な感想をいわせてもらう。「ニューキュリアー」と発音する政治家をまたと見たくない。それを聞くたびに身の毛がよだった。公的な場では英語を正確に発音してほしいと求めるのはエリート主義だろうか。ペイリン流のしゃべり方からすると「どん、ずばり」そうじゃないと思う。ところが困ったことにペイリン夫人は、それが勇気の印であるかのように「どん、ずばり」を何度も使うのである。私は大声で言いたいのだが、良い教育を受けているなら「コンチクショウ、俺達の国語を正しく」話してほしいもんだ。 |
ここで、「どん、ずばり」と、とりあえず訳してみたのは、"shootin'" という語である。ペイリンは、何ごとにつけ、その言葉を挟むらしい。正しい意味あいをご存じの方は教えていただきたい。
2008年10月1日水曜日
サツマイモと芋焼酎
連れ合いはサツマイモを好む。私は嫌いである。好き嫌いはほとんどないほうだが、サツマイモとカボチャは別である。戦後のひもじい時代に、家庭菜園でできた質の悪いサツマイモやカボチャを、いやというほど食したからである。折につけて書いたり、話したりしたことがあるので、またかと思う読者もいるかもしれないが、勘弁してほしい。一生分をその時期に食したので、もう食べたくない、食べる必要がない、と何度もいいたいのだ。
サツマイモは今がシュンらしい。連れ合いは、まいど芋をふかして、それをうまそうに食べる。「たべない?」と、「いやだ」と私が応じるのを承知の上で問う。意地が悪い。このところ、この定型的問答がくり返される。
私にも対抗策がある。芋焼酎だ。これならいい。サツマイモを原材料にしているとはいえ、焼酎となると別である。昔習った生半可な英語知識でいえば、"made of" は駄目だが、"made from" なら許せるということだ。アルコール飲料はそれぞれに好きであるが、なかでも芋焼酎は好みである。さっぱりして、サツマイモの匂いがして、少々甘味のあるものを好む。あれこれ試してみたが、高級な(高価な)ものは、サツマイモの匂いがあまりしないので、好みではない。安物がいい。好んで飲んでいたのは、マイナーな銘柄である。「やまや」という量販店が、自店ブランドとして売っていた「浦」というもの。過去形で書いたのは、最近入手できなくなったからだ。このブランドになじんだ最初のころは、たしか福島県郡山で醸造していた。芋焼酎とは関係のない生産地だが、どこかで収穫した焼酎好適種のサツマイモ「薩摩黄金」を原料にして、依頼醸造しているということだった。それがいつの間にか、気がついたときには、中国産となっていた。それでも気にしなかった。味と匂いに変わりがなかったからである。
それを中国産と知った連れ合いが、それを飲むのはよくない、というようになった。おかしいじゃない。サツマイモを食えというのに、サツマイモを原料とし、サツマイモらしい匂いがする「浦」はやめておけという。中国産食品にあれこれの問題が生じるよりずっと前から、連れ合いは中国産をうさんくさいと考えているようだった。私は大量に食べたり飲んだりするわけではない。かまわないという考えだった。
しかし毒入りギョウザ事件が発生し、中国産野菜を中国人でも洗剤で洗ってから食べるという報道を聞き、つい最近ではメラミン入りミルク製品などとなってくると、中国産芋焼酎も何かがはいっているかな、と思うようになった。私がうまいと思っていたのは、何かの巧妙な添加物のせいかもしれない。
じつは「やまや」は自社ブランド「浦」を扱わなくなったようだ。最初は、大々的に売っていた「浦」は、片隅にひっそりと置かれるようになった。それでも好きなので、苦労しても捜し出して求めた。しかし、このところ店頭から消えた。
こうして、私の芋焼酎好みは行き場所を失っている。どうやって連れ合いのサツマイモ攻勢に対応したらいいのだ。「浦」以外の芋焼酎にこれという代替品を見いだせないでいる。いっそ、ソバに行くか、米に行くか。そういいながら、サツマイモの匂いを慕っているのである。
サツマイモは今がシュンらしい。連れ合いは、まいど芋をふかして、それをうまそうに食べる。「たべない?」と、「いやだ」と私が応じるのを承知の上で問う。意地が悪い。このところ、この定型的問答がくり返される。
私にも対抗策がある。芋焼酎だ。これならいい。サツマイモを原材料にしているとはいえ、焼酎となると別である。昔習った生半可な英語知識でいえば、"made of" は駄目だが、"made from" なら許せるということだ。アルコール飲料はそれぞれに好きであるが、なかでも芋焼酎は好みである。さっぱりして、サツマイモの匂いがして、少々甘味のあるものを好む。あれこれ試してみたが、高級な(高価な)ものは、サツマイモの匂いがあまりしないので、好みではない。安物がいい。好んで飲んでいたのは、マイナーな銘柄である。「やまや」という量販店が、自店ブランドとして売っていた「浦」というもの。過去形で書いたのは、最近入手できなくなったからだ。このブランドになじんだ最初のころは、たしか福島県郡山で醸造していた。芋焼酎とは関係のない生産地だが、どこかで収穫した焼酎好適種のサツマイモ「薩摩黄金」を原料にして、依頼醸造しているということだった。それがいつの間にか、気がついたときには、中国産となっていた。それでも気にしなかった。味と匂いに変わりがなかったからである。
それを中国産と知った連れ合いが、それを飲むのはよくない、というようになった。おかしいじゃない。サツマイモを食えというのに、サツマイモを原料とし、サツマイモらしい匂いがする「浦」はやめておけという。中国産食品にあれこれの問題が生じるよりずっと前から、連れ合いは中国産をうさんくさいと考えているようだった。私は大量に食べたり飲んだりするわけではない。かまわないという考えだった。
しかし毒入りギョウザ事件が発生し、中国産野菜を中国人でも洗剤で洗ってから食べるという報道を聞き、つい最近ではメラミン入りミルク製品などとなってくると、中国産芋焼酎も何かがはいっているかな、と思うようになった。私がうまいと思っていたのは、何かの巧妙な添加物のせいかもしれない。
じつは「やまや」は自社ブランド「浦」を扱わなくなったようだ。最初は、大々的に売っていた「浦」は、片隅にひっそりと置かれるようになった。それでも好きなので、苦労しても捜し出して求めた。しかし、このところ店頭から消えた。
こうして、私の芋焼酎好みは行き場所を失っている。どうやって連れ合いのサツマイモ攻勢に対応したらいいのだ。「浦」以外の芋焼酎にこれという代替品を見いだせないでいる。いっそ、ソバに行くか、米に行くか。そういいながら、サツマイモの匂いを慕っているのである。
2008年9月30日火曜日
ひょっとすると、アメリカの崩壊?
今、目にしつつあるのは、ひょっとすると、「アメリカ」の崩壊なのではないか。ブッシュ大統領が就任して間もなく、世界貿易センターのツイン・タワーが崩壊するのを見た。今やアメリカそのものが崩壊しつつあるのではないか。底知れぬ金融危機、それへの対処になすすべがとれないでいる大統領と議会。経済のことはよく分からないが、規制をとことん撤廃し、政治関与を最小にするという市場主義に踊り狂った、そのあげくの果て、何かがここに崩壊しつつあるように思われる。
この危機を救うために、ブッシュ大統領と議会首脳は7000億ドル(70兆円)の公的資金を投じて不良債権を買い取ることを柱とする、金融安定化法案に合意して、急場しのぎができたように見えた。しかし、米議会下院がそれを否決した。僅差ではなかった。ウォールストリートで大金を稼いでいる連中がしでかした不始末。その穴埋めに、なぜ米国一般市民の税金を投入しなければならないか。選挙を目前にした議員たちが否定票を投じたのも分からないではない。それが民主的議会制と、世界的規模に達した資本主義経済との間にある大きなギャップだろう。
7000億ドルの公的資金がどれほどのものか。昨日も引用した雑誌TIME(09/10/6号)が、具体的な目安を与えている。
・米国民一人あたり2300ドル(23万円)の負担。1世帯あたり6200ドル(62万円)。
・50万ドル(5千万円)以下の所得の人の所得税全部を注ぎ込むこと。
・米国の国防、財務、教育、国務、内務、軍人恩給、宇宙の年間費用全部。
・アメリカのすべての車のガソリン代、16ヶ月分。
・アメリカのすべてのプロスポーツチームを買収し、それぞれに新しいスタジアムを作り、各チームごとのプレイヤーに2億ドル(200億円)を支払う。
・世界17位程度の国のGDP分。たとえばオランダのGDP。
・しかしながら、米国の財政赤字累積額のたった7%に過ぎないともいえる。
世界を断然リードする米国といえども、これだけの巨額負担にたじろいだのだろう。そういえば、TIME誌のコラムニスト、Joe Klein は、これとほぼ同額(6500億ドル、65兆円)をイラクの戦費に費やしたことと併せて、ブッシュ政権は、ツインタワーの崩壊で始まり、この二つの1兆ドル負債ツインで終わったとコメントしている。
この危機を救うために、ブッシュ大統領と議会首脳は7000億ドル(70兆円)の公的資金を投じて不良債権を買い取ることを柱とする、金融安定化法案に合意して、急場しのぎができたように見えた。しかし、米議会下院がそれを否決した。僅差ではなかった。ウォールストリートで大金を稼いでいる連中がしでかした不始末。その穴埋めに、なぜ米国一般市民の税金を投入しなければならないか。選挙を目前にした議員たちが否定票を投じたのも分からないではない。それが民主的議会制と、世界的規模に達した資本主義経済との間にある大きなギャップだろう。
7000億ドルの公的資金がどれほどのものか。昨日も引用した雑誌TIME(09/10/6号)が、具体的な目安を与えている。
・米国民一人あたり2300ドル(23万円)の負担。1世帯あたり6200ドル(62万円)。
・50万ドル(5千万円)以下の所得の人の所得税全部を注ぎ込むこと。
