このブログ画面の左コラム上から2番目にこのタイトルの欄がある。私の目にとまったブログ記事で、意見を共有するもの、感銘を受け、他の方にも読んでいただきたいものを紹介している。そう頻度は高くないが、なかには珠玉の文章もある。
最近ご紹介している「歓談のサロン」のエントリは特にそう感じている。母上の迫りくる死を愛情と尊厳をもって、しかし、淡々と語っている。異国の地にあり、古楽器演奏を愛し、仲間たちとの交友を楽しみ、翻訳をもって生計を立てている(らしい)。ときには帰国され、日本で過ごされる(らしい)。以前から互いのブログを読み合うだけの仲だが、通じ合うものを感じている。「有難う」は、涙無くして読めない。
この欄は GoogleReader の機能を使って実現できている。
2010年9月15日水曜日
旅行先でのインターネット・ガジェット
今回の海外旅行でこのブログの書き込みなどに使った道具類(ガジェット)を紹介しよう。ネットへの接続端末、接続手段、画像の取り込み、ブログへの投稿などについてである。
ネットへの接続には、iPad と iPhone を使用した。両方とも無線LAN(wifi)経由である。さいわい最近ではどのホテルでも、また今回利用したクルーズ船でも、無線LANは整備されている。無料ではなく、料金さえ払えば利用できる。これはかなり高めである。有線LANだけしか利用できない場合もあり、その場合に備えて、有線で受けて無線にしてくれる無線LANルーターを持参したが、使えなかった。パスワードを失念からである。自宅で普通に使っていたものを、そのまま使えると持っていったら、接続にパスワードを要求されて、何ともしようがなかった。帰ってからマニュアルを見たら、機器の裏面にあるシリアル番号を入れればいいのだった。
接続端末としては、あえてノートパソコンを持たず、iPhone と iPad を使った。後者は最近、時代遅れになって使いづらくなったパソコンの代わりにと、妻が使いはじめたものだ。専用のキーボード(iPad Keyboard Dock) に取り付けると、スタンドの役割も兼ね(上記写真参照)、インターネットとメールしかしない妻にとっては十分用が足りる。もっと多様多彩な使い方ができるのだが、妻はほとんど関心がない。
今回はiPadにこのブログに書き込みのできるアプリ(BlogPress)を入れ、カメラやメモリー素子から画像を取り込むためのアタッチメント (iPad Camera Connection Kit) を持参した。これはなかなか便利で、カメラを直接つないで(あるいはSDメモリーを直接挿入して)、画像を見たり、選択して取り込んだりできる(上記の写真でキーボード上に載っている白い部品がそれ。iPadのドック口に直接接続する)。iPadをデジタルカメラ画像のビューアとして、あるいはストレージとして使える。取り込んだ画像はアプリを利用して好みの画像処理をすることができ、リサイズしてブログの挿画に使った。ほとんど自宅にいてエントリ・アップするのと大差なく、不自由を感じなかった。iPhoneでも同じことができるが、やはり iPad の大画面と処理速度の速さにはかなわない(この旅行にはiPhone4は間に合わなかった、こちらだと速度は匹敵するだろう)。
アップするブログは、グーグルのBlogspotを使った。この「雑記帳」である。もう一つのniftyの方のブログ(”Memorandum”)の方へもできたはずなのだが、未経験だったので、安全なこちらにした。遠く離れた異国で、あるいは大洋上で、iPad から画像付きのブログ・エントリをアップできるのは、これまでもiPhoneでの経験はあったが、さらに便利になったことを実感した。画像のアップロードに時間がかかり、複数枚をアップロードしようとすると時間切れになった。これは船の無線LANが船舶無線経由になるため、とてもブロードバンド並みの通信速度が出ないためだと推察した。
