tag:blogger.com,1999:blog-39858688296738489052024-03-05T14:18:33.385+09:00アクエリアン雑記帳Aquarian's Memorandum のサブ・ブログ。読んだり、考えたりの断片と身辺雑記。アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.comBlogger146125tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-25634400039184950072021-07-19T22:53:00.007+09:002021-07-20T15:43:33.433+09:00トリウム溶融炉は未来の原発か?
トリウム熔融塩炉は未来の原発か?
かつてアメリカのオークリッジ国立研究所で開発されたものの、歴史の闇のなかへと消え去ったまぼろしの原発「熔融塩炉」。2011年に中国が本格的開発に乗り出すことを発表した失われたテクノロジーは、本当にクリーンでグリーンで安全なのか? かつて福島第一原発3・5号機の設計を担当し、現在は世界を舞台に「トリウム熔融塩炉」の可能性を推進する原子力工学の専門家・吉岡律夫先生に訊いた。
2012.05.03 THU 12:00
P
液体の熔融塩は放熱を終えると固体になる。PHOTOGRAPH BY JUNPEI KATO
──オークリッジ国立研究所で1960年代に実際に稼働していた「熔融塩炉(MSR:Molten Salt Reactor)」が、ここ10年ほど大きな注目を集めるようになってきました。また、トリウム燃料の可能性も近年盛んに語られていますが、いわゆる「アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-18411093820240112252017-08-28T17:11:00.000+09:002017-08-29T19:56:30.843+09:00爆縮による密度上昇と臨界量
【何年も前に別のサイト(サイト名:核兵器の物理)に書いたものだが、そのサイトが閉鎖になってしまい、ネット上に存在しなくなった。同じ主題について書いている人が最近話題にしているので、私もかつて書いた原稿をサイト上に載せておこうと思い立った】
爆縮(implosion、内爆)の過程で、核物質(プルトニウムやウラニウム)は爆薬による衝撃波を受けて圧縮され、密度が上がる。それによって臨界量が激減する。核兵器に装填する核物質の量はこのことを見込んで静的な(圧縮を受けていない状態での)臨界量をもとにしたものよりはるかに少なくてよい。このことは、通常の原子炉工学には縁がないので、それを説明した日本語の文献を目にしたことがない。核兵器に必要な核物質の量を問題にするとき、だいじな基礎知識なので、以下に説明しておく。
結論を先に書いておくと、爆縮によって圧縮された状態でのアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-66424180607190198542015-08-27T14:28:00.001+09:002015-08-27T14:43:25.371+09:00ハイゼンベルク・原爆・演劇「コペンハーゲン」
山口栄一京大教授による「科学者の魂を探して」というシリーズ(日経テクノロジーOnline) を、Facebook上で継続して紹介している。これは大きな足跡を残した科学者のお墓を詣でることを通して、その科学者の生涯、特に功績や人柄を偲ぶことをテーマとしている。このところ20世紀初頭に起きた物理学革命に係わった人々を次々と取り上げている。前回のシュレディンガーに続いて、今回はハイゼンベルクである。
http://techon.nikkeibp.co.jp/artic…/COLUMN/20150822/432800/…
ともに量子力学の創成を担った2人だ。ハイゼンベルクが先行し、シュレディンガーがあとを追った。ハイゼンベルクが原子などのミクロ世界にそれまでの物理学は当てはまらず、新しい概念と方程式が必要だとその道を切り開き、シュレディンガーがその概念を実用的な方程式アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-56743167782101196162015-08-15T20:54:00.002+09:002015-08-15T20:54:40.795+09:00戦後70年安倍談話を読んで
読んでみて,なかなか良くできている、というのが率直な感想だ。新聞その他には、「引用・間接表現(お詫び、侵略、植民地支配などのキーワードは自らの言葉でない)」「主語がない」、「村山談話がきちんと継承されていない」、「バランス重視(安倍首相らしさがない)」、「妥協の産物(公明党への配慮)」などの批評の言葉が並んでいる。そのとおりだと思いながらも、これで良いと思えた。