・米国の国防、財務、教育、国務、内務、軍人恩給、宇宙の年間費用全部。
・アメリカのすべての車のガソリン代、16ヶ月分。
・アメリカのすべてのプロスポーツチームを買収し、それぞれに新しいスタジアムを作り、各チームごとのプレイヤーに2億ドル(200億円)を支払う。
・世界17位程度の国のGDP分。たとえばオランダのGDP。
・しかしながら、米国の財政赤字累積額のたった7%に過ぎないともいえる。
世界を断然リードする米国といえども、これだけの巨額負担にたじろいだのだろう。そういえば、TIME誌のコラムニスト、Joe Klein は、これとほぼ同額(6500億ドル、65兆円)をイラクの戦費に費やしたことと併せて、ブッシュ政権は、ツインタワーの崩壊で始まり、この二つの1兆ドル負債ツインで終わったとコメントしている。
2008年9月29日月曜日
TIME誌が麻生首相短評
週間誌 ”TIME”の10月6日号が短報で書いている、日本の新首相麻生のプロフィール。
けっこう人柄を見ている。「出しゃばり」と訳した"brash”は、オックスフォード英英辞典には"confident in an agressive way"(確信的に攻撃的やり方を好む)とあり、「奔放な」と訳した"freewheeling"は”not concerned about rules or the possible results of what you do"(規範とか、自分の行動が起こしかねない結果とかに、頓着しない)とある。英語には人を評するのに的確なボキャブラリーがある。内閣人事や今日(08/9/29)の国会での所信表明演説などは、ほんと、"brash and freewheeling"だ。
安倍と福田は"dour"という一語で片付けている。これは人柄について"giving the impression of being unfriendly and severe"(親しみ易くなく、厳しい印象を与える)、ものなどについて"with no features that make it lively or interesting"(生き生きして、面白くさせるような特徴のまったくない)という意味だ。英和辞典では「陰気な」という訳を当てている。なかなかうがった見方だと思うがどうだろう。
4回目の挑戦の果てに元外相・麻生太郎が9月24日、新首相の職にに就いた。出しゃばりで、奔放なナショナリストで、思慮の足りない放言をしがちな人だ(アルツハイマー症のことをジョークにしたり、金持ちのユダヤ人に日本を魅力的な国と見られたいなどと言ったことがある)。68歳の麻生は、厳しい、あるいは陰気な印象を与えた前任者、安部晋三・福田康夫とは際だって違った人柄だ。前任者たちはスキャンダルや政党間の行き詰まりのせいで、任期を全うできなかった。麻生は、以前オリンピックに出たことのある射撃の名手で、マンガ大好き人間だ。元気のない日本経済を活性化することを彼は力説しているが、まずは自由民主党の長期政権への有権者たちの不満を乗り越えることができるかが問題だ。 |
けっこう人柄を見ている。「出しゃばり」と訳した"brash”は、オックスフォード英英辞典には"confident in an agressive way"(確信的に攻撃的やり方を好む)とあり、「奔放な」と訳した"freewheeling"は”not concerned about rules or the possible results of what you do"(規範とか、自分の行動が起こしかねない結果とかに、頓着しない)とある。英語には人を評するのに的確なボキャブラリーがある。内閣人事や今日(08/9/29)の国会での所信表明演説などは、ほんと、"brash and freewheeling"だ。
安倍と福田は"dour"という一語で片付けている。これは人柄について"giving the impression of being unfriendly and severe"(親しみ易くなく、厳しい印象を与える)、ものなどについて"with no features that make it lively or interesting"(生き生きして、面白くさせるような特徴のまったくない)という意味だ。英和辞典では「陰気な」という訳を当てている。なかなかうがった見方だと思うがどうだろう。
2008年9月28日日曜日
横浜山手洋館を撮り歩き
昨日は写真の仲間と、横浜へ行き、山手地区の洋館の並ぶ通り沿いのあちこちを撮り歩いた。石川町駅の元町口から坂を登ったところにあるイタリア山庭園から、港の見える丘公園まで。庭園やそこからの眺望を楽しんだり、洋館に入り異国趣味が珍しい館内を見たり。変化に富む被写体が多く、久しぶりに写真撮りに没頭できた。
一部の洋館は結婚式場にも使われているようだ。秋の土曜日とあって、庭園を使って、友前結婚式をしているのを見た。宗教的儀式なし、媒酌人もなし。花婿が入場し待ち構えているところに、父親が娘(花嫁)を連れてきて、ちょっとしたセレモニー。そのやり方には、眺望のいい屋外庭園が似合っていた。道沿いの教会でも、また別の洋館でも結婚式だった。本通沿いには散策を楽しむ人を多く見かけた(画像は山手234番館あたり)。横浜のこのあたりに住む人は、まるで外国に住んでいるようなハイカラな生活を楽しんでいる。ちょっとうらやましかった。
この日撮影会をしたのは、ネット上の写真仲間だ。ネットで互いの写真を見て、話し合い、情報交換をしているグループだが、たまには顔を合わせようと、オフ会と称する会合をする。最近仲間が増えて、この日も二人の新人が参加した。世代的には若返りつつあるのがうれしい。夕刻には山を下りて、中華街にいたり、路地のそのまた路地に分け入り、庶民的な中華料理屋にあてずっぽうにはいって、歓談を楽しんだ。となりのテーブルにやがて現れたのが、このグループにとって、縁のある人だった、その偶然に驚いた。近くに住み、なじみの店だという。
2,3年前の海外旅行を機縁に、その後親しくしているご夫婦が、この近くに住んでおられる。この日、この場所を撮り歩くと連絡したところ、このルートを逆にたどって歩いてこられ、中途あたりでばったりと出会えた。洋館の中に入っていたら、どうだったか。ちょうど一つの洋館を出て、道に出たところだったのが、グッドタイミングだった。
一部の洋館は結婚式場にも使われているようだ。秋の土曜日とあって、庭園を使って、友前結婚式をしているのを見た。宗教的儀式なし、媒酌人もなし。花婿が入場し待ち構えているところに、父親が娘(花嫁)を連れてきて、ちょっとしたセレモニー。そのやり方には、眺望のいい屋外庭園が似合っていた。道沿いの教会でも、また別の洋館でも結婚式だった。本通沿いには散策を楽しむ人を多く見かけた(画像は山手234番館あたり)。横浜のこのあたりに住む人は、まるで外国に住んでいるようなハイカラな生活を楽しんでいる。ちょっとうらやましかった。
この日撮影会をしたのは、ネット上の写真仲間だ。ネットで互いの写真を見て、話し合い、情報交換をしているグループだが、たまには顔を合わせようと、オフ会と称する会合をする。最近仲間が増えて、この日も二人の新人が参加した。世代的には若返りつつあるのがうれしい。夕刻には山を下りて、中華街にいたり、路地のそのまた路地に分け入り、庶民的な中華料理屋にあてずっぽうにはいって、歓談を楽しんだ。となりのテーブルにやがて現れたのが、このグループにとって、縁のある人だった、その偶然に驚いた。近くに住み、なじみの店だという。
2,3年前の海外旅行を機縁に、その後親しくしているご夫婦が、この近くに住んでおられる。この日、この場所を撮り歩くと連絡したところ、このルートを逆にたどって歩いてこられ、中途あたりでばったりと出会えた。洋館の中に入っていたら、どうだったか。ちょうど一つの洋館を出て、道に出たところだったのが、グッドタイミングだった。
2008年9月26日金曜日
不本意ながら車の世話
車は、動き回るための道具で、洗ったり、ワックスを掛けてピカピカにしたり、傷を気にしたりすることはない、という考えのほうだ。先般まで使っていた自分の車を洗ったことはほとんどない。たまにガソリンスタンドで洗車機にかけてもらう程度だった。今度車を買い換えるに当たって、洗車などの面倒がないようにと、5年もつというコーティングをしてもらった。
これがかえってあだになった。できあがってきたコーティングのメインテナンスについて、きつい注文がついた。汚れをそのままにしておくと、コーティングが傷み、まだらになる。雨が降ったら、雨粒をそのままにしてはいけない。酸性雨がコーティングを傷める、特に鳥の糞や、樹木の下に置いたときに落ちてくる樹液はよくない、などと。最初の一ヶ月はコーティングが落ち着いていないので、ひんぱんに洗い、付属品として添付してあるクリーニング液を全体に塗るようにとの指示があった。
わが家の駐車場の前は、林になっていて、樹木の枝が車に覆い被さるように伸びてきている。そこから落ちる樹液による汚れがひどい。林を住処にしている鳥たちが排泄物の空爆を行う。それを平気で見過がせるようにコーティングしてもらったつもりなのだが、かえって手間がかかることになってしまった。思惑がはずれた。これまでもう3度も洗車をした。私が車を洗っている姿など見たことがない近所の方は、珍しいものを見たような顔をして通り過ぎる。やれやれ。
そこで考えたのはボディーカバーである。今さら駐車場に屋根を設置するつもりはない。三菱アイは、形が少し特異なので、汎用のボディカバーは難しいらしい。純正品を取り寄せた。今朝あらためて洗車し、ボディーカバーをセットした。上記画像がその姿である。
これでは車は、動き回るための道具というより、置物である。じじつあまり使わないことになるかもしれない。
