2012年11月27日火曜日

日本は変われるか

TIME誌は活字になる量をはるかに超える記事をオンライン・アジア版に載せている。その一つ Can Japan change?   (12/10/21)を少し前に読んで気になっている。外から日本がどう見えるのか。読んだついでにここで紹介するのもお役に立とう。日本社会の現状がなぜ改革を阻み、20年間もの経済停滞を招いたのか、それからの脱却する方策はあるのか、を鋭く論じている。記事を書いた Michael Schuman は、TIME誌アジア経済担当の記者として、この日本問題をしばしば取り上げているのだが、説明しようとする度にイライラすると、記事の書き始めで告白している。日本の現状は「論理、言いかえれば人間性の基本則、に反していると思うのだが、その経済的命運が20年間も劣化するまま、ほとんど何もしないでいる。そんな社会(国)がありうるのか」。これが記者のイライラの原因だ。

問題の根源は繰り返し指摘されている。
・経済政策を担当する官僚たち→島国根性で自己利益しか追求せず、日本を改革しようとしない。改革が自分たちの権力を弱めるからだ。
・企業経営者→同様に官僚化し、コンセンサスべースでことを決める組織の中でトップに成り上がった彼らは、会社をもっと起業家精神に富んだものに変える気がない。
・政治家たち→視野の狭い有権者の要望に応えるのを優先し、国家という大きな視野での必要事項に関心がない。

日本問題を上記の方向で改めて話題にしても日本は変わらないだろう。代わりにとSchuman氏がこの記事で指摘するのは韓国との比較である。韓国は1997年のアジア通貨危機によりどん底まで落ち込んだ。それから見事に変身を遂げた。日本は、それと同様な危機に陥り、それを克服するという経験を経ないと、変わらないのではないかと思えてしまう。それほど日本問題は深刻だ。

韓国は97年のアジア通貨危機で経済が破綻寸前まで行き、IMF管理下に置かれるというどん底を経験した。ドル不足が原因だと、国民にタンスにしまっているドル札の提供を求め、人々が我も我もとドル札の提供、ドル札での買いものに必死になったニュースを思い起こす。この危機を契機に、韓国では、政治も、企業も、人々の考え方も抜本的に変革を迫られ、健全で革新的で強い経済となって生まれ変わった。政府と大企業のなれ合いや干渉の風習を一掃し、企業は起業家精神のもとに淘汰され、生まれ変わった。

日本は同様な危機を経験しないで済んできたため、政治家、企業経営者、人々のマインドがどん底から震撼されるということがなく、ぬるま湯に浸かったまま、現状を抜本的に見直し新しい体制に自ら変えようとする勇気がない。日本も一度危機に見舞われ、変革を余儀なくされるのがいいのかもしれない。

Schuman氏は、「茹で蛙」の譬えを持ち出す。蛙はいきなり熱湯に投げ込まれると、直ちに飛び跳ね湯から脱出する。ところが冷水に入れて徐々に熱していくと水温上昇を感知せず茹だって(poached)死に至る。韓国は前者を経験したが、日本は後者で、このままでは死に至るのではないか(ただし「茹で蛙」は譬えであって、本物の蛙は逆に振る舞うという)。

日本が、韓国と同様の破綻寸前の経済危機に陥れば、日本は悲惨なことになる。さらに世界経済にとっても大変な危機をもたらす。そこまで行かないうちに何とかしなければならない。何ら有効な手段をとらないでいる日本に変化の兆しはあるだろうか。Schuman氏は、日本を訪問する度にさまざまな層で欲求不満のレベルが嵩じているのに気づくという。

福島原発事故の後、原子力の将来をめぐって首相官邸周辺で行われている抗議活動が、特定の利益団体によって組織されたものでなく、参加しようとする個々人の意志によって行われていることに注目している。

また、変化への欲求の兆候が、橋下徹大阪市長を国のステージに押し上げていると見ている。国政に取り組もうとする橋下が日本社会に根付いた既成政党とどう競り合って行くかを見守りたい。間もなく行われる選挙で、草の根組織をもたない彼が大量の抗議票を得て、日本の国政を揺り動かす可能性がある。

ビジネスの世界でも変化が進んでいる。通常のキャリアパスを捨てて、自分の会社を興そうと、自ら動き、また周りの若者を説得しようとしている人々がいる。失敗を許さない日本でのやり方が、リスクをとり会社を興すことを阻んでいるが、それでも進んで既成の枠にとらわれずに考え、周りの人たちを説得する、やる気のある人たちの集団が増えてきているようだ。しかし、統計では新興企業のシェアは1990年代以降減少気味だ。もはや通用しないはずの慣行がまだ変えられずにいるからだ。

20年にわたる沈滞から日本が抜け出すには、普通でないことが普通にならなくては(the unusual is going to have to become usual) なるまい。そうならないと、日本は韓国が直面した危機に直面することになる。IMFは日本政府の財政赤字を削減する方向での政策決定者の能力を心配しはじめている。

深刻な事柄を述べてきた。日本は改革し、危機を乗り切る能力がある。できることなら変化をリードしようとする人々もいる。もっと楽観できるならそうしたいものだ。

以上TIME誌の記事を敷衍しながら紹介してきた。最初に記事の引用をリンクしたが、TIME誌の購読者でないと、本文を読めない恐れがあるからだ。Schuman氏は橋下徹市長に期待しているようだが、その部分については私は見解を異にする。

2012年10月11日木曜日

「彼岸堂」開店

【以下は友人に宛てて送ったメールの一部を転載】

私どもの近況です。やっと涼しくなり、みやは庭仕事に、家内整理にと、このところ大忙しで終日働いています。私は、庭には手を出さない、片付けもしないという性分ですから、うちの奥さんよく働くなあと、感心するのみです。

しかしながら、多少煽られ気味で、書斎と地下室にある本や資料を片付けはじめました。ツイッターを読んでいる方はご存じでしょうが、本をそのまま捨てるのはもったいないと、売れそうな本をアマゾンの古書売り場(マーケットプレイス)に出品することにしました。まず5点ほど登録したら、その直後に一点に買い手がつきました。

父の蔵書を売るつもりで全集ものをいくつか登録したのでしたが、それではなく、ついでに1点だけ登録してみた私の死蔵本、それが売れたのです。後から考えてみると、絶版本で古書店ではかなりの値がついても求められている本だったようです。たぶん1万円を超えた値で取引されているのでしょう。事情もわきまえずに、2千円なんてトンチンカンな値をつけたので、古書店がすぐに買いに来たようです。送り先の名前からして、個人ではなく業者だなと推察しました。

売れたことで味を占め、私の持っている本で売れそうな本の古書取引価格を何点か、アマゾン・マーケットプレイスで調べてみました。中には14,000円という値のついた本もあります。専門分野で未だに基本文献となっているが、絶版というような本は、高額で取引されているようです。売れた本もそうでした。この本はアマゾンのリストには載っているが出品されていません。出せば売れるので販売中のものがリストにないのでしょう。私から買った古書店は、それを1万円超の値で転売するのではないかと想像しました。値付けは安すぎてはいけない。素人は食い物にされる。大げさに言えば市場を混乱させてはいけない。手がけ始めた素人商法で最初に得た教訓でした。