インターネットにつながることで、旅先でもさまざまな情報を入手できた。iPhoneで「産経新聞」を毎日読んだ。簡単な速報ではなく、これは紙面そのものをいったん取り込みオフラインで読める。旅仲間に日ごとに日本でのニュースを使えるメッセンジャーの役目も果たした。鳩山仲介が決裂し小沢立候補になったとか、菅候補優勢だとか、セリーグは3強が競り合っているとか、さまざまなニュースを伝えた。
ツイッターで即時的な情報に接することができた。ツイッターは個人的な呟きとか仲間内のおしゃべりの手段のように思われているが、じつは最もナウい情報伝達の手段であることは、その利用者にはよく認知されている。今回ずいぶんおかげをこうむった。家族や友人たちが、私のツイッターへの書き込みで、無事旅を続けていることを知ってもらった面も大きい。メールの送受信も自宅にいるのと変わりなくできた。
ついでにカメラのことも書いておこう。これまでの旅行では、ニコンD300がメイン、オリンパスペンE-P2がサブだった。それが一変し、後者をはるかに多く使った。それは広角ズームレンズ9-18mmF4-5.6を使いはじめたことによる。もともと広角好きで、このレンズの写角(35ミリ換算で18-36mm相当)はピッタリ私好みである。切れ味もいい。上掲画像でオリンパスペンについているレンズがそれである。角形のフードといいスタイル的にもいい。他の交換レンズも持参したがレンズ交換をほとんどしなかった。D300の方はVR18-200mmF3.5-5.6 一本だけですませた。これは万能レンズ過ぎて好みではないのだが、旅行用としては重宝する。
2010年9月11日土曜日
帰国しました
西ヨーロッパをクルーズ船でコペンハーゲンからジェノバまで、ぐるりと一周する旅から、昨日帰国しました。最後の2,3日はプリペイしておいたインターネット接続時間が時間切れになったり、追加して最後の通信を送ろうとしてとっておいた接続権が、精算の都合で早めに切られてむだになったり、おまけに帰国準備に忙しかったり、・・・と、尻切れトンボになってしまいました。
しかし、思っていたよりもインターネット事情はよく、洋上に浮かぶ船の上で、メールとツイッターを読み書きし、日本の新聞を読み、さらにこのブログ上で旅先通信を送ることができたのは、幸いでした。ネットにつながっていることを日常としているものとしては、生活の大事な部分を切り取られないですんだという気持でした。
今度の旅については、もう少し落ち着いてから、かけた部分を補ったり、まとめの感想を書いておこうと思っています。要約していえば、これまであちこちを見たヨーロッパを別の観点から見るいい経験でした。ヨーロッパ全体が海でつながっている。当たり前のことで、その意味では世界全体がそうですが、中世から近世にかけて世界史の主流を担ってきた西欧の国々が、このように海で繋がり、そのことが歴史形成の回路となっていたことを実感できました。現皇太子浩宮が、オックスフォードに学ばれたとき水運の歴史をテーマに選んだことを思い出し、なるほど大事なテーマなのだと認識を新たにしました。
経済の面でも、河や運河を含めた水運が、現在でも大きな動脈となっていることを見ました。訪れたどの港でもコンテナーの荷役をする埠頭が大規模に作られ、活発に動いている様子でした。高速道路を走れば、そのコンテナーを輸送するトレーラーが頻繁に走っています。周囲を海で囲まれた日本でもそうなのでしょうが、運送業における海と陸との割合が、ヨーロッパと比べてどうなのだろうと疑問を持ちました。
添付する写真としては、送り損ねたバルセロナでの一枚として、ガウディのサグラダファミリア聖堂の現況をお見せしましょう。ここには2002年に行きましたが、その時の記憶からすると、ずいぶん工事が進行し、会衆の座る身廊部分が形をなし、教会堂の全体像が見えてきていました。本年中に祭壇部分も完成し、法王を迎えて初めてのミサが執り行われる、そのために内部の完成を急いでいるようでした。
2010年9月6日月曜日
アンダルシアの白い村