これがかえってあだになった。できあがってきたコーティングのメインテナンスについて、きつい注文がついた。汚れをそのままにしておくと、コーティングが傷み、まだらになる。雨が降ったら、雨粒をそのままにしてはいけない。酸性雨がコーティングを傷める、特に鳥の糞や、樹木の下に置いたときに落ちてくる樹液はよくない、などと。最初の一ヶ月はコーティングが落ち着いていないので、ひんぱんに洗い、付属品として添付してあるクリーニング液を全体に塗るようにとの指示があった。
わが家の駐車場の前は、林になっていて、樹木の枝が車に覆い被さるように伸びてきている。そこから落ちる樹液による汚れがひどい。林を住処にしている鳥たちが排泄物の空爆を行う。それを平気で見過がせるようにコーティングしてもらったつもりなのだが、かえって手間がかかることになってしまった。思惑がはずれた。これまでもう3度も洗車をした。私が車を洗っている姿など見たことがない近所の方は、珍しいものを見たような顔をして通り過ぎる。やれやれ。
そこで考えたのはボディーカバーである。今さら駐車場に屋根を設置するつもりはない。三菱アイは、形が少し特異なので、汎用のボディカバーは難しいらしい。純正品を取り寄せた。今朝あらためて洗車し、ボディーカバーをセットした。上記画像がその姿である。
これでは車は、動き回るための道具というより、置物である。じじつあまり使わないことになるかもしれない。
2008年9月24日水曜日
「あとになれば、福田さんのスタイルが」と与謝野
福田内閣が総辞職したあとで、この内閣の閣僚が感想を求められたのだろう。そのなかで、与謝野経済財政担当大臣が「あとになれば、福田さんのスタイルを懐かしむ人が、きっと出てくるだろう」と、いつものしゃがれ声でしみじみ話しているのをテレビで見た。
私はこの発言に共感を覚える。衆参で、自・公と民主との間で、多数を占めている党が分かれているという難しい環境の中で、謙虚に、誠実に、けれん味なく、なんとか国民のための施策を一つでも実らせようと努めた政治姿勢は、かえって国民受けしなかった。が、その姿勢によくぞ徹していた。よくやっているなと、私は見てきた。
最後の記者会見で、「人ごとみたい」との批判的質問に対し、「私は自分を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」とキッとなって言い放った。この人らしからぬ、上ずった気分を露わにしていた。自分の気持ちと、世間の受け止め方とのずれに、いらだったのだろう。あの段階で身を退くというのは、この人らしい、大人の決断だったのだが、気持ちは高ぶっていた。この人は大人だが、ひと癖も、ふた癖もある練れた大人というのではない。相手が自分と同じレベルの成熟した大人でないことに、ときには耐えかねて、皮肉を言ったり、ぶっきらぼうに答える、そういうタイプの人だ。それをわたしは理解する。
福田さんが、そのような人であるということを、私は好もしく見ていた。時を得ず、このような乱世に、損な役回りでしたね。福田康夫さん。与謝野さんが言うように「そのスタイルを懐かしむ人が、あとになって」出てきますよ。きっと。
私はこの発言に共感を覚える。衆参で、自・公と民主との間で、多数を占めている党が分かれているという難しい環境の中で、謙虚に、誠実に、けれん味なく、なんとか国民のための施策を一つでも実らせようと努めた政治姿勢は、かえって国民受けしなかった。が、その姿勢によくぞ徹していた。よくやっているなと、私は見てきた。
最後の記者会見で、「人ごとみたい」との批判的質問に対し、「私は自分を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」とキッとなって言い放った。この人らしからぬ、上ずった気分を露わにしていた。自分の気持ちと、世間の受け止め方とのずれに、いらだったのだろう。あの段階で身を退くというのは、この人らしい、大人の決断だったのだが、気持ちは高ぶっていた。この人は大人だが、ひと癖も、ふた癖もある練れた大人というのではない。相手が自分と同じレベルの成熟した大人でないことに、ときには耐えかねて、皮肉を言ったり、ぶっきらぼうに答える、そういうタイプの人だ。それをわたしは理解する。
福田さんが、そのような人であるということを、私は好もしく見ていた。時を得ず、このような乱世に、損な役回りでしたね。福田康夫さん。与謝野さんが言うように「そのスタイルを懐かしむ人が、あとになって」出てきますよ。きっと。
2008年9月22日月曜日
平和護持を再編の軸に
TBS日曜朝の「時事放談」は、ハト派的政治家がよく用いられる政治番組だ(中曽根、森ら元首相も出るが)。朝のウォーキングの時間にかち合うので、録画して視聴する。昨日朝(08/9/21)は、自民党OBの野中広務と民主党の藤井裕久とがゲストだった。二つの話題が私には興味深かった。
一つは、麻生首相になったときに、アジア外交がうまくいくのかをふたりとも心配していたことだった。韓国との関係では、麻生がかつて創氏改名について失言した前歴があること、対中国でも、台湾寄りの姿勢をこれまでとってきたことなどが問題らしい。自民党は妙な政党で、外交の基本姿勢などはイッシューとせずに、総裁選びをしてしまう。小泉→安倍→福田という交代劇で、外交姿勢は際だってスイングした。外交こそ一貫性が大事だが、そこを問題としない。総裁選で政策が議論されているが、かつてあれだけ麻生嫌いに走っていた同じ党が、今度は雪崩をうって麻生支持に回っている。じつは政策など問題ではないのだ。選挙に勝ち、与党であり続けることがいちばん大事なことらしい。そのために候補は、選挙受けする政策を並べる。麻生氏が、この時期に、後期高齢者医療制度を見直すと節操なく言い出しても、頓着しない。
もう一つは、選挙の結果次第であるかもしれない政界再編について、野中が、平和を大事にすることを再編の軸とすることに、期待を表明したことだ。近頃の若い政治家世代の一部には、平和の大切さをいうより、他国と強硬に事を構えようとする傾向がある。そのことを野中はおおいに憂いているようだった。平和を大事にする、ナショナリズムを煽らず、アジアの近隣の国々と軍事的に対立しない道を追求する。そのような勢力の結集をはかることで政界が再編されることを期待したいということだった。藤井もそれには賛意を表していた。
社会保障を中心に将来の国のあり方をどうするのか。そのために年金、医療、介護制度などをどうするのか。財政をどうしていくのか。税制は? そのあたりが政策上の対立軸になって、再編が行われるのだろうと思いがちだ。その点では自民も民主との間で、政策上の色分けは判然としない。せいぜい手法が違うという程度だ。そのような政治状況の中で、戦争体験世代である野中は、平和を追求する外交姿勢が、他の政策課題に優先されて考慮されるべきだ、といいたいようだ。自民の一部よりはるかにタカ派的で、改憲に積極的に取り組もうとする政治集団が、民主にいる。逆に、自民には9条の原則を護持しようとする政治家がけっこういる。もし政界再編がありうるなら、東アジアにおける平和を重視し、憲法9条を大事に考えることを軸にしてほしいという野中の心情は、同世代としてたいへんよく分かる。
一つは、麻生首相になったときに、アジア外交がうまくいくのかをふたりとも心配していたことだった。韓国との関係では、麻生がかつて創氏改名について失言した前歴があること、対中国でも、台湾寄りの姿勢をこれまでとってきたことなどが問題らしい。自民党は妙な政党で、外交の基本姿勢などはイッシューとせずに、総裁選びをしてしまう。小泉→安倍→福田という交代劇で、外交姿勢は際だってスイングした。外交こそ一貫性が大事だが、そこを問題としない。総裁選で政策が議論されているが、かつてあれだけ麻生嫌いに走っていた同じ党が、今度は雪崩をうって麻生支持に回っている。じつは政策など問題ではないのだ。選挙に勝ち、与党であり続けることがいちばん大事なことらしい。そのために候補は、選挙受けする政策を並べる。麻生氏が、この時期に、後期高齢者医療制度を見直すと節操なく言い出しても、頓着しない。
もう一つは、選挙の結果次第であるかもしれない政界再編について、野中が、平和を大事にすることを再編の軸とすることに、期待を表明したことだ。近頃の若い政治家世代の一部には、平和の大切さをいうより、他国と強硬に事を構えようとする傾向がある。そのことを野中はおおいに憂いているようだった。平和を大事にする、ナショナリズムを煽らず、アジアの近隣の国々と軍事的に対立しない道を追求する。そのような勢力の結集をはかることで政界が再編されることを期待したいということだった。藤井もそれには賛意を表していた。
社会保障を中心に将来の国のあり方をどうするのか。そのために年金、医療、介護制度などをどうするのか。財政をどうしていくのか。税制は? そのあたりが政策上の対立軸になって、再編が行われるのだろうと思いがちだ。その点では自民も民主との間で、政策上の色分けは判然としない。せいぜい手法が違うという程度だ。そのような政治状況の中で、戦争体験世代である野中は、平和を追求する外交姿勢が、他の政策課題に優先されて考慮されるべきだ、といいたいようだ。自民の一部よりはるかにタカ派的で、改憲に積極的に取り組もうとする政治集団が、民主にいる。逆に、自民には9条の原則を護持しようとする政治家がけっこういる。もし政界再編がありうるなら、東アジアにおける平和を重視し、憲法9条を大事に考えることを軸にしてほしいという野中の心情は、同世代としてたいへんよく分かる。
2008年9月20日土曜日
教会での葬儀に出て
叔母の葬儀の機会に、久しぶりにキリスト教会の会合に出た。牧師さんの説教を聞いて、教会は全然変わっていないのだなとつくづく思った。その感想は二つの側面があった。一つには、自分がいかに教会から離れてしまったかをあらためて自覚したこと。もう一つには、教会が内部に閉じていて、外にいるものに向かって何か訴えるような言葉を持っていないと感じたこと。教会内部にいる人々は、永遠に変わらぬ真理に自分たちは立っているのだから、変わらないのが当然と言うだろうが。