それからは関心が古書販売の方に向いてしまって、何か売れる本はないかと、書棚を眺め、これは売れるかな、どんな値付けをしようか、などと考えたり、マーケットプレイスで調べたり。ということで、肝心の片付けのほうが止まってしまいました。本末転倒です。

古書出品に当たって、店名をつける必要がありました。亡父の蔵書を売るのが目的でしたので、あの世に行ってしまった人の本を売る書店という意味で「彼岸堂」としました。ところが、生きている私の本を売るのがメインになって、皮肉な命名になってしまいました。手元にあっても「彼岸」になってしまった本を売るという意味で、まあいいかと思っています。

2012年7月26日木曜日

旅行記の代わりにツイッター録を

【前置き】
このブログに旅日記を書くつもりでスタートしたが、旅の日程は待ってくれない。どんどん先へ進んでいく。ブログはとうてい追いつけない。それにあまりに詳しく書こうとし過ぎてしまった。「です、ます」調がいけなかったかもしれない。とにかく残りは帰国してからにする。ひょっとすると旅日記は妻に任せて、写真集のようなもので報告に代えさせてもらうかもしれない。

ということで、ここではツイッターに毎日書いているものを掲載する。そちらを読んでいただいているかたには二重になるが、まとめ読みで旅の流れをみていいただけるかと思う。

以下は「ツイログ」(ツイッターのログブック)から再録したもので、時間を遡る順に並んでいる。また、掲載日時は日本時間になっており、日付の区切りもこちらの生活時間とはずれている。それを書き直すのは面倒なのでそのままにしておく。

写真へのリンクをそのままにした。ブログ上でクリックして写真がでないようなら、もとの写真を貼り付けることにしよう。

2012年07月26日(木) 
Ins滞在23日目。久しぶりにTL読み。やはりツイッターTLで一番なまな日本の現状に触れることができるように思う。日本にいてもそうだったが、外国にいると一層。
posted at 00:15:12

2012年07月25日(水) 
   インスブルック滞在中。平たい桃、試してみます。 RT @hayano: (〈在独の〉早野研の学生諸君に告ぐ→ ) @SugitaKei: これからドイツ…に来る方は…果物を買って食べるといいですよ。安いし美味しい。今は、サクランボ、桃(特に平たい桃!)、ネクタリン、アプリコット‥
posted at 18:35:18

放置することなく、一歩一歩を見守り、ガイド役の立場。おかげで私は疲れ知らず。 RT @yokojkato: 友人で、彼氏と山登りにいったものの、彼氏がどんどん先に行ってしまって泣きながら付いて行ったという人を思い出しました。ブラジル人ポスドクと日系3世のカップルが日本にいた時の‥
posted at 16:37:54

Ins滞在23日目。帰途につくまであと7日。昨日の山歩きで足腰立たぬほど身体のあちこちにダメージを受けた妻は各所に膏薬を貼り、一晩寝てどうやら回復。日焼けとほてりで真っ赤になった顔面もほぼ復旧。今日はオフの日。まずはランドリーへ。短い滞在者にはあと7日は初日同然。悠然と過ごせる。
posted at 16:32:22

ご心配いただき恐縮です。一晩寝て、どうやら回復しました。 RT @kafusanjin: たいへんでしたね。大事にして上げて下さい。
posted at 16:20:48

事後報告。写真の説明を補足。帰途辿った登山路の様子。左端でうずくまるっているのが妻。この程度の登山路はごく普通だと思うが、妻は登山の経験殆どなし。
posted at 04:15:41

Ins滞在22日目。事後報告、続き。帰途の道でへばり、腰をおろした妻。 帰館後、踝の腫れと足痛で殆ど歩行困難。些かやり過ぎだったか。 http://t.co/m3dcIjCI
posted at 04:10:16

Ins滞在22日目。事後報告。パッチャーコーフェル登頂は緩い道で難なく成功。帰途同じ道よりはと別の登山路を。ガレ道、急傾斜、岩の不規則な階段に妻、音を上げ30分のところ80分。踝腫れ、足痛を訴える妻を叱咤激励して最終の降りロープウェイに間に合わせた。
posted at 04:07:18

2012年07月24日(火)
 Ins滞在22日目。天気よし。インスブルックの南の高山、パッチャーコーフェル(2247m)へ。到着直後に登るべきだったがロープウェイが運休中。揉め事が解決し1週ほど前に運転再開。好天待ちだった。ロープウェイ終着駅から徒歩で約300mの標高差の登りに挑戦予定。成否は妻次第。
posted at 15:38:42

旅行中は否応なしにたくさん歩きます。毎日1万歩越え。リゾート・ホテルでのプールはお遊び程度です。 RT @kafusanjin: 楽しそうですね。旅先でも運動を欠かさないアクさんは尊敬します。RT @aquamasa: 夕食前にプールで泳いだ。ジムからずっと離れているので、
posted at 04:42:21

Ins滞在21日目。レッヒへの一泊旅行から、Insへ夕刻帰着。これまでで最高の天候に恵まれ、山に囲まれた地形の素晴らしさを実感。帰りの都合から格別の遠出をせず、この地にいる時間をじっくりと楽しんだ。滞在の旅は帰途につくまであと7日。存分に滞在と旅を楽しんだが、何事にも終わりあり。
posted at 04:29:45

2012年07月23日(月)
 Ins滞在20日目、本拠を離れ、レッヒに一泊の夜。料理で評価の高い宿。昼、夜とコースの食事をしたら、胃が疲れた。夕食前にプールで、こちらにきてはじめて泳いだ。ジムからずっと離れているので、どうかと思ったが、まあなんとか。レッヒは環境への配慮、住民自治による観光地作りなどで先進的。
posted at 05:45:11

2012年07月22日(日)
Ins滞在20日目。最後の1泊旅行へ。トルーデ・ヨアヒム・バイザーやハンネスとオーットーのシュナイダー兄弟がスキー学校をはじめて以来、スキーのメッカとなった「レッヒ」ヘ。冬季だけでなく、夏も高級リゾート地として賑わっている。ハイキングコースも多数。ホテル泊りも楽しんできたい。
posted at 13:15:57

2012年07月21日(土)
Ins滞在19日目。3日ほど前から天候不順。毎日雨。雷鳴と共に激しい降雨も。周辺の山は雲の中。そんなことで足止めを食らっている。王宮にでも行ったあと、まだ未見の街角をぶらぶらしてみようか。明日から西方フォアアールベルク州レッヒへの一泊二日の旅を控えているので、その準備も。
posted at 16:13:33

2012年07月20日(金)
Ins滞在18日目。インスブルックを基地にあちこちに出かけたり、その疲れてぐったり休んだりの日々が続き、ブログに旅日記を書くことまで手が回りかねた。ようやく何日も前のツィラータール旅行の「その3」をアップした。http://t.co/Cr23qikR

Ins滞在18日目、続き。興味深かった点いくつか。選挙権は3年前に18歳から16歳へ。チロル州は、生活の質、治安、失業率などの総合点を自治体単位で比較するとEU内でトップ3位に入っている。電力は80%が水力。潜在能力はもっとあるが自然保護のためこれ以上のダム建設は止めている。
posted at 21:56:02

