2009年2月26日木曜日

欧州での原発回帰(切抜14)

(朝日新聞09/2/06-15)

 しばらく休んで、溜めてしまったものを、2度に分けて片付けよう。

 ヨーロッパ諸国では、1986年4月に起きたチェルノブイリ原子力発電所(当時ソ連邦、現ウクライナ)で起きた未曾有の原発事故の影響もあって、原子力利用からの撤退(脱原発)が既定路線であった。しかし、原子力発電によるエネルギー供給の代替策がなく、化石燃料への依存度を下げる必要からも、以前から原発回帰が予想されていた。昨年から今年にかけて、各国での方針転換が発表されている。

スェーデン、脱原発転換(09/2/06 国際)
ー 政府は5日、現在10基ある原子炉が寿命を迎えるにしたがって、新しいものに置き換えていくことを決定、3月に議会に新法案を提出。80年の国民投票で、10年までに原発全廃の決定がなされていた。これまで2基の原発は閉鎖されたが、電力需要の半分を担う原発の代替ができず、さらに地球温暖化問題対応もあって、脱原発が不可能だと判断した。こうなることは、かなり前から予想されたことであった。

押し寄せる原発回帰の波(09/2/08 国際、「風」欄、ベルリン 金井和之)
ー ドイツは、02年に「脱原発」宣言をした。再生可能エネルギーの開発普及に力を入れてきたが、原発なしにはエネルギーをまかなえない。大連立を組んでいる各党によって温度差はあるが、原発回帰に向かって動きつつある。メルケル首相(キリスト教民主同盟)は「世界でもっとも安全な発電所を持っていながら、世界で最初に脱原発を実施するのは世界中が理解しない」と。連立を組むキリスト教社会同盟の、グロス経済・技術相が組織した作業部会は、昨年夏、「原発を延命しなければ、消費者に数十億ユーロの負担が生じる」との報告書を出した。もう一つの社会民主党のシュタインマイヤー外相兼副首相は「脱原発は連立合意事項」と反対の意向。
 エネルギーの大半を石炭に頼る東欧諸国でも、原子力再評価の動きが目立ち、スロバキア、ブルガリアは原発回帰を表明しており、原発建設を中止していたポーランドでもここに来て原発推進に転換している。

イタリアが原発建設へ(08/2/25夕)
ー ベルスコーニ伊首相は、24日、ローマでサルコジ仏大統領と会談、イタリアでの原発建設に向けた協力協定に署名した。イタリアは、チェルノブイリ事故の翌年、国民投票により原発を閉鎖していた。今回の協力協定により、合弁会社を設立し、13年着手、20年までに4基の原発を稼働するという。

 これに対し、日本では、再処理工場と高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の運転開始がトラブっている。

もんじゅ、運転の延期で募る疑問(09/2/2 社説)
ー 「もんじゅ」は、95年のナトリウム漏れ事故で、すでに13年以上停まっている。この2月に運転を再開する予定だったが、延期すると発表があった。4度目の延期である。12月ともいわれるが、今回の延期に当たって原子力機構は再開時期を明言しなかった。社説では、長期にわたる運転停止で、設備に不具合が生じていないか、施設者の危機感の足りなさ、さらには新たに見つかった活断層から耐震性への不安が出てきたことなどを指摘し、再開の必要があるのかと疑問を投げかけている。
 建設に5900億円、事故後の改造に180億円、停止中でも維持費に100億円をかけている。運転が始まると毎年150ー180億円かかる。私は以前から、高速増殖炉による核燃料サイクルそのものについて疑問だと、意見表明してきている。
 見直してみたら、前々回(切抜12)でも、この件を取り上げていた。別記事ながら重複したこと、お許しいただきたい。

核燃料サイクル正念場、再処理工場試運転16回目の終了延期(09/2/06)
ー 青森県六ヶ所村に建設され、試運転を続けてきた日本原燃再処理工場は、トラブル続きで試運転終了の予定を2月から8月に延期する。これで16回目の延期である。ほとんどがフランスから輸入した技術だったが、唯一国産技術を採用したガラス固化体を作る溶融炉がこのところのトラブルの原因だ。トラブルの原因は技術そのものの根幹に関わるようで、簡単に乗り越えられそうにない。
 高速増殖炉と再処理技術の自主開発のために、1967年、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が設立され、膨大な予算が注ぎ込まれてきた。その成果が日の目を見るべきところで、いずれもトラブルとなっている。無理してでもやり続けるのだろうが、欧米なら、とうに見限っている。