葬儀は、日曜礼拝などの教会員の会合と違って、葬られる人に縁のあった非信者も集い、故人を弔い、遺族を慰めようとする機会である。その人たちに向かって、信じるものだけが主の身許に行ける(=救われる)、そこへいたる道は狭い、さいわい故人は篤い信仰のゆえに、今主のもとに召されたと語る。そのような語り口は、かつて内部にいたものとして、どんな意味合いかはある程度分かるが、全く外部にいて、この機会に参列した人たちに向かってどんなものなんだろう。
どの宗教もそうだが、固有の言語世界と救済の論理を持ち、この道を経ずしては救われないと説く。きわめて排他的だ。まあ、それが信仰の信仰たるゆえんだろうが、その排他性のままでは、世俗にある人々に説得力のある言葉で語りかけられないのではないか。内部にいるものは救いにあずかる。外にいる人は、可哀想に救われない、それで終わってしまう。そのままでいいのだろうか。
そんな閉鎖的な世界を作ってどうなるのか。人類全体に向かって開かれ、信じているものも、信じないものも、同じ言葉で話し合える地平に出なければしょうがないのではないか。そう感じたとき、ボンヘッファーのことを思い出していた。この人はそのことを、ヒットラーに捕らえられて獄中にあるとき、問題として受け止め、鋭く深く洞察した。しかし残念ながら、彼はナチス崩壊の直前死刑に処せられた。その洞察を実らせ、人々に語りかけることなく生涯を終えたのだった。それは教会と世界のその後にとって大きな損失だったと私は考える。しかし、彼の意志は彼の書き残したものを通し、十分に伝えられ、キリスト教会内だけでなく外部の人々にも衝撃的に受け止められた。新しいパラダイムの到来だった。在来宗教を超えた何かが、そこに垣間見えた。しかし、どのように在来の教会が変わっていくべきか、その具体像を彼は示さなかった。その時間がなかった。その後、キリスト教会は変わらなかった。彼の思想に影響され人々が、新しい教会の姿を生みだしたとは耳にしていない。むしろ彼の考えを受け止めた人は、教会内部にとどまれず、離れてしまったのだろうか。
変わらぬ固い(堅い?)説教の言葉を聞きながら、そんなことを考えていた。
葬儀は、日曜礼拝などの教会員の会合と違って、葬られる人に縁のあった非信者も集い、故人を弔い、遺族を慰めようとする機会である。その人たちに向かって、信じるものだけが主の身許に行ける(=救われる)、そこへいたる道は狭い、さいわい故人は篤い信仰のゆえに、今主のもとに召されたと語る。そのような語り口は、かつて内部にいたものとして、どんな意味合いかはある程度分かるが、全く外部にいて、この機会に参列した人たちに向かってどんなものなんだろう。
どの宗教もそうだが、固有の言語世界と救済の論理を持ち、この道を経ずしては救われないと説く。きわめて排他的だ。まあ、それが信仰の信仰たるゆえんだろうが、その排他性のままでは、世俗にある人々に説得力のある言葉で語りかけられないのではないか。内部にいるものは救いにあずかる。外にいる人は、可哀想に救われない、それで終わってしまう。そのままでいいのだろうか。
そんな閉鎖的な世界を作ってどうなるのか。人類全体に向かって開かれ、信じているものも、信じないものも、同じ言葉で話し合える地平に出なければしょうがないのではないか。そう感じたとき、ボンヘッファーのことを思い出していた。この人はそのことを、ヒットラーに捕らえられて獄中にあるとき、問題として受け止め、鋭く深く洞察した。しかし残念ながら、彼はナチス崩壊の直前死刑に処せられた。その洞察を実らせ、人々に語りかけることなく生涯を終えたのだった。それは教会と世界のその後にとって大きな損失だったと私は考える。しかし、彼の意志は彼の書き残したものを通し、十分に伝えられ、キリスト教会内だけでなく外部の人々にも衝撃的に受け止められた。新しいパラダイムの到来だった。在来宗教を超えた何かが、そこに垣間見えた。しかし、どのように在来の教会が変わっていくべきか、その具体像を彼は示さなかった。その時間がなかった。その後、キリスト教会は変わらなかった。彼の思想に影響され人々が、新しい教会の姿を生みだしたとは耳にしていない。むしろ彼の考えを受け止めた人は、教会内部にとどまれず、離れてしまったのだろうか。
変わらぬ固い(堅い?)説教の言葉を聞きながら、そんなことを考えていた。
2008年9月18日木曜日
袋田の滝の新しい観瀑台(2)
袋田の滝の新しい観瀑台
茨城県の北部、奥久慈渓谷にある袋田の滝は、水量も落差もさほどではないが、「四度の滝」と呼ばれるとおり、四段に変化に富んだ姿で落ちるさま、とくに最下段が約70メートルの幅で流れ落ちるのを間近に見ることができることから、名瀑として知られ、訪れる人も多い。冬季には滝全体が凍結することもある。この滝を見るには長いトンネルを経て、観瀑台に至る。ここは滝の下部を見るには絶好の場所にあるが(上の画像)、上のほうはよく見えない。
今回エレベーターが新設され、これまでの観瀑台より50メートルほど高い位置にあるデッキに登り、上から滝全体の眺望をえられるという。9月13日にオープンしたばかりである。テレビなどで放映されたこともあり、地元住人(水戸から車で一時間半)としてはいち早くいってみたくなっていた。月、火と前エントリーに書いた事情から東京に出かけていたが、好天はどうやら水曜日しか期待できないらしい。思い立って昨日出かけてみた。軽自動車三菱アイによる初ドライブもかねていた。
週日とあって、さほど人出はなかった。トンネルを抜けると、展望台いっぱいに幅広く最下段の滝が拡がっている。その迫力は絶大である。久しく訪ねていなかったので、改めてこの滝の凄さを再確認する。新設のエレベーターに乗る。待ち時間なしだが、ひっきりなしに人を運んでいる。普通の建物からすると8階から10階分ぐらいだろうか。ちょっと時間がかかる。降りると三段のデッキがある。最上段に駆け上がる。
一目見て、がっかり。期待しすぎだった。これまでの観瀑台から高さ50メートル登り、滝の最上部とほぼ同じ高さから滝全体を見降ろすことができると思っていたら、滝の下半分は木々の茂みに隠されていて、部分的に見え隠れする程度(次のエントリに画像を)。滝の全貌が見えるわけでない。エレベーターと展望デッキが設けられた位置は、これまで観瀑台の真上ではなく、かなり滝から後ろに引いた位置にある。その分だけ滝とは距離ができたし、景観を害さないよう、滝に対面する崖の茂みの中に隠されている。たしかに、下からよく見えなかった上二段分の滝はよく見える。それが、この新観瀑台の存在価値だが、下が見えないのは興ざめだった。間もなく紅葉のシーズンとなる。このあたりは紅葉の名所である。滝を見るのに今は邪魔な木々が、紅葉すれば、新観瀑台から見る滝の姿にむしろ趣を添えることだろう。
滝見物のついでに北の大子(だいご)温泉にいたり、宿で温泉を楽しみ、一泊してきた。帰りは雨だった。三菱アイによるドライブは、軽自動車とはいえいい走りで、長距離ドライブもこれならできるなと合格点。これからこのかわいい車で少し出回ってみることにしよう。
今回エレベーターが新設され、これまでの観瀑台より50メートルほど高い位置にあるデッキに登り、上から滝全体の眺望をえられるという。9月13日にオープンしたばかりである。テレビなどで放映されたこともあり、地元住人(水戸から車で一時間半)としてはいち早くいってみたくなっていた。月、火と前エントリーに書いた事情から東京に出かけていたが、好天はどうやら水曜日しか期待できないらしい。思い立って昨日出かけてみた。軽自動車三菱アイによる初ドライブもかねていた。
週日とあって、さほど人出はなかった。トンネルを抜けると、展望台いっぱいに幅広く最下段の滝が拡がっている。その迫力は絶大である。久しく訪ねていなかったので、改めてこの滝の凄さを再確認する。新設のエレベーターに乗る。待ち時間なしだが、ひっきりなしに人を運んでいる。普通の建物からすると8階から10階分ぐらいだろうか。ちょっと時間がかかる。降りると三段のデッキがある。最上段に駆け上がる。
一目見て、がっかり。期待しすぎだった。これまでの観瀑台から高さ50メートル登り、滝の最上部とほぼ同じ高さから滝全体を見降ろすことができると思っていたら、滝の下半分は木々の茂みに隠されていて、部分的に見え隠れする程度(次のエントリに画像を)。滝の全貌が見えるわけでない。エレベーターと展望デッキが設けられた位置は、これまで観瀑台の真上ではなく、かなり滝から後ろに引いた位置にある。その分だけ滝とは距離ができたし、景観を害さないよう、滝に対面する崖の茂みの中に隠されている。たしかに、下からよく見えなかった上二段分の滝はよく見える。それが、この新観瀑台の存在価値だが、下が見えないのは興ざめだった。間もなく紅葉のシーズンとなる。このあたりは紅葉の名所である。滝を見るのに今は邪魔な木々が、紅葉すれば、新観瀑台から見る滝の姿にむしろ趣を添えることだろう。
滝見物のついでに北の大子(だいご)温泉にいたり、宿で温泉を楽しみ、一泊してきた。帰りは雨だった。三菱アイによるドライブは、軽自動車とはいえいい走りで、長距離ドライブもこれならできるなと合格点。これからこのかわいい車で少し出回ってみることにしよう。
2008年9月16日火曜日
叔母の死
叔母が亡くなった。母の兄妹4人のうちの、最後の1人だった。1913年生まれ、95歳。よく生きた。残された子ら(私の従弟妹たち)3人は、明るい表情で、母親の死を悲しんでいる風ではかなった。母やその男兄弟と違って、ごく平凡な主婦として家庭を守り、子どもを育てることに励んだ人だった。もっとも、連れ合いを早く亡くしたあと、ある大学の学生のためのサービス施設で働いて、けっこう活躍していたと聞いた。