Ins滞在18日目。チロル州議会議事堂(1735年建立)を見学。議会事務局の責任者が、チロル州議会の歴史(14世紀に遡る)、政党、国と州との分権などについて説明し質問に答えてくれた。日本人の訪問ははじめてだそうだ。今回のプログラムで滞在中の現在約50人のうち20人ほどが参加した。
posted at 21:37:35

原子力村コアとは距離を置く原子力の専門家としてこの人に白羽の矢が立ったのは納得。機構への統合前に原研内研究畑から登用の副理事長だった。核燃サイクルに疑問符を付し疎まれた。 RT @nhk_news: 原子力規制委員長 田中氏で最終調整 http://t.co/IyC0cVh5
posted at 05:32:04

遠慮なく喝を入れてください。日本の現状はあれこれ問題多々ですが、どれもこれも日本流に当面の解決というか、やり過ごすというか、そんな具合が続くのだろうと、遠方から見ています。渦中におらず申し訳ないです。 RT @motokinoshita: ご旅行でお楽しみ中に失礼しました。
posted at 04:24:05

2012年07月19日(木)
このホテルは壮大。全長ざっと見て2百m、22階。上半分がシェラトン。再開発地域にアラブマネーで建ったもの。RT @kafusanjin: ホテルをアラブの人に高く売りつけるのは地元の人だからお金は地元に落ちることになります… RT @aquamasa: ホテルのオーナーが
posted at 13:23:31

続き。この教授、ピアニストだったウィトゲンシュタインの兄とつながりがあるかもしれない。最近「ウィトゲンシュタイン家の人々」が邦訳出版された。俄然興味が湧いて来たので、帰国したら読んでみよう。
posted at 13:06:12

Ins滞在17日目の朝。今日はミュンヘン旅行の疲れもあってオフの日に。昨日書いたクリムト関連でひとつ。ここインスブルックの州立博物館フェルナンディウムにもクリムトがひとつある。ジョゼフ・ペンバウアー(ピアノ教授)の肖像だ。 http://t.co/HFIRgezW
posted at 13:01:29

Ins滞在15日目、続き。クリムトの描いたストーンボロー嬢の姓にウィトゲンシュタインとあった。かの哲人ウィトゲンシュタインの姉で、ウィトが設計・施工管理に当たったウィーンの「姉の家」の主。その家を訪ね中にも入り、その飾り気を削ぎ落とした佇まいに感銘した。彼女はそこに住まずと聞く。
posted at 04:06:26

Ins滞在16日目。ミュンヘン二日目は文化・芸術。新・旧絵画館の蒐集絵画を午前・午後と分けてじっくり鑑賞。玉石混交だが、すごい玉もある。旧ではデューラーとか。新ではクリムトのストーンボロー嬢の肖像。終わってインスに帰る。夏休みに入り旅する若者が多く見る。帰途イタリア女大生と同室。
posted at 03:44:21

ホテルのオーナーがアラブの人となると彼らが彼らの金を回しているということ?それこそ嘗て日本がやっていたことだが。 RT @kafusanjin: そうやって石油でぼられたお金を取り返しているんですよ。嘗ての日本がプラント輸出でやったように。金は天下の回りもの。戻るところに戻る。
posted at 03:22:31

2012年07月18日(水) 
シェラトンホテルに泊まっているが目立つのはアラブ人の客。ロビーで声高に飛び交うのはアラビア語。客室階の廊下ではアラブの子供らがサッカーボールを我がもの顏に蹴って騒いでいる。ヨーロッパ世界がアラブの富裕層に乗っ取られてつつあるのか。医療を受けるため一家を連れて逗留している例など。
posted at 05:15:56

Ins滞在15日目。ミュンヘンに来て1泊している。インスブルックから来ると、大都会で驚くほどの観光客が町にひしめいている。大本山のホッホブロイハウスへ行ってビアホール気分を味わった。大きい、すごい熱気、ジョッキは1リットル。ヴァイスブルストは蓋付の大容器で来た。
posted at 05:03:23

2012年07月17日(火)
Ins滞在14日目、続き。Insを起点に登れる山は多数あり楽しめる。今日行ったストゥーバイへは、Ins市内を走っているトラムが登山電車となって山に登るのがすごい。ロープウェイ、ゴンドラ、リフトが整備されているのは、主として冬のスキーのため。チロルは全ヨーロッパのスキーのメッカ。
posted at 02:37:41

Ins滞在14日目。トラムに乗ってInsの南西方向の谷シュトゥーバイタールへ。そこから標高2036mのクロイツヨッホまでゴンドラで登り、少し先にあるミニ槍ヶ岳様のピークに登った。急斜面の登はんを恐々とやり遂げた妻。背景2700mの岩峰。 http://t.co/0ZP9PqvF
posted at 02:16:39

2012年07月16日(月)
Ins滞在14日目。今日が終わるとちょうど半分過ごしたことになる。天候は相変わらずスッキリしない。今日は近郊の村落へトラムで行ってみることにした。トラムといっても、くねくねと行ったり来たりしながら、かなりの高所まで登って行くらしい。高原の田園風景が楽しめるか。明日からミュンヘン。
posted at 16:24:05

Ins滞在13日目、続き。ミサの後市内散策、屋外ビアレストランでのチロル音楽の生演奏に惹かれて、ビールとラドラーで小休止。ホフガルテン(王宮庭園)へ足を伸ばす。よく整備され、気持ちのいい公園。夕食はヴァイスブルスト(白ソーセージ)を茹でてビール。気分は火曜日からのミュンヘンへ。
posted at 03:53:06

Ins滞在13日目、続き。さて、今日のこと。イエズス会教会のミサに出て見た。大聖堂は沢山の来会者があるだろし、観光客の入場を許すか微妙だと考えたので。ミサ参会はバルセロナ以来だ。イエズス会の会堂には、磔刑像もマリヤ様も控えめという印象だったが、そうなのかな。
posted at 03:37:04

Ins滞在13日目。こちらに来て以来、ツイッターTLをiPadのEchofonで読んでいるが、今日、TLを9時間分飛ばしているのに気づき、iPhoneに戻って読んだ。iPadに慣れると、iPhoneってちっこいな。
posted at 03:22:33

2012年07月15日(日)
Ins滞在13日目。今日は終日雨の予報。予定のゼーバルト行きは取りやめ。雨が上がったらトラムに乗って郊外に遠出しようか。その前に大聖堂のミサに参会してみようか。と、のんびりしたスケジュールが続いている。それでも先がある。滞在旅行のゆとり。
posted at 16:27:21

Ins滞在12日目。今日は時間があったのを幸い、書きかけだった「ツィラータールへの旅」の「その2」をブログにアップした。ダラダラと長いもの、以下に。http://t.co/7sagQXj8 
「その3」は、いずれ又。
posted at 00:58:38

2012年07月14日(土) 
Ins滞在12日目、続き。ビール事情。飲食店で日本の中ジョッキ(0.5リットル)が、3.5ユーロ。350円と安価。スーパーで買えば1ユーロ、100円だ。安い。ドイツ語圏では、ヴァイスビール(濁りビールとでも言おうか)を好んで飲む。日本にはない味。特にZillertal産がうまい。
posted at 22:25:23