談話の草案は有識者会議がかなり突っ込んだ議論をして作り上げた。草案について党内の様々な人の意見を聞いた。公明党とトップ会談をした折、安倍首相は避けたかった「お詫び」の文言を入れるよう注文が付いたらしい。そんなことがあった上で出来上がったものだ。どの方面からも激しく批判されないですむものになったのは当然だし,それで良かったと思う。
安倍色を出して村山談話を書き換えようというのが、もともと首相が考えていたことだったと聞くアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-37459955749527434962015-08-06T16:34:00.000+09:002015-08-06T16:45:18.914+09:0070年ぶりに会った友
高校同期会の会合に出た。その席でM君と隣り合った。この人と会話を交わすのははじめてだった。いや、そもそも同期にこんな人がいることをはじめて認識したのだった。大柄で、外国人ぽい風貌が目立っていた。初対面の挨拶をし,名乗りあった。名前に記憶がなかった。おそらく高校時代に同じクラスにいるとか、何かの活動で一緒になることがなかったのだろう。当時大分市には公立高校は一つしかなかった。新制高校がその年にはじめてできた。GHQの指示で学制が変わり6・3・3制が発足することになった。大慌てで、それまでの大分中学、大分第一高女、大分第二高女が合併して、一つの新制高校が発足したのだった。そのためであろう、一学年に十数組、8百人ほどの大勢の生徒がいたのだ。互いに知り合うことなく,3年間を過ごしたとしても不思議ではない。
ところがそうではなかったのだった。彼とはそれよりずっと前、小学校4年生の一時期、アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-68122348765049565772015-08-05T14:41:00.000+09:002015-08-05T14:41:58.188+09:00軽水炉使用済み燃料からプルトニウム原爆ができるか 2. ー 米 政 府 の 公 式 発 表 ー
原子炉級プルトニウムを使って米国が実際の核実験を行ったことは、さまざまな文献で言及されており、その信憑性が高いと、前回書いたが、その公式発表ペーパーを入手した。
Additional Information Concerning Underground Nuclear Weapon Test of Reactor-Grade Plutonium
(U.S. Department of Energy, Office of the Press Secretary, Washington, DC 20585)
で、ネット上に公開されている。以下である。 公開の日付は文書にはないが、 引用文献をみると、June 27, 1994であるようだ。
http://www.osti.gov/opennet/document/press/pc29.html
以下に日本訳を示す。
アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-35803441951407395022015-07-26T22:32:00.001+09:002015-08-02T11:04:08.814+09:00軽水炉使用済み燃料からプルトニウム原爆ができるか ー 今井報告書での結論すり替え ー
【以下の記事は、筆者が2006年12月に別のHPに掲載したものである。その後そのHPが閉鎖を余儀なくされたため,閲覧できなくなっていたものを,ここに転載したものである。一部リンクが切れているが,訂正できずにいる】
軽水炉使用済み燃料から抽出されたプルトニウムから原爆ができるか、という重要な問題について、日本の原子力関係者のあいだでは、「できない」という見解が主流になっているようだ。その根拠は、今井隆吉が書いた報告書にあるらしい。ところが、この報告書は準拠した原論文の結論をすり替え、疑問符を付け、全く正反対の結論を導こうとしたものであることを、大部分の人は気づかずにいる。さらに悪いことに、ねじまげられた結論を、ほとんどの人は鵜呑みにしている。かの技術評論家・桜井淳は、こういうことをこそ批判・吟味すべき立場にありながら、残念ながら語学力も物理の思考力もないのだろうか、原論文を読みもせずアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-2926765293622529042014-05-10T17:52:00.001+09:002014-05-10T18:07:51.675+09:00アンティキティラの機械