昨日は南スペインアンダルシアのマラガ港から、1時間弱の山中にある、フリヒリアーナ村を訪れました。「白い村」と呼ばれる通り、丘の斜面に連なる全戸が白い外壁に覆われ、狭い路地が迷路状に坂道や階段でつながり、どこを撮っても、一応の写真になるような、じつに魅力的な場所でした。一日をかけてじっくり撮り歩きたいほどでしたが、1、2時間の滞在しか許されませんでしたが、グループを離れ、迷路を駆け回り、シャッターを切りました。かつてモロッコから渡ってきたイスラムが、城塞を築き、住んだ名残が傾斜地のラビリンスに残っているのでした。
その後昼食をしたマラガの街は、地中海沿岸の保養地として、また物流の拠点として賑わっているようです。古い居酒屋風のレストランで、スペインならではタパス料理を堪能しました。
今日はバルセロナへ向けて終日航海中です。明朝着き、サグラダファミリアなどを観光することになります。8、9年ぶりのバルセロナですが、聖堂の建設がどれほど進んでいるのか、そのほかガウディの遺産などに再会するのが楽しみです。
明後日はイタリア・ジェノバで船旅を終え、ミラノに至り、一日滞在してから、翌日帰国の途につきます。成田には10日朝に着きます。日本の天気情報を毎日見ていますが、相変わらず35度前後の酷暑が続いているようですね。帰国後は時差とともに、残暑に身体を慣らす必要があるなと、覚悟しています。
インターネット接続のためプリペイした時間が今朝ほど切れ、追加しての接続となりますが、そろそろ通信を送るのもこれで終わりとなりそうです。残りは帰ってからのことにしましょう。ご愛読ありがとうございました。
-- iPadから発信
2010年9月4日土曜日
リスボン再訪
数年前に4、5日ほど滞在したリスボンを再訪するのは、このクルーズの楽しみの一つでした。それも今度は海からのアプローチ。テージョ川の河口に入ると、4月25日橋の大架橋が見え、岸壁沿いに発見のモニュメントやベレンの塔など見知ったあれこれが、海側からの眺望として見えてきます。その向こうにリスボン市街の丘の連なりが、レンガ色の屋根や白い壁のモザイク模様を描いています。
停泊後は、自由行動(といっても日本人10人余りは、ほとんど一緒に行動)。トラムやケーブルカーを使ってあちこちし、何年ぶりかのリスボン再訪を楽しみました。活気があり、人間くさく、何か昔の東京にいるような懐かしい感じにもなります。起伏が多い街を市電が縦横に走り回り、丘に上がれば、向かいの丘や海が見え、街には人々行き来し、夜ともなれば、通りにテーブルが並べられ、ワインを飲み、食事を楽しむ人々がゆったりとした時を過ごし、魚の匂いがし・・・と、懐かしさを助長するような要素に溢れています。
スリに警戒しながら市電に乗り、大航海時代、冒険心に富んだ船乗りたちが、生きて帰れるかわからない航海に出かけた岸壁に建つ雄大な記念碑を見にいきました。また、いくつかのケーブルカーや市電を乗り継いで、時間の許す限り、この街の魅力を見歩きました。
日中の気温が31度と、これまでの北部ヨーロッパの涼しい気候に慣れた身体にとっては、出発前の日本の暑さを久し振りに思い起こす日でした。おまけに完璧な晴れで日差しが強く、自力で歩き回るのにかなり疲れました。
夕食には何をおいてもまずビール。大ジョッキを二杯もお代わりして渇きを癒しました。航海に出てはじめての船外での夕食。リスボンとなれば、イワシが食べられるはずと、探し当てたレストランの屋外席で大ぶりなイワシを焼いたのを食べ、醤油と大根おろしが無いのが残念でしたが、久し振りに日本食らしい食材にありつき大満足。
写真は夕食を終えて、夜遅く、クルーズ船の停泊している埠頭まで送り届けてくれるシャトルバス乗り場へ向かう途上のもの。リスボン中心街を南北に走るアウグスタ通り。その南端にある凱旋門と、その先のコメルシオ広場に建つ騎馬像が見えています。街路には大理石の切石が敷き詰められていて、それが磨り減って、ツルツルに光っています。
-- iPadから、大西洋から地中海に入るあたりで
2010年9月3日金曜日
サンティアゴ・デ・コンポステーラ
昨日のことを書こうとしていましたが、船内活動(ストレッチとか、エアロビックスとか)にも忙しく、もたもたしているうちに、リスボンに着きそうです。テージョ川河口の灯台を過ぎました。上陸前に急いで昨日のことを書いておきましょう。