Ins滞在12日目、続き。妻のパン作り体験の間に、私は近くの州立博物館へ。『チロル案内』で津田正夫が熱を込めて書いているチロルの画家デフレッガーの絵を見たいと。「スペックバッハーと息子アンドレル」は実見したが、他の作品はない。ブリューゲルとレンブラントの小作品。クリムトもあった。
posted at 22:07:11

Ins滞在2日目、続き。今日は、妻は近隣の村のパン工房で、パン作り体験へ。昼過ぎに、自分で作ったパンをいっぱい抱えて帰ってきた。昼は自室でパン、チーズ、ビールで昼食。
posted at 21:56:01

Ins滞在12日目。雨。天候は期待していたより雨が多い。日本の梅雨のよう。山地の天気はこんなものか。これまでの日程で終日晴れた日は3回しかない。雨は程度の差はあるがほとんど毎日。雷鳴とともに叩きつけるような雨という日もあった。日本の豪雨禍のニュースを聞くと、贅沢は言えない。
posted at 21:51:59

退路を断っての新らたな出発に期待。厳しい道を敢て行く君の前途に祝福を。 RT @kazesaeki: …7月20日付けで、ユーラシア旅行社の専務取締役を辞任することになりました。今の予定では、7月中に新たな会社を立ち上げ、初心に戻って、風の旅人の復刊を目指したいと思います。
posted at 00:39:00

ツィラータールへの旅。ブログにつけた写真をこちらにも添付。Flipで読んでもらうと写真を添付した方が見栄えがいいと、さもしい気持ちで。 http://t.co/1ZLv8lSt
posted at 00:20:40

Ins滞在11日目。オフの日にして、写真を整理し、ブログに2~3日前のツィラータールへの旅を書き始めたものの、前書きの部分だけで半日かかってしまった。とりあえず以下に。http://t.co/3z9neHli
posted at 00:12:35

2012年07月13日(金)
Ins滞在11日目。早くも1/3超。昨日は独国ミッテンヴァルトまで出向いたが、ヴァイオリン博物館で古いものを見ても、どうということなし。家屋壁面のフレスコ画は稚拙。何だかなぁ。今日はオフの日。雨天。ランドリーをし、写真整理をしてブログに何か書くつもり。健康良好。良飲適食好調。
posted at 16:25:28

2012年07月12日(木) 
Ins10日目、木。昨日まで2日間の「外出」をしたので、疲れ休みをとり、ブログ書きでもしたいところだが、オプショナルツアーに参加してミッテンヴァルトへ出かけることにした。鉄道で独墺国境を超えてドイツに入ってすぐの町。バイオリン作りで知られている。家屋の壁面のフレスコ画でも。
posted at 15:40:32

Ins滞在9日目。ツィーラータールへの旅からInsの定宿に帰館。マイヤーホーフェンからペンケン山頂へのゴンドラ乗車&ハイキングは好天に恵まれ、存分に楽しめた。谷の奥に幾重にも連なりつつ重畳する峰々の眺めを満喫した。帰館してみると滞在の旅仲間が次々に到着していた。滞在数12→52。
posted at 01:12:10

2012年07月11日(水) 
チロル滞在9日目。チラータールの宿で朝を迎える。もう一日ここに。目まぐるしく変わる天気が問題。今のところかなり晴れているが当てにならない。今日は谷のどん詰まりマイヤーホーフェンへ行き、ペンケン山頂までリフトで昇り、3千m級の山々の眺望を楽しむ計画だが、どうなるか。夕刻Insへ。
posted at 13:28:00

インスブルック滞在、8日目の夜。チーラータールへ出かけ、外泊。ゴンドラを乗り継ぎ、クロイツヨッホの山小屋を目指したが、悪天候で退却。谷に降りたら快晴というちぐはぐ。夜はチラータールの音楽をライブで楽しんだ。観光資源を生かして多くの人を惹きつけ、豊かに地方色を残している。
posted at 04:52:17

2012年07月10日(火)
インスブルック滞在8日目、朝5時半。これから妻とZillertal(ツィラー谷)へ一泊旅行に出かけてくる。ここはチター(「第三の男」で知られる)発祥の地、「聖しこの夜」を再発見して世に出したことで知られている。天気予報は×だが、ここでは天気予報は当てにならない。◯を期待して。
posted at 12:31:41

ブログエントリのテキストは失ってしまったが、とりあえず、あらすじだけを再現して、画像とともに以下に。http://t.co/YpBwdX6E
posted at 04:54:15

インスブルック滞在7日目夜。旅先からの旅行記をブログに書いていてる。今日はかなりの時間を使って3日前の分を書いたが、最後の瞬間、全文を消してしまった。うーむ残念。もう書き直しする気がしない。明日から単独行の一泊旅行に出る。夜なべ仕事は無理。iPadのメモ帳でundoはどうしたら。
posted at 04:30:56

2012年07月09日(月) 
Insbrk 滞在7日目。曇天&冷涼。どこへも出かけず、ランドリーなどを予定。通りを隔てて向かいにコインランドリーあり。長期滞在者には有難い。寒暖の差が激しい。今日は2ヶ月ぐらい季節が戻った感じ。セーターを着込む。部屋に籠って、遅延しているブログを書こう。
posted at 16:21:28

インスブルック、6日目。アッヘン湖へ。奇怪な形の山々に囲まれ、深い藍色に澄む湖もさることながら、湖畔への鉄路を走るSLが見もの。歯車をかみ合わせて急勾配を登る1889年製のミニSLが観光資源として現役。快晴→日焼け→疲れの因果で、明日は大人しく過ごす予定。今週は天候不順らし。
posted at 04:36:46

2012年07月07日(土) 
INN滞在記、3日目分、「北の高嶺に登る」をブログに。 http://t.co/FhWIF5pS
posted at 22:28:29

INN5日目)昨日は朝のうち驟雨。市南部の丘、アンブラス城へ。晴れて来たので、午後からインスブルックの南側の山嶺パッチャーコーフェルへ登る。リフト(椅子式、スリリング)を2回乗り継ぎ、2035mの高みへ。昨日と逆向きに北方の連山を望む大パノラマ。密度濃い観光に疲れ今日はオフ。
posted at 17:13:58

2012年07月06日(金) 
INN滞在4日目の朝。昨日は晴天に恵まれ、ノルトケッテへ。ケーブルカーとロープウェイ2段を乗り継ぎ、ハーフェレカー山頂駅まで。さらに標高差約百mを登り、2334mの山頂に立つ。素晴らしい眺望。今日はINN南側のパチッチャーコーフェルへ。いずれブログに画像と詳細を。超多忙。
posted at 13:17:51

2012年07月05日(木)  
ご教示多謝。現地キャリヤの名が表示され、棒が立ったりするので不安でした。wifi強度表示のリングが出ていればOK ということですね。 RT @benrikana: WiFiの電波を受信できていればWiFiで接続してます。設定でも確認可能。RT @aquamasa: iPhone…
posted at 12:51:12

今日は興奮の一日でした。インスブルック到着以来ずっと雲に隠れていた山々が、午後になって姿を見せてくれたのです。この街の魅力が一気に増しました。その詳細はブログに。http://t.co/HukPDpvF
posted at 04:29:38

