2008年9月16日火曜日

叔母の死

 叔母が亡くなった。母の兄妹4人のうちの、最後の1人だった。1913年生まれ、95歳。よく生きた。残された子ら(私の従弟妹たち)3人は、明るい表情で、母親の死を悲しんでいる風ではかなった。母やその男兄弟と違って、ごく平凡な主婦として家庭を守り、子どもを育てることに励んだ人だった。もっとも、連れ合いを早く亡くしたあと、ある大学の学生のためのサービス施設で働いて、けっこう活躍していたと聞いた。

 明るい、くせのない人だった。他の兄姉が癖があり過ぎだったともいえるが。しいて癖というなら、そのおしゃべりぶりだった。母の晩年、静岡の老人ホームへ東京から定期的に来てくれる妹との対面を、母はことのほか心待ちしていた。しかし最後の頃は、そのあまりのおしゃべりぶりに耐えられない風だった。何とかこの子のおしゃべりを止めるよう、誰か言ってくれないかと、父や私に言うのだった。

 私はこの人にたいそうお世話になったことがある。高校3年になったばかり。父の転勤で、大分から東京へ移ることになった。進学のこともあるから、できるだけ早いほうがいいと、私だけ一足先に東京に出て、転校先を探した。叔母は新宿高校に掛け合ってくれたが、すでに編入試験が終わったあとと断られ、その姉妹校と称する別の都立高校に紹介された。叔母はこの間、わがことのように駆け回ってくれた。その間、私を一ヶ月居候させてもくれた。3部屋しかない家に家族5人で住んでいた。ちょうどその頃、もう1人の甥を居候させていた上に、私を受け容れてくれたのだった。今の住宅事情、家族関係では考えられないようなことだったが、その頃はそれほど無理なことではなかった。とはいえ、この叔母ならではのおおらかな心遣いだった。この叔母のお世話があったおかげで、翌春、私は希望校に現役入学を果たしたともいえる。

 そんな叔母にこのところお目にかかる機会もなかった。老人ホームに入り、最後の一ヶ月は病院で、ほとんど老衰の死だったようだ。次第に食べなくなり、最後は安らかに息を引き取ったという。

 一昨日(9/14)亡くなった。その知らせが、昨日(9/15)の朝、私の姉からあり、私は昼過ぎに東京に出て、その日のお通夜と、今日(9/16)の葬儀に出て、今夕水戸へ帰ってきた。通夜も葬儀も叔母が長年会員だった教会でおこわなわれた。私の親族はほとんどクリスチャンである(3代続いた牧師の家系だから)。当然のような教会の雰囲気だったが、私ひとり違和感を感じながら、その席に連なった。それについては別のエントリで書こう。

 叔母の死が、親族たちを久しぶりに集めてくれた。私自身の姉弟4人とその連れ合い、甥姪たち、叔母の兄弟の子どもたち(従弟妹たち)と久しぶりに会い、それぞれ近況を知った。こんなことでもないと互いに会う機会もなかった。それぞれの幸せ、平穏、変化、悩みを抱えているようだった。それを話題にするのはいささかはばかる。やめておこう。

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