停泊したラ・コルーニャからバスで1時間弱。サンティアゴ・デ・コンポステーラまで行きました。このカシードラルは、フランスから延々と続く巡礼の道の最終目的地として有名です。多くの観光客が詰めかける広場で、徒歩旅行を終えた巡礼者たちが到達の喜びを噛みしめているようでした。杖を手に、ホタテ貝の道しるべをたよりに、30日もかけて歩いてくるのです。四国の西国霊場巡礼の旅と同じようなものですが、カトリック信者が一生に一度はと、試みるもののようです。若いうちに一夏かけてやってみるのでしょうか。
この寺院に祭られているのは、聖ヤコブ(十二使徒の一人で、ここまでやってきたと信じられています。私は?ですが)。金ピカのご本尊に後ろの階段と通路と通路から背後に回ることができ、手を回しで抱きしめると、全ての罪が許されると言われています。私ら一行もやって見ました。私はそっと触れるだけにしておきました。カトリックのこういう、俗信とも迷信とも思われる信心を大らかに取り込んでいるところが、興味深いです。このような間口の広さがカトリック教を支えているのだろうかと考えました。
写真としては、カテドラルの月並みな画像よりもと思い、広場に座り込んだ巡礼者の姿をのせました。
-- iPad から船内無線LANにて発信
2010年9月1日水曜日
ドーバーからラコルニャへ向けて航海中
昨日(8/31)は、朝9時半、英国最南端の港、ドーバーに上陸、カンタベリーとライ村を観光。午後5時に出港、次の寄港地、スペインのラコルニャへと航行中です。昼食前にブルターニュ半島沖で英仏海峡を抜け、地中海に出ました。船の揺れが大きくなって、歩くとよろめいてしまいます。寄港後観光のある日は、終日忙しいので、こうして終日航海の日は、自由に時間を使うことができ、iPadに向かい旅行記を書く気になります。
まずは昨日のこと。朝日に輝く白い崖がそびえ立つドーバーの港に着きました。なるほど名高い崖は見ものです。快晴で、フランスの陸地も望めました。ここドーバーから対岸のカレーまで英仏トンネルが貫通しています。
ここから最寄りのカンタベリーへバスで行き、英国国教会の大本山カンタベリー大聖堂とその門前街を見ました。6世紀末にキリスト教が伝来、その後カトリックの大司教座として、壮麗な英国風ゴシック大聖堂が建造され、英国でのカトリックの中心地でありました。しかし、ヘンリー8世のカトリックからの独立、国教会の設立などの数々の歴史上の事件の現場でありました。そんなことを思い出しながら、しばらくの時を過ごしました。
次いで隣の州に属するライ村へ。海岸近くの小さな村ですが、古い佇まいを残す美しい村として、多くの観光客が訪れています。中世には海岸の漁村(海賊の村とか、密貿易の基地だったとか)だったそうですが、川の運ぶ土砂の堆積で、今では海岸からはかなり離れた場所にあります。なだらかな丘の斜面に昔ながらの木造家屋が立ち並んで、レストランやショップとして生活が成り立っているようです。人口400人の村に、毎日何千もの観光客が訪れています。海岸から拾ってきた丸石を敷き詰めた歩道が風変わりです。道沿いの建造後数百年という古い家屋を転用したレストランで、シーフードのランチを食べました。
5時出港の30分前までに船に帰る必要があり、ぎりぎりに帰着したら、思い思いに観光に出かけ(中にはロンドンまで行ったグループも)、乗船を待つ人々で長い列ができていました。このクルーズ船は、定員2500余りと聞いていましたが、この航海では3000人超の乗客が乗っています。子供連れがけっこういて、二人部屋に3人4人と入るので、そんな数になるようです。これだけの人数が乗り降りしたり、航行中はデッキで甲羅干しをしたり、小さなプールで泳いだり、それはそれで大そうな見ものです。
この旅日記をブロクにエントリーアップするには、船のパプリックエリアに装備されている無線LANを使っています。250分で60ユーロ(6600円)の利用権をプリペイドしてやっていますが、ログイン、ログアウトの手続きが複雑で心もとなく、何時まで使えるものやら。使い終わったら、それまでとするつもりでやっていますから、通信が途絶えたら、そんな事情だとご承知ください。