2012年07月04日(水) 
 原子力規制委員会の委員長や委員の人選が問題になっている。「原子力ムラ」の人材を排除するねらいの人選基準に、専門家からは「基準に合う人材が見つかるのか」との声が出ているそうだ。裏返せば、これ迄の人選がいかに「汚染」されていたかということ。適格・有能な人選を期待したい。
posted at 15:24:35

INN 滞在2日目)iPadをメインに使いたいのだが、ホテルのwifi回線接続のid,pwを毎回入力を求められ、一度やり損なうと、キャンセルになるらしいこと。ツイッターに書くほどのないことで、深夜格闘中。 今日はまずはインスブルックの街に、こんにちは、の散策など。
posted at 11:22:27

インスブルック滞在、2日目)時差に勝てす、睡眠時間2,3時間で目が覚めていまい夜中の2時から起きてしまい、あれこれの雑事をこなしている。問題山積。iPhoneがホテルのwifiに繋がっているのか、ひよっとすると現地キャリアに自動で繋がっているのではないか不明のこと。
posted at 11:12:33

インスブルックに到着。ホテルに入り、ようやくネット接続。長い一日がようやく終わろうとしている。こちらばかりくもり。やや冷涼。雲間から近くに聳え立つ高嶺を見る。
posted at 02:26:33

2012年07月03日(火) 
機体はA380-800、機内モードに。
posted at 09:50:26

インスブルック滞在旅行1日目)LH711搭乗。サイコウブキヤビン。ボーイング747-8、Berlin号。続々搭乗中。
posted at 09:34:55

インスブルック滞在旅行、1日目)NRT 空港第一ターミナル。集合時間より1時間早く到着。担当者待ち。出発は9:45、LH711。
posted at 07:30:25

2012年07月02日(月) 
インスブルック滞在の旅、-1日目)水戸から、北関→常磐→圏央自動車道と辿り、成田の前泊ホテルに至る。30日の駐車のため空港近くの駐車場へ車を託す。空港ターミナルに至り、夕食。ビール、日本酒と寿司でしばし日本にさらば。ホテルでもターミナルでも人減らしでサービス劣化を感じる。
posted at 19:45:19

2012年07月01日(日) 
このところ眼鏡の度が合わなくなってきて、細かい字を読み書きするには読書用の眼鏡をかけることにしているが、時々眼鏡の掛け替えを怠り、誤変換を見逃してしまう。先の「インスブルック対座旅行」もその例。「対座」→「滞在」。Echofonの書き込み欄は特に厳しい。
posted at 13:10:34

明日から旅に出る。オーストリア・インスブルックへ。旅先通信は『アクエリアン雑記帳』 http://t.co/dc8KzvLf に載せる予定だ。旅の概要を『インスブルック対座旅行へ』として掲載した。 http://t.co/Sl5KEpZ0
posted at 11:03:11

2012年7月20日金曜日

7月10(火)-12(水)ツィラータールへの旅、その3




【ペンケン山ハイキングコースから谷の向こうの山の連なりを見る】

ツィラータール二日目の朝は、谷は朝靄がところどこにかかっていましたが、その上は青空に綿雲が浮かんでいる程度です。今日は午前中から晴れると、勇んでハイキング態勢を整え、ホテルをチェックアウトしました。こういう一泊二日のハイキング行での問題は、宿泊に伴う旅支度を全部リュックに背負ってハイキングに出かけなければならないことです。荷物をホテルに預ければいいのですが、帰りに寄るのが面倒なのです。鉄道で別の駅に行ってハイキングをし、そのまま一気に帰りたいのです。

ツィラータール鉄道で終着駅のマイヤーホーヘンまで行き、ペンケン山頂のなだらかなハイキングコースを歩くのが今日の予定です。マイヤーホーヘン駅から街の中心部の商店・ホテル街を歩き、ペンケンバーンの駅まで15分程度あるきました。観光客は、僕らが宿泊したツェル・アム・ツィラーよりずっと多く、賑わっているようでしたが、それだけ観光地化・俗化していると見ました。宿泊地の選択は当たりだとニンマリしました。

ゴンドラの発着駅に近づくと、町の真中から山にへ向かって鋼鉄ワイヤーが掛けられていて、沢山のゴンドラが上へ下へと動いています。その先は雲の中に消えています。そのロープの長そうなスパンといい、急角度であることといい、先が見えないことといい、怖いようでした。



【マイヤーホーフェンの町中の発着所からペンケンに登るゴンドラ】

昨日乗ったゴンドラは8人乗り、今日のは15人乗りでした。空車になったゴンドラが乗り場をゆっくりと回って来ます。それに乗り込むのに妻は緊張気味でした。ロープに噛んで動き始める時に大きく揺れます。こちらに来て椅子式のリフトを、それも30分以上も乗る長いのを経験したので、だいぶ慣れて来たとはいえ、妻はこの手の乗り物は苦手のようですが、覚悟を決めて無言で乗り込みました。乗り込んだゴンドラがたまたま、外周の前後がプラスチックガラスではなく、金属の網目のものでした。外気がすうすう入ってくる、鳥籠のようなものです。これには参ったようです。何基かのゴンドラの中にたまに鳥籠方式のものが混じっていることが、行き交う下りのゴンドラ見て分かり、帰りには絶対にこれには乗りたくないと言っていました。

さて、ゴンドラは雲の中に消えて行きます。その先はどうなっているのか、不安と好奇心と入り混じりましたが、何のことはない、薄い霧がかかったような層を抜けると、パッと天上の世界が広がり、周りの山々がパノラマのように見えて来まし。素晴らしい光景です。間もなく一つの山の背の支柱を越え、谷を渡り、中継駅に着きました。少し歩いて上のゴンドラの駅からさらに乗り継いて、標高2005mのゲシェスベルクに着きました。発駅の標高が定かではないのですが約650mとすると、およそ1350mをゴンドラで登ったことになります。

ここからはなだらかな高台の上のハイキングコースで終点のペンケンが2095mですから、ほとんど登りとは言えないコースです。それも早足なら30分ほどで行き着く楽なコースです。周囲の山並みや花畑を楽しみながら、ゆっくり歩きました。ペンケン山は山頂がどことも言えない平らな高原の広がる山でした。



【ハイキングコースにはこんな花畑が広がっていた】

(ここまで書いたところで中断し、何日も経ちました。それからあれやこれや、いろいろとあって、もうその時のことが思い出せないほどです。さっさとお終いしましょう)

この日はとてもいい天気で、ハイキングを楽しみ、パノラマレストランでの昼食(当然ヴァイス・ビールと、妻にはラドラー付き)を賞味し、下山しました。帰りは終点のマイヤーホーフェンから乗り換え駅のイェンバッハまでツィラータール鉄道に乗り、インスブルックに帰着しました。一晩外泊して、ホテルの自室に帰り着いた時には、ただいま帰りました、と思わず言いたいほど、ホテルが自宅のように思えたのでした。