ヨーロッパの各地(大聖堂、市庁舎など)に見られる天文時計のことを調べていた。検索記事で "Antikythera" という語をしばしば目にした。何とそれは、ギリシャ時代に精巧な天文時計が作られていたことをあきらかにした最近の考古学的発見のことだった。1901年にギリシャとクレタ島との間の小さな島(アンティキティラ島)沖で発見された難破船に積まれていた数々の宝物の中に、得体の知れない金属の塊があった。何であるかは1950年頃から調べられていたが、21世紀になって最近の3DーX線撮像技術など先端技術を使った国際プロジェクトによって、史上最古の天文時計であることがわかった。太陽や月の満ち欠けはもとより、日食、月食まで予告できる機能があったという。19、53、235などという半端な数の歯車が使われている。そんな金属加工技術が当時あったということに驚く。
まずは、以下の アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-76058799781828755392012-11-27T21:39:00.000+09:002012-11-27T21:39:13.703+09:00日本は変われるか
TIME誌は活字になる量をはるかに超える記事をオンライン・アジア版に載せている。その一つ Can Japan change? (12/10/21)を少し前に読んで気になっている。外から日本がどう見えるのか。読んだついでにここで紹介するのもお役に立とう。日本社会の現状がなぜ改革を阻み、20年間もの経済停滞を招いたのか、それからの脱却する方策はあるのか、を鋭く論じている。記事を書いた Michael Schuman は、TIME誌アジア経済担当の記者として、この日本問題をしばしば取り上げているのだが、説明しようとする度にイライラすると、記事の書き始めで告白している。日本の現状は「論理、言いかえれば人間性の基本則、に反していると思うのだが、その経済的命運が20年間も劣化するまま、ほとんど何もしないでいる。そんな社会(国)がありうるのか」。これが記者のイライラの原因だ。
アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-60804134929257781782012-10-11T10:07:00.000+09:002012-10-11T10:10:52.500+09:00「彼岸堂」開店【以下は友人に宛てて送ったメールの一部を転載】
私どもの近況です。やっと涼しくなり、みやは庭仕事に、家内整理にと、このところ大忙しで終日働いています。私は、庭には手を出さない、片付けもしないという性分ですから、うちの奥さんよく働くなあと、感心するのみです。
しかしながら、多少煽られ気味で、書斎と地下室にある本や資料を片付けはじめました。ツイッターを読んでいる方はご存じでしょうが、本をそのまま捨てるのはもったいないと、売れそうな本をアマゾンの古書売り場(マーケットプレイス)に出品することにしました。まず5点ほど登録したら、その直後に一点に買い手がつきました。
父の蔵書を売るつもりで全集ものをいくつか登録したのでしたが、それではなく、ついでに1点だけ登録してみた私の死蔵本、それが売れたのです。後から考えてみると、絶版本で古書店ではかなりの値がついても求められている本だったようです。アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-11397083485215978462012-07-26T04:55:00.005+09:002012-07-26T05:22:15.896+09:00旅行記の代わりにツイッター録を【前置き】このブログに旅日記を書くつもりでスタートしたが、旅の日程は待ってくれない。どんどん先へ進んでいく。ブログはとうてい追いつけない。それにあまりに詳しく書こうとし過ぎてしまった。「です、ます」調がいけなかったかもしれない。とにかく残りは帰国してからにする。ひょっとすると旅日記は妻に任せて、写真集のようなもので報告に代えさせてもらうかもしれない。ということで、ここではツイッターに毎日書いているものを掲載する。そちらを読んでいただいているかたには二重になるが、まとめ読みで旅の流れをみていいただけるかと思う。以下は「ツイログ」(ツイッターのログブック)から再録したもので、時間を遡る順に並んでいる。また、掲載日時は日本時間になっており、日付の区切りもこちらの生活時間とはずれている。それを書き直すのは面倒なのでそのままにしておく。写真へのリンクをそのままにした。ブログ上でクリックして写真がでアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-23078359068923140872012-07-20T23:44:00.001+09:002012-07-20T23:44:01.155+09:007月10(火)-12(水)ツィラータールへの旅、その3【ペンケン山ハイキングコースから谷の向こうの山の連なりを見る】ツィラータール二日目の朝は、谷は朝靄がところどこにかかっていましたが、その上は青空に綿雲が浮かんでいる程度です。