明るい、くせのない人だった。他の兄姉が癖があり過ぎだったともいえるが。しいて癖というなら、そのおしゃべりぶりだった。母の晩年、静岡の老人ホームへ東京から定期的に来てくれる妹との対面を、母はことのほか心待ちしていた。しかし最後の頃は、そのあまりのおしゃべりぶりに耐えられない風だった。何とかこの子のおしゃべりを止めるよう、誰か言ってくれないかと、父や私に言うのだった。
私はこの人にたいそうお世話になったことがある。高校3年になったばかり。父の転勤で、大分から東京へ移ることになった。進学のこともあるから、できるだけ早いほうがいいと、私だけ一足先に東京に出て、転校先を探した。叔母は新宿高校に掛け合ってくれたが、すでに編入試験が終わったあとと断られ、その姉妹校と称する別の都立高校に紹介された。叔母はこの間、わがことのように駆け回ってくれた。その間、私を一ヶ月居候させてもくれた。3部屋しかない家に家族5人で住んでいた。ちょうどその頃、もう1人の甥を居候させていた上に、私を受け容れてくれたのだった。今の住宅事情、家族関係では考えられないようなことだったが、その頃はそれほど無理なことではなかった。とはいえ、この叔母ならではのおおらかな心遣いだった。この叔母のお世話があったおかげで、翌春、私は希望校に現役入学を果たしたともいえる。
そんな叔母にこのところお目にかかる機会もなかった。老人ホームに入り、最後の一ヶ月は病院で、ほとんど老衰の死だったようだ。次第に食べなくなり、最後は安らかに息を引き取ったという。
一昨日(9/14)亡くなった。その知らせが、昨日(9/15)の朝、私の姉からあり、私は昼過ぎに東京に出て、その日のお通夜と、今日(9/16)の葬儀に出て、今夕水戸へ帰ってきた。通夜も葬儀も叔母が長年会員だった教会でおこわなわれた。私の親族はほとんどクリスチャンである(3代続いた牧師の家系だから)。当然のような教会の雰囲気だったが、私ひとり違和感を感じながら、その席に連なった。それについては別のエントリで書こう。
叔母の死が、親族たちを久しぶりに集めてくれた。私自身の姉弟4人とその連れ合い、甥姪たち、叔母の兄弟の子どもたち(従弟妹たち)と久しぶりに会い、それぞれ近況を知った。こんなことでもないと互いに会う機会もなかった。それぞれの幸せ、平穏、変化、悩みを抱えているようだった。それを話題にするのはいささかはばかる。やめておこう。
明るい、くせのない人だった。他の兄姉が癖があり過ぎだったともいえるが。しいて癖というなら、そのおしゃべりぶりだった。母の晩年、静岡の老人ホームへ東京から定期的に来てくれる妹との対面を、母はことのほか心待ちしていた。しかし最後の頃は、そのあまりのおしゃべりぶりに耐えられない風だった。何とかこの子のおしゃべりを止めるよう、誰か言ってくれないかと、父や私に言うのだった。
私はこの人にたいそうお世話になったことがある。高校3年になったばかり。父の転勤で、大分から東京へ移ることになった。進学のこともあるから、できるだけ早いほうがいいと、私だけ一足先に東京に出て、転校先を探した。叔母は新宿高校に掛け合ってくれたが、すでに編入試験が終わったあとと断られ、その姉妹校と称する別の都立高校に紹介された。叔母はこの間、わがことのように駆け回ってくれた。その間、私を一ヶ月居候させてもくれた。3部屋しかない家に家族5人で住んでいた。ちょうどその頃、もう1人の甥を居候させていた上に、私を受け容れてくれたのだった。今の住宅事情、家族関係では考えられないようなことだったが、その頃はそれほど無理なことではなかった。とはいえ、この叔母ならではのおおらかな心遣いだった。この叔母のお世話があったおかげで、翌春、私は希望校に現役入学を果たしたともいえる。
そんな叔母にこのところお目にかかる機会もなかった。老人ホームに入り、最後の一ヶ月は病院で、ほとんど老衰の死だったようだ。次第に食べなくなり、最後は安らかに息を引き取ったという。
一昨日(9/14)亡くなった。その知らせが、昨日(9/15)の朝、私の姉からあり、私は昼過ぎに東京に出て、その日のお通夜と、今日(9/16)の葬儀に出て、今夕水戸へ帰ってきた。通夜も葬儀も叔母が長年会員だった教会でおこわなわれた。私の親族はほとんどクリスチャンである(3代続いた牧師の家系だから)。当然のような教会の雰囲気だったが、私ひとり違和感を感じながら、その席に連なった。それについては別のエントリで書こう。
叔母の死が、親族たちを久しぶりに集めてくれた。私自身の姉弟4人とその連れ合い、甥姪たち、叔母の兄弟の子どもたち(従弟妹たち)と久しぶりに会い、それぞれ近況を知った。こんなことでもないと互いに会う機会もなかった。それぞれの幸せ、平穏、変化、悩みを抱えているようだった。それを話題にするのはいささかはばかる。やめておこう。
2008年9月14日日曜日
iPhoneのアップデート
iPhoneのソフトがアップデートされた。2.02が、2.1になった。格段に動きがよくなった。文字はタッチパネルで入力するのだが、それがとても早くなった。これまでは、しばらくじっと考えている、というようはところがあった。日本語変換もよくなった。iPhoneでは、携帯電話での入力方法と違うテンキー方式というのか、十字選択式という、ユニークな方法をとっていた。この更新で、それがキビキビ動くようになり、この方式の良さがはじめて実感できる。これまではiPhoneでメールやメモ書きをする気がしないほどだったのだが、これでやっと満足にやれそうだ。ほかにも全体としての動きが、安定したようだ。これまではしばしば、読んでいる画面が落ちることがあったが、それが少なくなった。mixiコミュでは、ソフトバンクの電波への接続がよくなったという話も出ている。
iPhoneは、パソコン上のソフトウエア iTunes との組み合わせで、iPhone内部のファームウエアを更新してくれるところが素晴らしい。発売して、ユーザーからのクレームが殺到したのを受けて、早速対応してのこのアップデートだ。この柔軟な仕組みゆえに、とりあえず製品を出しておいて、あとは追い追い性能を向上していくことができる。今ではパソコンなどもOSやブラウザーを、ブロードバンド接続経由でアップデートするのは当たり前だ。ソフトもアップデートされる。たとえば、ネットブラウザーの Firefox は、無償提供なのに、めざましくアップデートされてきた。しかし、電子機器そのもののファームウェアがこれだけアップデートされていくのは、やはりすごいことなのではないか。機器の性能が買ったときのものを格段に上回ったものへと進化していく。アップルはやるな、という感じがする。
このアップデートを知ったのは、電子メール配信を受けているBusinessWeek(BW) 電子メール配信を読んだからだった。その9/12日刊行誌に"Apple event fails to dazzle"という特集が組まれている。アップル社のCEO、Steve Jobs が出てのプレス発表はいつも意表を突くものだったが、今度はそれほどでなかった、という記事だ。日本では、iPhoneの売れ行きが予想ほどよくなかったので、アップルはiPodの新製品でお茶を濁している、というニュアンスで報道された。BWでは、iPhoneの売れ行きとは関連づけず、音楽プレーヤー分野でのiPodの独占状態の余裕で、格別の技術革新なしに、カラーをとりそろえたり、安価にしたりという、アップルらしからぬイベントだったと報じている。技術(innovation)ではなく、お化粧(cosmetic)で売るとは何だ、という趣旨で特集記事を書いている。その記事の最後の部分に、iPhoneのアップグレードを9月13日行うようだとあった。発売後寄せられたユーザーのさまざまなcomplaintsに対応するためだという。日本では遅れるのかと思いながら、iTunes経由で更新の有無を調べてみると、日本でも同時にアップデートされていた。日本語変換が格段に改善されたことからすると、日本チームを含めて、アップルはずいぶん頑張っているな、と思われる。
iPhoneは、パソコン上のソフトウエア iTunes との組み合わせで、iPhone内部のファームウエアを更新してくれるところが素晴らしい。発売して、ユーザーからのクレームが殺到したのを受けて、早速対応してのこのアップデートだ。この柔軟な仕組みゆえに、とりあえず製品を出しておいて、あとは追い追い性能を向上していくことができる。今ではパソコンなどもOSやブラウザーを、ブロードバンド接続経由でアップデートするのは当たり前だ。ソフトもアップデートされる。たとえば、ネットブラウザーの Firefox は、無償提供なのに、めざましくアップデートされてきた。しかし、電子機器そのもののファームウェアがこれだけアップデートされていくのは、やはりすごいことなのではないか。機器の性能が買ったときのものを格段に上回ったものへと進化していく。アップルはやるな、という感じがする。
このアップデートを知ったのは、電子メール配信を受けているBusinessWeek(BW) 電子メール配信を読んだからだった。その9/12日刊行誌に"Apple event fails to dazzle"という特集が組まれている。アップル社のCEO、Steve Jobs が出てのプレス発表はいつも意表を突くものだったが、今度はそれほどでなかった、という記事だ。日本では、iPhoneの売れ行きが予想ほどよくなかったので、アップルはiPodの新製品でお茶を濁している、というニュアンスで報道された。BWでは、iPhoneの売れ行きとは関連づけず、音楽プレーヤー分野でのiPodの独占状態の余裕で、格別の技術革新なしに、カラーをとりそろえたり、安価にしたりという、アップルらしからぬイベントだったと報じている。技術(innovation)ではなく、お化粧(cosmetic)で売るとは何だ、という趣旨で特集記事を書いている。その記事の最後の部分に、iPhoneのアップグレードを9月13日行うようだとあった。発売後寄せられたユーザーのさまざまなcomplaintsに対応するためだという。日本では遅れるのかと思いながら、iTunes経由で更新の有無を調べてみると、日本でも同時にアップデートされていた。日本語変換が格段に改善されたことからすると、日本チームを含めて、アップルはずいぶん頑張っているな、と思われる。