はじめての自主計画の遠出でしたが、行ってみたツィラータールは、実に良いところで、それから何度もあちこちの山に遠出することになりました。

2012年7月15日日曜日

7月10(火)-12(水)ツィラータールへの旅、その2


【泊まったホテルのベランダからツィラータール鉄道のSL列車を見る】

ツィラータールは、インスブルックから東へ鉄道で30分ほどのイェンバッハから南方へ、大きく開けた谷です。南端のマイヤーホーフェンまで32キロ。そこまでツィラータール鉄道という私鉄が走っている。1900年開業というから、日本では明治末期、かなり古くから走っているものです。760mmという狭軌の中でもとりわけ狭い軌間長で知られています。見るからに狭い。この路線を蒸気機関車が走っています。小さく可愛い機関車。ここへ出かける2日ほど前に同じイェンバッハから北へ向かうアッヘンゼー鉄道を利用しましたが、その機関車に比べれば、まともな形をしています。一日2往復の蒸気機関車が牽く列車の代金はディーゼル機関車の牽く普通の列車料金の倍ほどです。それでも人気があるらしく、普通は2、3輌の客車を牽くのですが、蒸気機関車が牽く列車では6、7輌編成で、中には天蓋なしの貨物車両みたいな展望車もついていました。

さて、これに乗って、ツェル・アム・ツィラーまで。広い谷ですが、谷ですから、両側に山が連なります。最初のうちはなだらかな丘のような山で、山頂近くまで牧草地が広がっていました。一つ一つの牧草地が防風林のようなもので仕切りがついているのが目立ちました。ここは俺の領分だと、自己主張しているみたいです。

ある駅の周りは木材の集積場になっていました。丸太のままきちんと切りそろえられたもの、製材されたものなどが、広い敷地いっぱいにうず高く積み上げられていました。この辺りの山林どこにもあるツィルベ(霜降り松)です。家屋も家具などもこの材料で作られています。香りがとてもいい木材です。林業が結構繁栄しているなと、ふと日本の林業の現状を思いました。

ツェル・アム・ツィラーに着きました。まず予約したホテルに確認に行きました。駅からすぐの線路沿いにある、新しくて感じの良さそうなホテルでした。あとで来ますと、ローゼンタール・バーン(ロープウェイ)に向かいました。山の麓の発着場まで15分か20分ほど、結構歩きます。ロープウェイは、路線によって色々なタイプがあります。ここのはゴンドラでした。8人乗りの小さなゴンドラが沢山宙吊りになって、上に向かっています。ほとんどが空でした。今にも雨が降り出しそうな天気でしたから、こんな日に登山をしようという人は少ないのでしょう。

私たちも天候が心配でしたが、スケジュールを組んだ以上、行くしかありません。2段に乗り継いで、1744mまで行きました。途中で雨粒がポツポツとゴンドラの窓に降って来ました。やれやれ。終点に降り立ってみると、雨はざあざあと音を立てて降っています。雨対策はしてきました。さっそくノースフェイスのレインウエアに着替えました。雨傘にはL字金具でカメラを取り付け、傘とカメラを取り付け一体で持てるようにしました。

頂上駅から1910mのクロイツヨッホヒュッテを目指します。ガイドブック("Walking Easy in Swiss and Austrian Alps 4th ed." by Chet Lipton; iUniverse 2007刊)には1時間ほどの登りで、途中ツィラータールのパノラマ展望が楽しめるとあります。標高差が約170mほどあり、私たちの足ですから、2時間は見るつもりでしたが、雨は土砂降りだし、眺望は楽しめようもなし。15分か20分ほど歩いたところで、引き返すことにしました。その時の妻の写真が前回分の文末に載せたものです。私たち以外にも戻ってくるグループを見かけました。

幸い頂上駅近くにレストランがあるのは、確認していました。そこでゆっくり休み、あとはその時の天候次第と考えました。レストランにはたくさんの登山者がひしめいていました。片隅に席を見つけ雨具を脱ぎホッとしましたが、ウエイトレスに何度も、合図しましたが、注文を取りにやって来ません。忙しいのだろうと待つことしばし、おかしいなとメニューを見ると、"Selbstbedienung" とあります。セルフサービスだったのでした。カウンターに行きビールと妻にはラドラーを取り、料理を注文して来ました。料理はあとで届けるという仕組みでした。ちなみにラドラーRadlerは、チロル地方独特の飲みもので、ビールとレモネードを半々程度に混ぜたもの、アルコール度数は2%と低く、飲みやすいし、ハイキング途中に喉を潤すにはとてもいいものです。

ゆっくりと食事をしているうちに雨は上がりました。しかし、もうハイキングをやる気は失せていました。降りて、早めにホテルに入り、ゆっくり休み、ツェル・アム・ツィラーの夜を楽しむことにしました。

ゴンドラで降りてみると、もうすっかり晴れ上がり、気温も上がって、歩くルートに日陰がほしいほどです。しかし、ホテルまでの道は牧草地の中を通過し、求めるべき日陰もありません。なんたる皮肉。上で雨に打たれ、ギブアップして帰る道は陽射しで溢れかえっているとは。


【下に降りたら、こんな風にすっかり晴れあがっていた。恨めしい天気】

チェックインしたホテルは、香り高い木質の建物で、モダンなインテリアデザインに凝った建て方です。案内された部屋は、二階にあるスイート・ルーム。この宿は、長期滞在者を主な対象にしているらしく、フルファーニッシュのキッチン付きリビングと寝室がセットになっています。正面に面したベランダからは道路を隔てて線路があり、ツィラータール鉄道が走っています。部屋に入って間もなく、SL列車が走るのを見ました。

夕方散歩に出ました。線路の向こう側が街の中心街のようです。ホテルやレストランが軒を連ね、それぞれ各階のベランダがゼラニュウムで飾られています。それが赤や白だけでなく、濃淡のある紫などもあり、飾り付けを競い合っているようです。

宿のベランダから見えていた尖塔のある教会に入ってみました。内部は明るく、美しい天井画などで飾られていました。主祭壇、脇の祭壇とも、見事です。豊かな村落共同体で支えられている教会なのでしょう。教会の周りの空き地はぐるり全部墓地で埋め尽くされていました。墓碑は画一的でなく、それぞれ個性的に形が工夫されています。多くの墓碑に故人の写真が埋め込まれているのは故人を思い出させていいですね。これはスイスでも見たものです。墓碑前の区画は小花壇になっていて、どれも思い思いに花で飾られています。亡くなった人を思い、頻繁に訪れては手入れをしているのでしょう。家族が代々村落を離れず住み着いていることの証と言えます。この活きている墓地を日本のそれと対比して色々と考えてしまいました。祖先を思う心情の普遍性、時代とともに変わってしまった社会状況などをです。


【ツェル・アム・ツィラーの教会墓地の様子】

夜は、この散策時に見かけた民俗音楽のライブのあるレストランに出かけました。前に書きましたが、このツィラータールが発祥の地と言われるチターの奏でる音、そしてこの谷で歌われる歌唱を、ここに一泊だけの夜に聞いてみたいと願っていたのでした。とても陽気なものでした。4人の楽士が、演奏し、歌い、時には万才めいた語りも交えて、満席の客席との掛け合いなど、分かりようがないのですが、その明るさだけは印象的でした。期待のチターは脇役で独立した演奏がなかったのは残念でした。「第三の男」での特異な用いられ方と、この谷の音楽に繋がりを見出すのは困難でした。