日本の事情は、iPhoneで産經新聞を読んでいますので、だいたいの様子は把握しています。民主党代表選は、妥協成立目前から、全面対決と急変したようですね。どのような結果になろうと、党内の亀裂は大きく、ひょっとすると党の分裂から政界再編へ向かうのでしょうか。日本の政治にとって避けて通れない過程を通り抜けるつつあるのかなと、遠くから展望しています。
添付写真はライ村の風景をひとつ。
-- iPadから発信
場所:地中海
2010年8月30日月曜日
北海を航行中
昨夜、ドイツのキール港を出て、北に向かい、デンマークの島々の間をぬけ、今朝がたデンマークの北端を過ぎ、西に向かい北海を航行中です。
一昨日、28日(土)、夕刻、コペンハーゲンにてクルーズ船に乗船したのですが、、船内生活に溶け込むのにけっこう忙しく、また昨日はキールからリューベックに出かけての観光などがあり、旅先通信を書くのが遅くなりました。今日は終日航海の日で、やっと暇ができました。といっても、航海の暇つぶしにエクササイズやその他もろもろの船内活動があり、妻はそちらに向かったのですが、私はキャビンに留まり、この報告を書こうとしています。
天候には恵まれ、今朝も晴天、北海の何も見えない大海原をイギリスのドーバーに向かい航行中です。明朝8時頃着いて、カンタベリーなどを観光します。気温は日本の残暑のさなかからやってきてみると、想像以上に涼しく(いや、むしろ寒くといった方がいいほど)、昨日のリューベック観光は厚く着込んで出かけたほどです。最高気温13度、朝は10度ほどまで冷え込みます。厳しい残暑をお過ごしの方には申し訳ないことです。
昨日キールから出かけたリューベックは、25年前に一度訪れたことがあり、二度目でした。ハンザ同盟の盟主として栄えた時代、そのままの面影を残す街の佇まいを、久しぶりに懐かしみました。トーマス・マンのブッテンブローグの館は、最近塗り直したとかで、白いファッサードが周囲のレンガ作りの建物の中でひときわ目立っていました。
キールはかつてのドイツ海軍の軍港で、大戦時代に徹底的に破壊され、今ではクルーズ船が立ち寄る、のどかでモダンな街に変わっています。それでも一部には軍艦が数隻停泊して、かつての軍港の面影を残しています。ここから北海に抜けるキール運河も見ました。一日に多数の(数万とか、信じがたい)貨物船が往復すると聞きました。今やキールは物流の拠点でもあります。ベルギー、オランダから、ドイツ、デンマークにかけて、ヨーロッパの北部地域は、全くの低地で、デンマーク半島の根っこを横断する運河の掘削もなるほどこの辺りなら出来ると思いました。物流は海運によるところが大きいようです。
しかし島々を繋ぐ大架橋による陸路も作られており、コペンハーゲンのある島から、デンマーク本土を繋ぐ世界一長いという橋の下を昨夜くぐりました。10万トンクラスのクルーズ船(十数階建てのビルのような)が下を抜けることが出来る吊り橋です。吊り橋の両端は浅い海に多数の橋桁を設置した椅が繋いでいます。それを合わせて世界一長いと称するのでしょう。
この船には無線LANの設備があり、有料ですが、インターネット接続が可能です。これから試しにいってみます。船内のパブリック・スペースで接続可能です。うまく行けば、この通信を送ることが出来、また、毎日とはいかないかもしれませんが、続いて通信を送れるでしょう。
写真はクルーズ船の雰囲気を伝えようと、今朝撮ったばかりの上掲の写真を送ります。屋上プールは冷たく、とても泳ぐ気になれませんが、ヨーロッパの人たちはこの温度が普通なのか、けっこう泳いだり、水着姿で日光浴を楽しんでいます。
-- iPad から送信
場所:北海洋上
2010年8月28日土曜日
2010年8月25日水曜日
ヨーロッパを海から
明日からいよいよ旅に出る。
前のエントリの図のように、今度の旅では、船でヨーロッパ大陸をぐるりと一回りする。コペンハーゲンから、北海を回り、地中海に入って、ジェノバまで。