今日は午前中から晴れると、勇んでハイキング態勢を整え、ホテルをチェックアウトしました。こういう一泊二日のハイキング行での問題は、宿泊に伴う旅支度を全部リュックに背負ってハイキングに出かけなければならないことです。荷物をホテルに預ければいいのですが、帰りに寄るのが面倒なのです。鉄道で別の駅に行ってハイキングをし、そのまま一気に帰りたいのです。ツィラータール鉄道で終着駅のマイヤーホーヘンまで行き、ペンケン山頂のなだらかなハイキングコースを歩くのが今日の予定です。マイヤーホーヘン駅から街の中心部の商店・ホテル街を歩き、ペンケンバーンの駅まで15分程度あるきました。観光客は、僕らが宿泊したツェル・アム・ツィラーよりずっと多くアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-71619959473133802662012-07-15T00:50:00.002+09:002012-07-15T01:09:22.006+09:007月10(火)-12(水)ツィラータールへの旅、その2【泊まったホテルのベランダからツィラータール鉄道のSL列車を見る】ツィラータールは、インスブルックから東へ鉄道で30分ほどのイェンバッハから南方へ、大きく開けた谷です。南端のマイヤーホーフェンまで32キロ。そこまでツィラータール鉄道という私鉄が走っている。1900年開業というから、日本では明治末期、かなり古くから走っているものです。760mmという狭軌の中でもとりわけ狭い軌間長で知られています。見るからに狭い。この路線を蒸気機関車が走っています。小さく可愛い機関車。ここへ出かける2日ほど前に同じイェンバッハから北へ向かうアッヘンゼー鉄道を利用しましたが、その機関車に比べれば、まともな形をしています。一日2往復の蒸気機関車が牽く列車の代金はディーゼル機関車の牽く普通の列車料金の倍ほどです。それでも人気があるらしく、普通は2、3輌の客車を牽くのですが、蒸気機関車が牽く列車では6、7輌編成で、アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-44100987271525869822012-07-13T23:39:00.003+09:002012-07-14T00:03:55.738+09:007月10(火)-12(水)ツィラータールへの旅、その1【2日目、快晴のハイキングコースをたどる】今日、7月13日(金)は、終日何もしない日にして、ホテルの部屋に籠っています。クリーニングのメイドさんには、タオル交換だけしてもらい、お引き取りを願いました。ホテルですから、毎日クリーニングをするのが原則でしょうが、4週間も長逗留をするのですから、毎日敷布を変えたり、ベッドメイキングをしてもらう必要はないのです。ほとんど毎日、何処かへ観光にでかけていますので、写真の整理、旅行の記録など、たくさんの雑事が溜まっています。このブログに旅行記を書き、写真をお目にかけるのも、途切れとぎれになってしまうのはお許しください。今日は前回から間を飛ばし、表題のツィラータールへ一泊旅行をした次第について。今回の旅行は旅行社がすべての行程を決めてある企画旅行でなく、滞在だけが準備されていて、何処に、何時、出かけるかは、それぞれに自由に任されています。しかし、そうはいアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-54710453470070143962012-07-10T04:49:00.003+09:002012-07-10T05:45:53.131+09:00テキスト喪失、残念インスブルック滞在7日目夜。旅先からの旅行記をブログに書いてきた。今日はかなりの時間を使って3日前の分、インスブルックの南側の山、パッチャーコーフェルに登った次第を書いたが、最後の瞬間、全文を消してしまった。うーむ残念。もう書き直しする気がしない。明日から単独行の一泊旅行(ツィラータールヘ)に出る予定だ。夜なべ仕事は無理。あらすじだけ。・南の山にも登りたいとの願望。・生憎の雨天。・代わりにアンブラス城へ。・ところが晴れてきた。・そこでパッチャーコーフェルヘ。・ただし、正規のロープウエイが休業中なので、サブのリフトで。・これがむき出しの椅子席、しかも標高差1500メートルを登る。・ビビったが、やってみれば楽し。・空中遊泳といおうか、空を滑る気分。冬季のスキーゲレンデの草花、放牧されている牛たち、彼らの鳴らすカウベルののどかな音色。・頂上からの眺めは上掲の画像。その一日前に立った峰は画像右端アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-62145809975502690012012-07-07T22:23:00.001+09:002012-07-07T22:23:22.565+09:00北の高嶺に登るインスブルック最初の3日間は、第一印象を貪るように吸収したくて、これはというスポットを駆け回りました。