【レストランでのライブミュージック、右がチター、小型のハープだが低音域】

2012年7月13日金曜日

7月10(火)-12(水)ツィラータールへの旅、その1






【2日目、快晴のハイキングコースをたどる】
今日、7月13日(金)は、終日何もしない日にして、ホテルの部屋に籠っています。クリーニングのメイドさんには、タオル交換だけしてもらい、お引き取りを願いました。ホテルですから、毎日クリーニングをするのが原則でしょうが、4週間も長逗留をするのですから、毎日敷布を変えたり、ベッドメイキングをしてもらう必要はないのです。

ほとんど毎日、何処かへ観光にでかけていますので、写真の整理、旅行の記録など、たくさんの雑事が溜まっています。このブログに旅行記を書き、写真をお目にかけるのも、途切れとぎれになってしまうのはお許しください。今日は前回から間を飛ばし、表題のツィラータールへ一泊旅行をした次第について。

今回の旅行は旅行社がすべての行程を決めてある企画旅行でなく、滞在だけが準備されていて、何処に、何時、出かけるかは、それぞれに自由に任されています。しかし、そうはいってもよほど周到に旅行資料に当たり、あらかじめ計画を立てていない限り、自由に動けるものではありません。旅行社がいくつかのオプショナルツアーを用意していて、それに乗っかって出かけることになりがちです。

それでは本来の滞在型の旅にならないと、私らは、自主計画の旅行をしてみるつもりです。その第一弾として、ツィラータールへ行ってみました。日帰りでは慌ただしく一箇所だけを見てくることになります。こちらに宿が確保されているのにそれを空けるのは勿体無いですが、一泊して、2日にわたる旅程を組みました。

ツィラータールは、インスブルックから東へ鉄道で30分ほどのイェンバッハから南に伸びている代表的な谷です。そもそもチロルは全面オーストリア・アルプスに覆われています。綿々と山脈が幾重にも連なっています。山脈の間に、谷が葉脈のように複雑に伸びています。イン川の流れるイン谷が主脈で、そこから支脈の谷が伸び、それがさらに枝分かれし、・・・と地形が構成され、その谷に人々が住んでいます。その谷ごとに、村落が連なり、共同し、地方色豊かな文化を形成しているようです。そんな谷ごとの文化の中で、ツィラータールは代表的なものの一つらしいです。




私ら古い世代は、映画「第三の男」のバックミュージックを印象深く覚えています。その楽器がチターという楽器によって演奏されてことも知っています。そのチターは、このツィラータールで古くから使われていたものでした。クリスマス讃美歌の代表的なナンバー「聖しこの夜」は、もともとオーベルンドルフというザルツブルク近くの村が作られたのですが、それを世に流行らせたのは、ツィラータールの人々なのだそうです(津田正夫『チロル案内』暮しの手帖社、1968年刊)。オーベルンドルフで、ある事情で作られたものの忘れられていたのを、ツィラータールの人が再発見し、歌い始めたということのようです。

そんな興味と、谷を取り巻く山々の眺望が素晴らしいと『オーストリア・アルプス・ハイキング案内』(小口和利、山と溪谷社、2000年刊)などで知り、まずは行ってみようと思っていました。何処に泊まるか、こちらに来て、旅行社なり、ホテルのコンシェルジェなりに仲介して貰えるかと期待して来ました。しかし、これは自分でということで、インターネット予約を利用して、谷の中心、ツェル・アム・ツェラーに適当な宿を取りました。

ここまで書いて来て、何だか前説だけで長くなり、本論に入らずに時間切れとなりそうです。とりあえずここまでの分をアップして、今日はおしまいにします。
写真だけつけましょう。初日は雨の中のハイキングとなり、ゴンドラで1750mまで上ったものの、1900mの目的地の山小屋まで到達できなかった時の情けない状態を下の写真に。そして次の日には快晴に恵まれて、高所(2000m)でのハイキングの様子を最初の写真に。





2012年7月10日火曜日

テキスト喪失、残念


インスブルック滞在7日目夜。旅先からの旅行記をブログに書いてきた。今日はかなりの時間を使って3日前の分、インスブルックの南側の山、パッチャーコーフェルに登った次第を書いたが、最後の瞬間、全文を消してしまった。うーむ残念。もう書き直しする気がしない。明日から単独行の一泊旅行(ツィラータールヘ)に出る予定だ。夜なべ仕事は無理。

あらすじだけ。
・南の山にも登りたいとの願望。
・生憎の雨天。
・代わりにアンブラス城へ。
・ところが晴れてきた。
・そこでパッチャーコーフェルヘ。
・ただし、正規のロープウエイが休業中なので、サブのリフトで。
・これがむき出しの椅子席、しかも標高差1500メートルを登る。
・ビビったが、やってみれば楽し。
・空中遊泳といおうか、空を滑る気分。冬季のスキーゲレンデの草花、放牧されている牛たち、彼らの鳴らすカウベルののどかな音色。
・頂上からの眺めは上掲の画像。その一日前に立った峰は画像右端から三つ目の峰。
・こわごわと下りのリフトに乗る妻の後ろ姿を以下に。



テキスト喪失の原因はiPadのメモ帳で書いたものを全文選択したあとコピペする段階での操作ミス。iPadでundoはどうしたら良かったのか。cmd+Uだったと思ったのだが。

2012年7月7日土曜日

北の高嶺に登る




インスブルック最初の3日間は、第一印象を貪るように吸収したくて、これはというスポットを駆け回りました。4週間もいるのですから、そう慌てることはないのですが、気がはやりました。たちまち疲れ、このペースでは到底持たないと、今日5日目はホテル自室に籠ってパソコンに向かっています。

初日、北側の連峰をみてその近さ、高さに興奮したことを前回書きました。その連峰の鞍部までロープウエイで容易に行くことが出来るのです。翌日、5日(木)に、早速出かけました。

市内の王宮のそばの乗り場から、近未来的とも思える最新式のケーブルカーで山の直下まで行きます。そこからロープウェイを2段乗り継いで山頂駅まで1400m程の標高差を一気に登ります。ここからはちょっと登山気分。背中にはDeuterのリュックサック、両手には以前スイスに行った時に使ったLekiのストックを持って、15分ほど登り、2334mのHafelekarsptzeI(ハーフェレカール山頂)に立ちました。妻のみやも頑張って登りました(と言っても大したことではありません)。

ここからの眺めは素晴らしい。インスブルックが眼下に広がっています。イン川が蛇行して走り、流域に広い谷を形成し、それが東西に伸びています。谷の向こうには、こちらの連峰に負けない高い峰々が幾重にも連なっています。インスブルックから南に向かっては別の谷、ヴィップタールが伸びていて、その先には、イタリアとの国境、ブレンナー峠があります。古い時代から、北ヨーロッパからイタリーに至る交通路でした。この眺めはもっと俯瞰して描けば、二つ前のエントリーに使ったパノラマ図となるのでしょう。

この山の北側は、累々と鋭い岩肌を見せた峰々が連なっていて、なるほどオーストリア・アルプスのど真ん中にいるのだと気付かされます。その様子を写し、ついでに妻がこの高みに立った証拠写真として添付します(笑)。



せっかくここまで登りましたので、あたりを歩いたり、座り込んだりしてこの場所にいる興奮を鎮めました。面白いもので、お互いの興奮を分かち合おうとするのか、誰でも彼でもが話しかけて来ます。山の上では皆が友達になる、そう実感しました。妻は女性とだけでなく、髭のおじさんからも、ハグと両頬キッスをされたほどです。