以下、その他の新聞スクラップ。

新聞、ネット事業模索(09/2/08 社会)
ー 新聞社が、紙媒体の新聞を各戸配布・駅売りするなどという、旧来の事業形態を超えて、ネット上の事業展開に力を入れつつある。欧米の先進新聞社と比較すると、かなり遅れているが、各社なりに将来の可能性を模索している。当然費用がいる。広告料で賄う「広告モデル」と利用者に料金を払ってもらう「契約者モデル」とに大別される。
 産経新聞はかなり積極的な取り組みをしている。私は利用していないが、マイクロソフトとの連繋で「MSN産経ニュース」は紙面を超えた大量の取材データ(写真なども)を提供している。「出し惜しみ」しない。「ウェブ・ファースト」をうたっている。私は、毎朝目が覚めるとベッドで、iPhoneで配信される産経新聞を読むことを習慣としている。紙面そのままの形で読めるのがうれしい。しかも無料。これは試験的に行っているサービスだが、利用者が拡大すれば、広告収入により無料配信が続けられよう(現在は広告の相当部分は隠されている)。
 日経は「契約者モデル」を確立しようとしている。経済ニュースは、有料でも購読者が期待できるとの読みのようだ。朝日新聞は、遅れている。「アサヒ・コム」で読めるのは主要ニュースとか社説だけ。朝日新聞らしい総合的ニュース解説やオピニオン記事、教養・文化欄などは読めない。全記事をWeb上に無料で提供しているNYTと比べて大差が付いている。料金を払えば読めたと記憶しているが、高すぎてとうに見限っている。読売、毎日もそれぞれに取り組んでいるらしいが利用したことはない。
 景気後退で新聞・テレビの広告料収入が落ち込んでいるらしい。ただしネット上の広告収入だけは伸びているという。長い将来を見通すと、紙媒体の新聞が現状のまま続くのだろうか。すでに若い世代は新聞離れしている。新聞社はこれからのビジネスモデルを見定めるチャンスではないか。「出し惜しみ」、有料契約は成功しないと思うが、どうだろうか。

耐性ウイルス流行、なぜ(09/2/13 科学)
ー インフルエンザ治療薬タミフルが効きにくい耐性インフルエンザウィルスが、世界中で流行している。なぜなんだろう。ウィルスが耐性を獲得する仕組みとして、二つの考えかたがあるらしい。
 一つはウィルス感染した患者がタミフルを服用すると、ほとんどのウィルスは死滅するが、ある確率で耐性ウィルスができ、生き残る。それが流行しているという考え。ただし、この生き残ったウィルスは感染力が弱いといわれていた。
 もう一つの仕組み。タミフルの服用の有無と関係なく、突然変異によって耐性と感染力を獲得したインフルエンザウィルスが流行しているということ。どうもこちららしい、というのが記事の趣旨である。じじつ、今回のタミフル耐性を持つAソ連型の流行は、日本に比べてタミフルがほとんど使われていないヨーロッパから始まったといわれている。
 なお、タミフルが効かないという話は、実態以上に騒がれすぎではないか、という話もある。かかりつけの内科医は、自分のところではタミフルが効かない患者は一人もいないと話していた。

 毎度のことながら、実際スクラップしたもののほんのわずかしか、ここで話題にしていない。記録のためとはじめたのだが、つい記事の紹介に深入りしてしまい、作業の手間からして、この程度で打ち切らざるをえない。

2009年2月9日月曜日

「経済学」が問題に (切抜 13)

(朝日新聞 09/1/29-2/5)

 深刻な経済危機がますます進行する中で、市場原理主義・グローバリズムの名のもと、金融資本主義の暴走を許したのは、経済学そのものに問題があったのではないかという論調がめだつ。この分野には疎いのだが、私も問題意識を持つようになり、ブログ"Memorandum"のほうで書いている。ここでは、このところ目についた新聞記事を記録しておく。上記期間外のものも含める。