2008年9月13日土曜日
二期会オペラ「エフゲニー・オネーギン」を観る
東京へ出かけたのは、これ(二期会・エフゲニー・オネーギン)を観るためであった。
チャイコフスキーの代表的なオペラとして、その名は知っていたが、はじめて見るものであった。有名なオペラ演出家コンヴィチュニーの演出(それについての解説はここ)は、このオペラを奇をてらわず、堂々としたドラマとして仕立て上げていて、主な歌い手の力量もあって、じつに聴き応えがあった。群像の動き、歌は非常にドラマティックで、厚みのあるドラマになっていた。
特にオネーギン役の黒田博は堂々とした風格と貫禄の歌いぶりはさすが。タチアーナ役の津山恵はひたすらな純愛をオネーギンにささげながらも、受け容れられない悩み多き娘時代、公爵夫人としてオネーギンに再会した時、彼への愛を想い起こしながらも、きっぱりとそれを断ち切る凛とした姿への変貌を歌い分け、見事なヒロイン役を演じていた。
じつにロシアっぽい雰囲気を見事に出していた。それもプーシキン原作の描く、社会的問題に覚醒しつつも徹しきれない一時代の貴族インテリゲンチャー群の生きた時代を。おそらくプーシキンの原作にも、このオペラにも、描かれていない部分があるように思う。このストーリーのままだと、オネーギンは、娘心をもてあそび、友人を裏切った単なる無頼になってしまう。オネーギンはひどい男、タチアーナが可哀想、ということで終わってしまう。しかし、たぶん彼は旧態依然たるロシアの地方社会に安住できず、脱出を模索して、それ故に、愛と平穏な家庭生活をわざとぶちこわして、流浪したのだろう。その部分はポジティブに語られていない。それ故か、観覧後は、ドラマとしての仕上げの見事さに感心しつつも、ストーリーにはいささか釈然としない、複雑な気分が残ってしまった。
チャイコフスキーの代表的なオペラとして、その名は知っていたが、はじめて見るものであった。有名なオペラ演出家コンヴィチュニーの演出(それについての解説はここ)は、このオペラを奇をてらわず、堂々としたドラマとして仕立て上げていて、主な歌い手の力量もあって、じつに聴き応えがあった。群像の動き、歌は非常にドラマティックで、厚みのあるドラマになっていた。
特にオネーギン役の黒田博は堂々とした風格と貫禄の歌いぶりはさすが。タチアーナ役の津山恵はひたすらな純愛をオネーギンにささげながらも、受け容れられない悩み多き娘時代、公爵夫人としてオネーギンに再会した時、彼への愛を想い起こしながらも、きっぱりとそれを断ち切る凛とした姿への変貌を歌い分け、見事なヒロイン役を演じていた。
じつにロシアっぽい雰囲気を見事に出していた。それもプーシキン原作の描く、社会的問題に覚醒しつつも徹しきれない一時代の貴族インテリゲンチャー群の生きた時代を。おそらくプーシキンの原作にも、このオペラにも、描かれていない部分があるように思う。このストーリーのままだと、オネーギンは、娘心をもてあそび、友人を裏切った単なる無頼になってしまう。オネーギンはひどい男、タチアーナが可哀想、ということで終わってしまう。しかし、たぶん彼は旧態依然たるロシアの地方社会に安住できず、脱出を模索して、それ故に、愛と平穏な家庭生活をわざとぶちこわして、流浪したのだろう。その部分はポジティブに語られていない。それ故か、観覧後は、ドラマとしての仕上げの見事さに感心しつつも、ストーリーにはいささか釈然としない、複雑な気分が残ってしまった。
パソコンなしの上京で、iPhoneは使いものになったか
11日から3日間、東京へ出かけていた。
こちらの雑記帳の方は、できれば毎日更新と思っているが、東京へ出かけている間は、エントリアップが難しい。iPhone の導入にともなう通信経費増に対応して、東京宅の固定電話を解約した。これで、ノートパソコンによるダイヤルアップ接続という手段がなくなった。その目的以外にほとんど使わない固定電話のため基本料を払い続けるのはもったいない。東京でのネット接続はiPhoneオンリーになった。
iPhoneは、パソコン代わりになるはずだが、もろもろ制約がある。たとえば、この雑記帳の書き込み先は、safari(Macの標準ブラウザー、iPhoneにもこれが載っている)を受け付けない。Firefox でないといけないのだ。それにiPhoneでは、メールの読み書き、ネット読みはできるが、ネット書き込みは、実質的に無理だ。しっかりした接続状態が持続すればいいのだが、ソフトバンクのラインがときどき切断される。他の利用者が入り込んでビジーになると、はじかれるのだろう。
再接続すると、同じ画面に戻ることもあるが、新規にやり直しになることが多い。ID番号やパスワードを記憶してくれる機能がない。書きかけのテキストが飛んでしまった上に、ID番号から入力し直すのでは、気持ちが萎える。
そんなわけで、mixiの書き込みもやれなかったし、ましてこの雑記帳の更新などおぼつかなかった。
iPhoneは、携帯端末としては、まだまだノートパソコンの実質的な代用にはならない。アップル社のことだ、追い追い機能的に強化されることを期待したい。
あと、ソフトバンクの携帯用電波に頼るだけでは不十分だ。日中から夜の早い時間には、都心の屋外でも、安定した接続を確保できないようだ。やはり無線LANによるワイアレス接続手段を考える必要がありそうだ。一度使っていたlivedoorの接続はとうに解約してまったが、それを含むワイアレス接続をセットにしたサービスをヨドバシカメラが月380円で提供し始めている。それなども考えよう。ワイアレスの方が、ソフトバンクのパケット代よりずっと安くてすみそうだ。それに早くて安定している。ソフトバンクが当初の料金設定を改め、パケ放題でも使用量が少ない場合の割引を始めた。wifi利用で料金を節約できるかもしれない。うちでも無線LANを利用した方が良さそうだ。
iPhoneで一番重宝したのは、ニュース読みである。新聞社はiPhone用のニュース配信を始めている(i.asahiなど)。しかしこれはブラウザーを使っての配信だ。記事全文となると、PC用画面になり、画面サイズにフィットしない。拡大して読む必要がある。その点で、NYTは、iPhoneのアプリとして、選別した記事と、論説欄全文をジャストサイズで配信してくれている(無料)。iPhone独特の横画面にすると、ただちにサイズフィットし、余計な広告なども入らない。これは重宝で、在宅時でもこれでNYTを読んでいる。
こちらの雑記帳の方は、できれば毎日更新と思っているが、東京へ出かけている間は、エントリアップが難しい。iPhone の導入にともなう通信経費増に対応して、東京宅の固定電話を解約した。これで、ノートパソコンによるダイヤルアップ接続という手段がなくなった。その目的以外にほとんど使わない固定電話のため基本料を払い続けるのはもったいない。東京でのネット接続はiPhoneオンリーになった。
iPhoneは、パソコン代わりになるはずだが、もろもろ制約がある。たとえば、この雑記帳の書き込み先は、safari(Macの標準ブラウザー、iPhoneにもこれが載っている)を受け付けない。Firefox でないといけないのだ。それにiPhoneでは、メールの読み書き、ネット読みはできるが、ネット書き込みは、実質的に無理だ。しっかりした接続状態が持続すればいいのだが、ソフトバンクのラインがときどき切断される。他の利用者が入り込んでビジーになると、はじかれるのだろう。
再接続すると、同じ画面に戻ることもあるが、新規にやり直しになることが多い。ID番号やパスワードを記憶してくれる機能がない。書きかけのテキストが飛んでしまった上に、ID番号から入力し直すのでは、気持ちが萎える。
そんなわけで、mixiの書き込みもやれなかったし、ましてこの雑記帳の更新などおぼつかなかった。
iPhoneは、携帯端末としては、まだまだノートパソコンの実質的な代用にはならない。アップル社のことだ、追い追い機能的に強化されることを期待したい。
あと、ソフトバンクの携帯用電波に頼るだけでは不十分だ。日中から夜の早い時間には、都心の屋外でも、安定した接続を確保できないようだ。やはり無線LANによるワイアレス接続手段を考える必要がありそうだ。一度使っていたlivedoorの接続はとうに解約してまったが、それを含むワイアレス接続をセットにしたサービスをヨドバシカメラが月380円で提供し始めている。それなども考えよう。ワイアレスの方が、ソフトバンクのパケット代よりずっと安くてすみそうだ。それに早くて安定している。ソフトバンクが当初の料金設定を改め、パケ放題でも使用量が少ない場合の割引を始めた。wifi利用で料金を節約できるかもしれない。うちでも無線LANを利用した方が良さそうだ。
iPhoneで一番重宝したのは、ニュース読みである。新聞社はiPhone用のニュース配信を始めている(i.asahiなど)。しかしこれはブラウザーを使っての配信だ。記事全文となると、PC用画面になり、画面サイズにフィットしない。拡大して読む必要がある。その点で、NYTは、iPhoneのアプリとして、選別した記事と、論説欄全文をジャストサイズで配信してくれている(無料)。iPhone独特の横画面にすると、ただちにサイズフィットし、余計な広告なども入らない。これは重宝で、在宅時でもこれでNYTを読んでいる。
2008年9月10日水曜日
『間違いだらけの農業政策』
文藝春秋10月号は、「石油・食料危機、常識のウソ」という特集を組んでいる。
そのなかにある、神門善久『間違いだらけの農業政策』は、この問題になると必ず唱えられる、食糧自給率とか、減反とかのお題目に、私たちは騙されていると指摘する。以下に彼の書いていることの概要をまとめてみた。