4週間もいるのですから、そう慌てることはないのですが、気がはやりました。たちまち疲れ、このペースでは到底持たないと、今日5日目はホテル自室に籠ってパソコンに向かっています。初日、北側の連峰をみてその近さ、高さに興奮したことを前回書きました。その連峰の鞍部までロープウエイで容易に行くことが出来るのです。翌日、5日(木)に、早速出かけました。市内の王宮のそばの乗り場から、近未来的とも思える最新式のケーブルカーで山の直下まで行きます。そこからロープウェイを2段乗り継いで山頂駅まで1400m程の標高差を一気に登ります。ここからはちょっと登山気分。背中にはDeuterのリュックサック、両手には以前スイスに行った時に使ったLekiのストックを持って、15分ほど登り、2334mのアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-76393560743529390142012-07-05T04:23:00.001+09:002012-07-05T04:23:47.889+09:00インスブルック到着 7月3日(火)午前10時前に成田を発ち、フランクフルト経由でインスブルックへ夕方着きました。時差のせいで長い時間一日を過ごし、あまり眠られぬ夜を過ごして、本日、4日から、インスブルックでの活動を始めました。 一行12人のグループですが、それぞれ独立して好きなように過ごすのが基本です。ただ、今日はインスブルック市内のオリエンテーションとあって、午前中だけ一緒に市内を歩き回りました。旧市街を中心に市の中心部の歩き回り方を知ること、主な乗り物(鉄道、トラム、バスなど)の利用の仕方、お勧めの食事場所、スーパーマーケットなど買い物の場所など、これから自主的に個人の計画で動き回るのに必要な事項を教わりました。 インスブルックは小さな街です。主な場所は徒歩20分以内にあります。旧市街は特にこじんまりとしてすぐに馴染めそうな街です。 午前中のオリエンテーション時には、雲が深く垂れ込めていアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-31145215906225488982012-07-01T09:30:00.006+09:002012-07-01T11:09:47.692+09:00インスブルック滞在旅行へ 【インスブルック北東からの南西方向を見るパノラマ 『チロル/パノラマ展望』(新潮社トンボの本)より転載】 明日から旅に出る。オーストリア・チロル州の首都、インスブルックに1ヶ月滞在する。ヨーロッパ・アルプスの谷間にあり、高山に囲まれ、イン川が流れ、風景も都市景観もすばらしいこの町での滞在を楽しむことが第1の目的だ。また、ここを基地にして,近隣の谷にハイキングに出かけたり、ローブウェイなどで高みに立ったり、交通の便を利してドイツ南部、イタリア北部まで足を伸ばしてみようとも思っている。ある旅行社が企画し、オーストリア観光庁が支援して、7月はじめから8月末まで、滞在時期をずらし、思い思いの滞在期間でのべ300人ほどが出かけると聞いている。私ら夫婦は先発グループに参加して,とりあえず12人で明後7月3日(火)に旅立つ。出発便が早い時刻なので、成田に前泊するため、旅立ちは実質明日,アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-77999011439282343402012-06-20T12:21:00.002+09:002012-06-20T12:37:10.190+09:00フォトジャーナルをまとめてここにフォトジャーナルをはじめた。これはアップル社が Mobileme を閉鎖することでなくなってしまうフォトギャラリーの代替として開設したもののようだ。それぞれのジャーナルを公開する度に、twitter、FB,このブログなどでお知らせするつもりだが、分散してしまうので、いずれメインのホームページで一覧できるページを作るつもりだが、とりあえず、ここにリストを作っていくことにする。まだ一つだけだが,以下追加していく。『信濃追分山荘滞在・小諸懐古園』(12/06/11)アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-88986166284927512592012-06-20T12:09:00.001+09:002012-06-20T12:09:06.294+09:00Blogpostで成功Blogpostでは、iPad内の画像を参照でき、そこから添付画像ファイルを選べる。Bloggerの標準書き込み欄では、それができない。GoogleがiPadのSafariに対応していないのだ。