「日本型経営」の志 (09/1/17 夕、「窓・論説委員室から」)
ー 15年前の「今井・宮内論争」があった。今井敬・新日鉄社長「雇用に手をつけるのは、経営者が責任をとって辞めたあとだ」。宮内義彦・オリックス社長「グローバリズムの中で株主重視こそが経営者の責任」。「日本型経営」の本質は、雇用を守り抜く経営者の覚悟と志にあるのではないかと、原眞人。

資本主義の向こうに (09/1/23 夕、「窓・論説委員室から」)
ー 米英型の資本主義と、日独型の資本主義があるという。米英型は株主中心の短期利益や個人の成功を求める。日独型は労働者を含む長期的利益と集団的合意を重んじる。前者はキリギリス、後者はアリと脇坂紀行。

スミスの逆説 (09/1/29 夕、「窓・論説委員室から」)
ー 市場主義の家元とみなされる「アダム・スミス」の見直しが行われている。堂目阪大教授の『アダム・スミス』(中公新書)によると、スミスが『国富論』の前に書いた『道徳感情論』を併せ読むべき。人間には他人に「同感」する力があり、これが経済行為の行き過ぎを制御するとスミスは考えていたと、紹介するのは川戸和史。

成長機会を破壊するエトス (09/1/27 経済、経済気象台)
ー 故森嶋通夫ロンドン大学教授は、経済状態を単なる物質的基盤だけで説明すべきでなく、その社会のエトスの寄与を見なければならないと説いていた。エトス=社会が持つ価値観とか支配的な意識。過去に成功した経済を支えたエトスのままでは、日本は成長機会を失い、没落すると予言したらしい。危機の中で、日本人全体のエトスの転換が必要だ。

金融危機が与えた宿題、経済は現実に無力か、新しい理論生む契機に(09/1/31 主張、経済ノート、小林慶一郎)
− 経済学は幾多の変遷を経てきたが、現在の経済理論が今回の世界的な金融危機を扱うだけの能力がなかったことは、経済学者自身が認めざるをえない現実らしい。危機の原因となった「金融システム」がマクロ経済理論ではほとんど無視・省略されている。不動産や株式などの「資産価格」がマクロモデルで十分に扱われていない。「人間は合理的に振る舞う」という大前提が現実には崩れていたから住宅バブルが発生した。現在の金融危機はマネーの複雑怪奇な動きに起因したのだが、マクロモデルには本質的に「貨幣」が欠如している。このような小林教授の指摘には、まったく驚かされる。経済を論じてきた専門家が立脚していた理論が、そんな欠陥理論だったのか。新しい経済学の枠組みが必要になったというのは当然だろう。

西部邁さんに聞く、市場経済とは、働くとは (09/2/02 オピニオン)
ー 経済学の抽象化された論理が現実政策を支配することの危険性に警鐘を鳴らしてきた西部邁に、刈部直東大教授が、経済危機の根本問題についてインタビューしている。労働力を含めてすべてが商品にされるという経済学の考え方にずっと疑問をいだいていた。経済制度の基本は「市場」にあるとは認める。しかし、「イチバ」であった「市場」を「シジョウ」と読んだときから経済学は歪んでしまった。市場は元来そこで決まる価格に人間の関係性が表れるものだった。価格に安定性、固定性がないと、そこでの人間関係が成り立たない。近代の病という「合理主義」が問題。経済現象を合理的に計算し尽くせると考えたことが金融危機を生みだした。未来は計算通りに行かないというのが日本的経営の前提だった。安定した人間関係をつくることによって、将来予測できなトラブルが起こった時に集団で処理・解決する。それを不合理だとぶっ壊したのが構造改革。以上目についたところの抜き書き。

古典の思想家 再注目。世界不況の経済学 (09/2/07 文化)
ー 経済危機打開のヒントを求めて、近現代の経済学・経済思想の泰斗が引っ張りだこだという。上記した堂目「アダム・スミス」が大きな反響を呼んでいる。企業人の関心度が高いという。構造改革か規制緩和反対かの図式を突破する道をスミスの知恵に求めているという。ガルブレイス、ドラッカー、フリードマン、ウェーバーらが注目されている。当然ケインズも。「だれのための経済成長か」という問いが置き去りにされ、実証主義に偏る現代経済学への批判が根底にあるようだ。