- 国際的な食料危機について
・ここ数年の穀物値上がりを、世界規模の食糧危機に結びつけていうのは短絡的。
・ここ2,3年の価格急上昇は、先進国のエゴの結果。
・アメリカ、EUなどが自国の農業を保護するために、途上国の穀物生産を押さえ込む政策をとった結果。
・またバイオエネルギー需要を急増させてのも先進国の都合。
・中国・インドなど新興国の需要増は今に始まったことではない。そのせいにするのはおかしい。
- 日本の食糧問題
・海外からの輸入農産物に押されて自給率が下がったというのはウソ。
・主要農産物についての自由化は、ここ十年来行われていない。輸入に押されて食料生産が減少しているのではなく、日本の農民が自主的に生産を止めているから。
・真面目に米作りに取り組んでいる農家は、285万戸の農家のうち、わずか7万戸。
・大部分は、零細な農地を持つ、サラリーマン兼業農家。彼らの一部が優良農地での耕作を放棄している。
・彼らは農地の土地転用による現金収入を待っている。「転用期待」が、日本の農業を歪ませている最大の原因。
・減反を止めれば、米生産が増え、食糧問題が解決するというのは幻想。実際問題として、減反そのものが形骸化している。
・規制緩和による企業参入は解決策にならない。「仮登記」などの手段で、企業参入は事実上進んでいる。それが農地の農外転用の手段となり、かえって日本の農業を停滞させている。
・農地転用をきちんとコントロールし、農地が真面目な農業者による農地に使われるようにすることが大事。
そのなかにある、神門善久『間違いだらけの農業政策』は、この問題になると必ず唱えられる、食糧自給率とか、減反とかのお題目に、私たちは騙されていると指摘する。以下に彼の書いていることの概要をまとめてみた。
- 国際的な食料危機について
・ここ数年の穀物値上がりを、世界規模の食糧危機に結びつけていうのは短絡的。
・ここ2,3年の価格急上昇は、先進国のエゴの結果。
・アメリカ、EUなどが自国の農業を保護するために、途上国の穀物生産を押さえ込む政策をとった結果。
・またバイオエネルギー需要を急増させてのも先進国の都合。
・中国・インドなど新興国の需要増は今に始まったことではない。そのせいにするのはおかしい。
- 日本の食糧問題
・海外からの輸入農産物に押されて自給率が下がったというのはウソ。
・主要農産物についての自由化は、ここ十年来行われていない。輸入に押されて食料生産が減少しているのではなく、日本の農民が自主的に生産を止めているから。
・真面目に米作りに取り組んでいる農家は、285万戸の農家のうち、わずか7万戸。
・大部分は、零細な農地を持つ、サラリーマン兼業農家。彼らの一部が優良農地での耕作を放棄している。
・彼らは農地の土地転用による現金収入を待っている。「転用期待」が、日本の農業を歪ませている最大の原因。
・減反を止めれば、米生産が増え、食糧問題が解決するというのは幻想。実際問題として、減反そのものが形骸化している。
・規制緩和による企業参入は解決策にならない。「仮登記」などの手段で、企業参入は事実上進んでいる。それが農地の農外転用の手段となり、かえって日本の農業を停滞させている。
・農地転用をきちんとコントロールし、農地が真面目な農業者による農地に使われるようにすることが大事。
2008年9月9日火曜日
蒸留した焼酎に毒素は混入するのか
事故米という、農薬やカビ毒が混入した米が、焼酎に使われたというので、製造元、販売業者、そして消費者を巻き込んで大騒ぎなっている。私も芋焼酎や麦焼酎などを愛好しているので、人ごとでない。
本来このような食品に使っていけないはずの事故米をごまかして流通させることで、結果として人が口にする食品・飲料に入ってしまった。それはそれで問題であるが、製品としての焼酎にどれだけの有害成分が含有されているのだろうか。焼酎は蒸留酒である。発酵させた原材料を加熱して蒸発し、早い段階で蒸発してくる成分を凝集する過程(蒸留)でできた酒である。この過程で、沸点の低い成分は蒸留酒に混入し、濃縮される。他方、沸点の高い、なかなか蒸発しない成分は蒸留酒には混じらない。いま問題になっている毒の成分は、どちらなのか。そういう科学的議論なしに、焼酎そのものに毒が混じっているかのように騒いている。
私は芋焼酎好みである。芋焼酎はサツマイモから作られているのだから、米の問題とは無縁だと思っていた。ところが、芋を発酵させるもとになる麹に、米が使われたらしい。それにしても、蒸留する原材料に占める米はわずかなものだろう。さらにその米が100%、事故米ではあるまい。何段階かの流通過程で、事故米が混ぜられたらしい。
事故米が原料に用いられたこと自体、問題であるが、有害成分が、どの程度蒸留物に混じっているのか。そもそも蒸留という過程で、製品としての焼酎に混入するのか、しないのか。どの程度か。市販される製品がほんとうに毒で汚染しているのか。分析機器で検出されるほど毒成分が入っているのか。飲んだ場合、人体にほんとうに有害なほど含まれているのか。そういうことがいっこうに話題にされることなく、大量の製品の回収騒ぎになっているのが分からない。
焼酎は甲類と乙類がある。甲類は連続蒸留法で、ほとんど不純物のない純アルコール成分が蒸留から得られ、アルコール濃度を水で割ることで調整されたものである。乙類は単式蒸留という、一回蒸留で作られる。材料に含まれる香り成分などが、蒸留成分に混入することで、独特の風味が加わり、その風味と味わいが焼酎愛好家を楽しませる。その風味の中に、問題の毒成分が加わるのか、そうではないのか。専門家は知っているのではないか。知らないとしても、分析器にかけてみれば分かることで、そんなに騒ぐことはない。
飲み助は、意地汚い。100%ピュアなど望んでいない。もともとアルコールは少々毒と承知の上で飲んでいる。未知の地へ行って、多少いかがわしい飲み物でも、平気で飲む。いやむしろその機会を稀有のものとしてありがたがる。アルコール禁止のパキスタンの僻地、フンザとかチトラルの谷で、自家醸造のワインと称するお酢とも酒ともつかぬ飲料を飲んだことがある。ヴェトナムの焼酎では悪酔いした。タクラマカン砂漠のフータンでは、マオタイに似たすごくアクの強い酒を飲んでみた。日本でも、近くのファームで手に入る粕取り焼酎を、その臭さに辟易しながらも時おり口にする。この粕取りは、戦後の闇市で売られていたカストリとは別の珍品である。
こんな愚にもつかぬ事を書いて、つい、その気になり、ひさしぶりにその粕取りのボトルを取り出した。おお、臭!
【08/9/13 追記】
その後、事故米(汚染米)の不正食品転用は、つかみかねるほどの広がりを見せ、官庁の監督責任、米流通業者のモラルのなさなどが大問題となっている。私が書いたのは、その問題はそれとして、焼酎が汚染されているか、という科学的側面であった。しかしこういう場面では、汚染されているかどうかというようなことを、当事者も第3者もあえて口にすることなどできず、風評被害への対応に追われているのだろう。
本来このような食品に使っていけないはずの事故米をごまかして流通させることで、結果として人が口にする食品・飲料に入ってしまった。それはそれで問題であるが、製品としての焼酎にどれだけの有害成分が含有されているのだろうか。焼酎は蒸留酒である。発酵させた原材料を加熱して蒸発し、早い段階で蒸発してくる成分を凝集する過程(蒸留)でできた酒である。この過程で、沸点の低い成分は蒸留酒に混入し、濃縮される。他方、沸点の高い、なかなか蒸発しない成分は蒸留酒には混じらない。いま問題になっている毒の成分は、どちらなのか。そういう科学的議論なしに、焼酎そのものに毒が混じっているかのように騒いている。
私は芋焼酎好みである。芋焼酎はサツマイモから作られているのだから、米の問題とは無縁だと思っていた。ところが、芋を発酵させるもとになる麹に、米が使われたらしい。それにしても、蒸留する原材料に占める米はわずかなものだろう。さらにその米が100%、事故米ではあるまい。何段階かの流通過程で、事故米が混ぜられたらしい。
事故米が原料に用いられたこと自体、問題であるが、有害成分が、どの程度蒸留物に混じっているのか。そもそも蒸留という過程で、製品としての焼酎に混入するのか、しないのか。どの程度か。市販される製品がほんとうに毒で汚染しているのか。分析機器で検出されるほど毒成分が入っているのか。飲んだ場合、人体にほんとうに有害なほど含まれているのか。そういうことがいっこうに話題にされることなく、大量の製品の回収騒ぎになっているのが分からない。
焼酎は甲類と乙類がある。甲類は連続蒸留法で、ほとんど不純物のない純アルコール成分が蒸留から得られ、アルコール濃度を水で割ることで調整されたものである。乙類は単式蒸留という、一回蒸留で作られる。材料に含まれる香り成分などが、蒸留成分に混入することで、独特の風味が加わり、その風味と味わいが焼酎愛好家を楽しませる。その風味の中に、問題の毒成分が加わるのか、そうではないのか。専門家は知っているのではないか。知らないとしても、分析器にかけてみれば分かることで、そんなに騒ぐことはない。
飲み助は、意地汚い。100%ピュアなど望んでいない。もともとアルコールは少々毒と承知の上で飲んでいる。未知の地へ行って、多少いかがわしい飲み物でも、平気で飲む。いやむしろその機会を稀有のものとしてありがたがる。アルコール禁止のパキスタンの僻地、フンザとかチトラルの谷で、自家醸造のワインと称するお酢とも酒ともつかぬ飲料を飲んだことがある。ヴェトナムの焼酎では悪酔いした。タクラマカン砂漠のフータンでは、マオタイに似たすごくアクの強い酒を飲んでみた。日本でも、近くのファームで手に入る粕取り焼酎を、その臭さに辟易しながらも時おり口にする。この粕取りは、戦後の闇市で売られていたカストリとは別の珍品である。
こんな愚にもつかぬ事を書いて、つい、その気になり、ひさしぶりにその粕取りのボトルを取り出した。おお、臭!
