読んでみた(「無痛」)。何か書こうと数日抱え込んで、何も書くことがないと諦めた。
5年に一度ぐらいのペースで、ミステリーを読んでみようかという気になる。最後に読んだのは、ゴダードの何だったか。よく覚えていない。
ミステリーを読むのは、暇つぶしと、ちょっとした好奇心ゆえだ。「暇つぶし」は好きでない。"To kill time" がそれに当たる英語だと習ったことがある。単なる時間つぶしのことだ。いい結果をもたらす暇つぶしもある。こちらの方には"resource"という語をあてるらしい。"Reading is a great resource" という例文が辞書に載っている。
ともかく「暇つぶし」は好きでない。だから、ミステリーも読まないし、ゴルフもやらない。囲碁もだ。でも、プラスアルファが期待できれば、たまには暇つぶしもする。先日、文字通りの時間つぶしが、思いがけず、結果として大きなプラスアルファをもたらしくれたことを、もう一つの雑記帳(”Memorandum")の方に書いた(ここ)。
この本を読んだ際の、動機としてのプラスアルファは、新聞広告にあった「哲学的な小説」との評者の惹句であった。幻冬舎が、この文庫本だけのためにひときわ大きなスペースの広告を出していた。気がついだだけで、二度も。結果としてのプラスアルファは見つけられなかった。数日かけて読んだ。600ページを超える大作である。私は遅読だし、没頭して読み続ける方でない。だからミステリー小説好きになれないのかもしれない。読み終えての達成感は少しもなかった。でも何か書こうと考えて、ここ数日を過ごしてしまった。書くということは、尾籠な話で申し訳ないが排便に似ていて、とにかく出さないと精神的な便秘症になってしまう。それが今回は出ないのだ。
この本を読む気になったのは、久坂部羊の小説だからだ。この人の医学エッセイ『日本人の死に時』を読んで、紹介したことがある(ここ)。これからの老後、それも「死に向かう老後」について、いい指針を与えられた。この人は小説も書いている。医学ミステリーも。多才な人だ。そして上記の惹句。だから読む気になったのだった。
読んでみて残ったのは、薄気味悪さだけ。だから中身には触れる気にならない。唯一、気になったのは、ある種の医者には、患者を見分ける能力が備わっているということ。見ただけで、病気の原因が何であり、治るか、治らないかが分かるのだという。治る患者は治療しなくても治る。放っておいても自然に治る。治らない患者は、どんなに医療を施しても無駄で死に至る。ほんとうだろうか。真実だとしたら、医療は何のためになるのか。医者自身が医療を否定している。それともこれは小説だけの仮想的なことなのか。
以上つまらぬことを書いたが、雑記帳ということで、お許しいただきたい。これで次のテーマに向かえる。
2008年11月16日日曜日
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