2時間ほど上に滞在して、下界に降りました。そこは真夏の天気、山頂で冷たい風に吹かれて纏った防寒着を慌てて脱ぎました。

もう一日分あるのですが、それは又。

2012年7月5日木曜日

インスブルック到着




7月3日(火)午前10時前に成田を発ち、フランクフルト経由でインスブルックへ夕方着きました。時差のせいで長い時間一日を過ごし、あまり眠られぬ夜を過ごして、本日、4日から、インスブルックでの活動を始めました。

一行12人のグループですが、それぞれ独立して好きなように過ごすのが基本です。ただ、今日はインスブルック市内のオリエンテーションとあって、午前中だけ一緒に市内を歩き回りました。旧市街を中心に市の中心部の歩き回り方を知ること、主な乗り物(鉄道、トラム、バスなど)の利用の仕方、お勧めの食事場所、スーパーマーケットなど買い物の場所など、これから自主的に個人の計画で動き回るのに必要な事項を教わりました。

インスブルックは小さな街です。主な場所は徒歩20分以内にあります。旧市街は特にこじんまりとしてすぐに馴染めそうな街です。

午前中のオリエンテーション時には、雲が深く垂れ込めていて、インスブルックを取り巻く山々が中腹以下しか見えないのが残念でした。それが昼食後に一転した晴れ、全容を見せてくれました。

素晴らしい! 峨々とした峰々が連なって、目の前に迫るように聳え立っています。まるで上高地に街があるような趣きです。特にノルトケッテン(北の鎖)と呼ばれる市北側の連山は、都市部にこんなに近接して山岳があるなんて信じられないような近さです。

その様子を一刻も早くカメラに収めたいと、再び街の中心部に向かいながら、何枚も写真を撮りました。この山の迫り様の凄さを写真に写しとるのは難しかったのですが、とりあえず一枚お目にかけます。

上掲の画像は、インスブルックのメインストリート、マリア・テレジア通りの代表的撮影ポイントで撮ったものです。中央に見える大理石の柱がアンナ記念柱、その向こうに見える塔はシュピタール教会です。街の賑わいをいれて撮ってみました。この通りの先に旧市街があり、通りが狭くなって、名所の「黄金の小屋根」前当たりでは、観光客でごった返しています。

明日は、天気がよければ、ノルトケッテまで、ロープウェイを乗り継いで登ってみる予定です。天気がいいと、気温は30度近くまで上がります。歩き回ると汗だくです。一方、夜になると20度を下回り、けっこう寒いです。長い滞在ですから、あまり頑張りすぎず、健康第一に過ごすつもりですが、いささか興奮気味です。ではまた、

2012年7月1日日曜日

インスブルック滞在旅行へ



   【インスブルック北東からの南西方向を見るパノラマ
    『チロル/パノラマ展望』(新潮社トンボの本)より転載】

 明日から旅に出る。オーストリア・チロル州の首都、インスブルックに1ヶ月滞在する。ヨーロッパ・アルプスの谷間にあり、高山に囲まれ、イン川が流れ、風景も都市景観もすばらしいこの町での滞在を楽しむことが第1の目的だ。また、ここを基地にして,近隣の谷にハイキングに出かけたり、ローブウェイなどで高みに立ったり、交通の便を利してドイツ南部、イタリア北部まで足を伸ばしてみようとも思っている。ある旅行社が企画し、オーストリア観光庁が支援して、7月はじめから8月末まで、滞在時期をずらし、思い思いの滞在期間でのべ300人ほどが出かけると聞いている。私ら夫婦は先発グループに参加して,とりあえず12人で明後7月3日(火)に旅立つ。出発便が早い時刻なので、成田に前泊するため、旅立ちは実質明日,月曜日だ。帰国は8月1日(水)の予定である。

 電子機器としては,使い慣れたiPhoneと、この旅のため使いはじめたiPadを持参し、旅の次第をこのブログでお伝えするつもりだ。日中行動、日本での状況などへの反応などの短信はツイッター( https://twitter.com/#!/aquamasa )でも、無料wifiに繋がる場所から送るつもりだ。

2012年6月20日水曜日

フォトジャーナルをまとめてここに

フォトジャーナルをはじめた。

これはアップル社が Mobileme を閉鎖することでなくなってしまうフォトギャラリーの代替として開設したもののようだ。

それぞれのジャーナルを公開する度に、twitter、FB,このブログなどでお知らせするつもりだが、分散してしまうので、いずれメインのホームページで一覧できるページを作るつもりだが、とりあえず、ここにリストを作っていくことにする。

まだ一つだけだが,以下追加していく。

『信濃追分山荘滞在・小諸懐古園』(12/06/11)

Blogpostで成功

Blogpostでは、iPad内の画像を参照でき、そこから添付画像ファイルを選べる。
Bloggerの標準書き込み欄では、それができない。GoogleがiPadのSafariに対応していないのだ。

旅先の対応として、テキストの入力と、画像アルバム(先日公開したiPad用iPhotoを使ったジャーナルなどのような)へのリンクを貼り、そこからみていただくという場合などに、正規の書き込み欄と、使い分けが必要のようだ。

上記に書いたフォトジャーナル
『信濃追分山荘滞在・小諸懐古園』



-- iPadから送信

Blogpost に戻って画像添付のテスト

前記のように SafariからBloggerの標準書き込み欄を使うとiPadでは、画像選択ができないことが分かった。
そこで、アプリのBlogpostに戻って、画像添付を試してみる。


-- iPadから送信

画像追加のテスト失敗

テキスト入力のテストはうまくいったので、次に画像添付のテストをして見る。
標準の画像添付の機能「パソコンから追加」は、iPad にファイル選択の機能がないので、使えないことが分かった。
これはショック。
代替手段として、画像をコピペしてみようとしたが、うまくいかない。
その点Blogpost うまくできているのだな。

iPad によるテスト書き込み

旅行先でiPadから「雑記帳」に書き込みをしようと思う。アプリのBlogpostを使うことはできるのだが、正規の書き込み欄をつかってみよう。iPhoneでは、Safariを立ち上げ、さらに正規画面を出してというの面倒だし、画面が小さいのでBlogpostを愛用した。これからはiPadを持って行くので、パソコンに比べてハンデはさほどない。こちらで試してみよう。

2012年4月28日土曜日

遺物ブログだと?

しばらくこのブログに書くのを怠っていたら、グーグルからメールがやって来た。"Legacy blog" (過去の遺物となったブログ)だと。放置すると5月以降は使えなくなるぞ、新しいアカウントに移行せよ、と。ははぁ、銀行の休眠口座並みと見なされたか。

そこで指示された通りに,移行手続きを取ろうとしたが、ユーザーネームとパスワードでログインできない。変だなぁ。Gmail ではちゃんと生きているのに。こうして書き込めているIDとpwが、移行手続きでは効かないとは、どういうことか。パスワードを変更してみた。それでもダメ。

仕方ない、こうして書き込んで,このブログ生きていますと,いき残りを図ることにした。この手段が通用しないと、5月末日をもって、新規書き込みはできなくなる。死火山になってしまう。どうなるか。