【08/9/13 追記】
その後、事故米(汚染米)の不正食品転用は、つかみかねるほどの広がりを見せ、官庁の監督責任、米流通業者のモラルのなさなどが大問題となっている。私が書いたのは、その問題はそれとして、焼酎が汚染されているか、という科学的側面であった。しかしこういう場面では、汚染されているかどうかというようなことを、当事者も第3者もあえて口にすることなどできず、風評被害への対応に追われているのだろう。
2008年9月8日月曜日
三菱アイに乗って
老後生活の諸条件に適応すべく、何年来の大小の車2台態勢を変えて、小1台にしたことは、メインの方に書いた(Aquarian's Memorandum 08/9/07 「車を買い換え」)。今日はじめて、少々動かしてみた。昨日は車屋さんから家まで乗り帰っただけ。別に用事があるでもなし、車が来たからといってにわかにあちこち走り回るほどのエネルギーはない。
今日は用事があって、町中に出かけた。お世話になっている証券屋さんで、これまでの担当者(女性)が寿退社。代わりの担当者(次長さん)にお目めにかかりに出かけたというわけ。駐車場に行って、おっとどっこい。お前の車はでかすぎて、このパーキング・タワーには入らぬと。え?、ちっこい車に換えたのに、どうして? 高さがねぇ、と、門番のお年寄りがのたもう。そんなはずがないと抗弁すると、背中の丸い番人、自分の背の高さで、おたくここでしょ。この駐車場はここまでなんですと、立体駐車場の高さ制限の垂れ板のところで示す。そこには155cmとある。
そんなわきで、別のタワー入り口から、つい先頃まで乗っていた「大」の車がスイーッと入っていく。いぶかしがりながらも、仕方がない。別の露天の駐車場に入れた。あとで調べると、なるほど、わが新車は「小」ながら車高、160cm。立体駐車場の規格ハズレなのだった。
日本では、かなり異常な車のサイズ・排気量規制と、税の優遇が行われている。メーカーは、軽自動車の規格のもと、格別の税優遇を享受したい人に、制限いっぱいの大きさの車を売っている。わが新車は、そのサービスゆえに、立体駐車場からははねられたのであった。あっちが立てば、こっちが立たない。ああ。
今日は用事があって、町中に出かけた。お世話になっている証券屋さんで、これまでの担当者(女性)が寿退社。代わりの担当者(次長さん)にお目めにかかりに出かけたというわけ。駐車場に行って、おっとどっこい。お前の車はでかすぎて、このパーキング・タワーには入らぬと。え?、ちっこい車に換えたのに、どうして? 高さがねぇ、と、門番のお年寄りがのたもう。そんなはずがないと抗弁すると、背中の丸い番人、自分の背の高さで、おたくここでしょ。この駐車場はここまでなんですと、立体駐車場の高さ制限の垂れ板のところで示す。そこには155cmとある。
そんなわきで、別のタワー入り口から、つい先頃まで乗っていた「大」の車がスイーッと入っていく。いぶかしがりながらも、仕方がない。別の露天の駐車場に入れた。あとで調べると、なるほど、わが新車は「小」ながら車高、160cm。立体駐車場の規格ハズレなのだった。
日本では、かなり異常な車のサイズ・排気量規制と、税の優遇が行われている。メーカーは、軽自動車の規格のもと、格別の税優遇を享受したい人に、制限いっぱいの大きさの車を売っている。わが新車は、そのサービスゆえに、立体駐車場からははねられたのであった。あっちが立てば、こっちが立たない。ああ。
2008年9月7日日曜日
村上春樹の次作品
村上春樹が、雑誌TIMEの最近号(Sep. 15, '08)の "10 Questions" 欄で、読者から寄せされた質問に答えている。主として米国の読者からであるが、この国でも広く読まれていることを反映している。
村上ファンとして興味深いのは、次の作品についての質問に対し、こう答えていることだ。
これまでの最長のものは『ねじまき鳥クロニクル』(3巻本)だが、それよりも長いものになるらしい。おおいに期待したい。
村上ファンとして興味深いのは、次の作品についての質問に対し、こう答えていることだ。
『もう2年近く、次作に取り組んでいます。これまで書いた中で、最長のものになるでしょう。私の書いてきたものはどれも風変わりな(weird)ラブストーリーですが、私はそれが好きなのです。次作は、風変わりな超長編ラブストーリーになるでしょう。』 |
これまでの最長のものは『ねじまき鳥クロニクル』(3巻本)だが、それよりも長いものになるらしい。おおいに期待したい。
2008年9月6日土曜日
小沢征爾特集番組を見る
今日は午後5時からNHKハイビジョンの、小沢征爾特集をずっと見ている。7時からは、サイトウキネンの生中継をやっている。今春の水戸室内管弦楽団(MCO) の定期演奏会は、直前になって病気で代わりの指揮者に交替した。またその後予定していたMCOのヨーロッパ公演は、指揮者なしで行った。椎間板ヘルニアによる痛みがひどかったと聞いているが、生で姿を見ると、すっかりよくなったらしい。
サイトウキネンの生中継の前に、午後5時から2003年に放映された「小澤征爾 終わりなき道~無垢なる共感を求めて~」の再放送があった。ボストン交響楽団の常任指揮者から、ウイーン国立歌劇場の音楽監督への移行期に撮られた番組で、加えてロストロポーヴィッチと協力してで行った「音楽キャラバン」、志賀高原スキー場での定期的な音楽会などの裏舞台をみせてくれいた。
水戸でこの人の指揮にはなじんでいるが、一見派手な指揮ぶりの裏での彼の努力を丁寧に映し出した番組だった。楽譜を深く読み解き、練習で細かいニュアンスまで丁寧に指示し、自分の音楽を作り上げる。この人の分け隔てのない性格と、音楽に没頭する熱気が、演奏者に伝わり、演奏がステップアップする現場を見せてくれた番組で面白かった。
サイトウキネンの生中継の前に、午後5時から2003年に放映された「小澤征爾 終わりなき道~無垢なる共感を求めて~」の再放送があった。ボストン交響楽団の常任指揮者から、ウイーン国立歌劇場の音楽監督への移行期に撮られた番組で、加えてロストロポーヴィッチと協力してで行った「音楽キャラバン」、志賀高原スキー場での定期的な音楽会などの裏舞台をみせてくれいた。
水戸でこの人の指揮にはなじんでいるが、一見派手な指揮ぶりの裏での彼の努力を丁寧に映し出した番組だった。楽譜を深く読み解き、練習で細かいニュアンスまで丁寧に指示し、自分の音楽を作り上げる。この人の分け隔てのない性格と、音楽に没頭する熱気が、演奏者に伝わり、演奏がステップアップする現場を見せてくれた番組で面白かった。
二つの党大会
11月の米国大統領選に向けて、民主、共和両党のConventionが相次いで開催された。党大会の様子は、BS1で、主要部分が放映された。まあ一種のお祭り騒ぎだが、彼らが演説に賭ける情熱には、今さらながら感心する。さすが、言論・弁舌の国だ。アラスカ知事から彗星のごとく現れたベイリン副大統領候補は、私としては鼻っ柱ばかり強くて、知性など二の次という感じで好まないが、こういう人が米国の一般大衆には受けるのだろう。内容はともかく、マケインよりよほどアピール度が高い演説をぶった。どこかに雲隠れしている間に、演説をたたき込まれたのだろうが、たいしたデビューだった。
ほかにはジュリアーニ・元ニューヨーク市長がオバマを口汚く貶める演説をぶったのは、かえってやり過ぎだったのではないか。こういうことの得意な人らしい。
両方の党大会の演説で、どんな言葉が多く使われたかをNYTが図示していて面白い。
Words they used(NYT 08/9/04)
D(民主党)が"change"をいい、"Bush"の"Iraq"戦争を話題にして、"McCain"も同類と非難したのはわかる。R(共和党)だって、けっこう"change"とか"reform"を言っている。現Bush 政治と一線を画そうとしているのだろう。"character"について、多くをいい、"Obama"より"McCain"が信頼できると強調したことがあらわれている。政策に関しては、Rは、"business"と"tax"を多用したのに対し、Dは、"job"と"economy"をいうあたりに党の性格が見える。前者はどちらかというと富裕層を優遇し、後者は、中間層や労働者の支持を意識している。"God"が大きいのは、Rがevangelicalのサポートを受けているからだ。
ほかにはジュリアーニ・元ニューヨーク市長がオバマを口汚く貶める演説をぶったのは、かえってやり過ぎだったのではないか。こういうことの得意な人らしい。
両方の党大会の演説で、どんな言葉が多く使われたかをNYTが図示していて面白い。
Words they used(NYT 08/9/04)
D(民主党)が"change"をいい、"Bush"の"Iraq"戦争を話題にして、"McCain"も同類と非難したのはわかる。R(共和党)だって、けっこう"change"とか"reform"を言っている。現Bush 政治と一線を画そうとしているのだろう。"character"について、多くをいい、"Obama"より"McCain"が信頼できると強調したことがあらわれている。政策に関しては、Rは、"business"と"tax"を多用したのに対し、Dは、"job"と"economy"をいうあたりに党の性格が見える。前者はどちらかというと富裕層を優遇し、後者は、中間層や労働者の支持を意識している。"God"が大きいのは、Rがevangelicalのサポートを受けているからだ。
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わたしの主ブログ『Aquarian's Memorandum』が、だんだん重いものになり、どちらかというとメモというより、論文調のものを書くようになってしまいました。こちらは、目についたタネ(本、記事、Webエントリなど)についてのメモ書きの場として、気楽にやっていこうと思っています。
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