旅先の対応として、テキストの入力と、画像アルバム(先日公開したiPad用iPhotoを使ったジャーナルなどのような)へのリンクを貼り、そこからみていただくという場合などに、正規の書き込み欄と、使い分けが必要のようだ。上記に書いたフォトジャーナル『信濃追分山荘滞在・小諸懐古園』-- iPadから送信アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-22095800844343227022012-06-20T11:16:00.001+09:002012-06-20T11:16:55.833+09:00Blogpost に戻って画像添付のテスト前記のように SafariからBloggerの標準書き込み欄を使うとiPadでは、画像選択ができないことが分かった。そこで、アプリのBlogpostに戻って、画像添付を試してみる。-- iPadから送信アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-68114688148165181052012-06-20T10:42:00.002+09:002012-06-20T11:10:44.569+09:00画像追加のテスト失敗テキスト入力のテストはうまくいったので、次に画像添付のテストをして見る。標準の画像添付の機能「パソコンから追加」は、iPad にファイル選択の機能がないので、使えないことが分かった。これはショック。代替手段として、画像をコピペしてみようとしたが、うまくいかない。その点Blogpost うまくできているのだな。アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-76128541842405088942012-06-20T10:30:00.003+09:002012-06-20T10:41:18.015+09:00iPad によるテスト書き込み旅行先でiPadから「雑記帳」に書き込みをしようと思う。アプリのBlogpostを使うことはできるのだが、正規の書き込み欄をつかってみよう。iPhoneでは、Safariを立ち上げ、さらに正規画面を出してというの面倒だし、画面が小さいのでBlogpostを愛用した。これからはiPadを持って行くので、パソコンに比べてハンデはさほどない。こちらで試してみよう。アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-8335968890614426602012-04-28T10:33:00.002+09:002012-04-28T10:45:11.117+09:00遺物ブログだと?しばらくこのブログに書くのを怠っていたら、グーグルからメールがやって来た。"Legacy blog" (過去の遺物となったブログ)だと。放置すると5月以降は使えなくなるぞ、新しいアカウントに移行せよ、と。ははぁ、銀行の休眠口座並みと見なされたか。そこで指示された通りに,移行手続きを取ろうとしたが、ユーザーネームとパスワードでログインできない。変だなぁ。Gmail ではちゃんと生きているのに。こうして書き込めているIDとpwが、移行手続きでは効かないとは、どういうことか。パスワードを変更してみた。それでもダメ。仕方ない、こうして書き込んで,このブログ生きていますと,いき残りを図ることにした。この手段が通用しないと、5月末日をもって、新規書き込みはできなくなる。死火山になってしまう。どうなるか。アクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3985868829673848905.post-274863437550558232011-04-07T23:56:00.001+09:002011-04-07T23:56:52.697+09:00ジグゾウパズルを繋ぎ、埋める旅 旅の目的・意義は様々であろう。私にとって旅をする動機は好奇心である。旅をして地域なり国を見るまでは、たとえどんなに多くの情報によってイメージが作られていようと、その国・地域は抽象的存在である。一日、半日とわずかの時間であれ、その場所を訪れ、風景、都市景観、人々の表情、身振り、話ぶり、印象、豊かさ、貧しさ、匂い、湿度、日光の強弱、等々、を実体験すると、その地のイメージが鮮明に脳に焼きつく。抽象的存在だったその地が具体的なものになる。「百聞は一見に如かず」である。 それはわずかの広がりを持つ点の印象にすぎない。国・地域の中を車で移動すると、線にそった広がりのある印象に変わる。エジプトのサファガで船を降りて、バスで王家の谷などで知られるルクソールへ向かった。3時間半かかった。前半は砂漠の中の道。砂漠というより、小高い赤肌の岩山が続いた。かつてタクラマカン砂漠を横断する道を走ったことがあったがアクエリアン(略称:アク)http://www.blogger.com/profile/10540573091608594933noreply@blogger.com1