この旅を選んだ動機は「楽だ」ということ。船旅は、何度か経験があるが、私ら高齢者にはありがたい。年に2回程度、主として旅行社のツアーに参加してきたが、最近の経験からすると、他の旅仲間、特に熟年層の人たちと同じように行動できなくなってきた。とくに、足腰を痛め後遺症に悩やまされてでいる妻は、もう普通の旅は無理、というようになってきた。それでも旅には出たい。滞在型の個人旅行も経験したが、それはそれで気力・体力がいる。あれこれを考えて、船旅が楽だろうと、このたびの参加を決めた。それ以外の魅力もある。
海から、ヨーロッパを見る。歴史の中で、ヨーロッパの人々は海とどうつながってきたか。
北海やその他の内海。ノルマン、ゲルマンの南下、かつて大きな覇権を持ったデンマーク。英・スペインの覇権争い、その中でのオランダの独立など。また商業ルートとしての海。
地中海。古代、世界とは地中海沿岸地帯だった。その沿岸に文明が開けた。キリスト教の成立・拡大。イスラムとの覇権争い。十字軍の時代。やがて大航海時代へ。その旅立ちの港、ジェノバ、リスボン。のど元としてのジブラルタル。歴史のさまざまな局面で、海が主役だった。
そんなことを思いながら、ヨーロッパ全体を海からのアプローチで感じてみる。
と、大きく構えてみたが、何よりゆったりと船内生活を楽しんでくるつもりだ。
前のエントリの図のように、今度の旅では、船でヨーロッパ大陸をぐるりと一回りする。コペンハーゲンから、北海を回り、地中海に入って、ジェノバまで。
この旅を選んだ動機は「楽だ」ということ。船旅は、何度か経験があるが、私ら高齢者にはありがたい。年に2回程度、主として旅行社のツアーに参加してきたが、最近の経験からすると、他の旅仲間、特に熟年層の人たちと同じように行動できなくなってきた。とくに、足腰を痛め後遺症に悩やまされてでいる妻は、もう普通の旅は無理、というようになってきた。それでも旅には出たい。滞在型の個人旅行も経験したが、それはそれで気力・体力がいる。あれこれを考えて、船旅が楽だろうと、このたびの参加を決めた。それ以外の魅力もある。
海から、ヨーロッパを見る。歴史の中で、ヨーロッパの人々は海とどうつながってきたか。
北海やその他の内海。ノルマン、ゲルマンの南下、かつて大きな覇権を持ったデンマーク。英・スペインの覇権争い、その中でのオランダの独立など。また商業ルートとしての海。
地中海。古代、世界とは地中海沿岸地帯だった。その沿岸に文明が開けた。キリスト教の成立・拡大。イスラムとの覇権争い。十字軍の時代。やがて大航海時代へ。その旅立ちの港、ジェノバ、リスボン。のど元としてのジブラルタル。歴史のさまざまな局面で、海が主役だった。
そんなことを思いながら、ヨーロッパ全体を海からのアプローチで感じてみる。
と、大きく構えてみたが、何よりゆったりと船内生活を楽しんでくるつもりだ。
2010年8月22日日曜日
旅行に出る、旅行記をこちらに
26日から海外旅行に出る(26日は成田での前泊、出国は27日)。上記のような、船旅、いわゆるクルーズである。船内で、無線LANが使えたら、iPhoneかiPadからこちらに旅先の便りをするつもりだ。twitterにも書くが、こちらの方が少しまとまった旅行記を書けるだろう。先ほどからテストをしているのだが、写真付きとなると、iPad からの方が使いやすそうだ。iPhoneの標準アプリ(Blogpress)には写真添付機能がないらしく、代わりにShozu というソフトを用いて見たが、今のところ届いていない。何か問題があるようだ。
目下旅支度の最中。クルーズとなると、さまざまなTPOでの服装を用意しなければならない。いささか頭を悩ませている。全体の重量のこともある。カメラ関係はいつもの旅より手抜きして、ニコンはレンズ1本。その代わりオリンパスペンの方はレンズをあれこれと持ち、こちらを主に使うつもりだ。
帰国は9月10日の予定。
iPadから送ってみる
旅先からの書き込みに備えて、今度は妻のiPadから、Blogpress を使ってエントリーアップを試みる。こちらはカメラマークがあるので、写真を送れるようだ。カメラとカメラコネクトを使って、アルバムに取り込んだものを送ることができる。キーボードもつけてあるし、こちらのほうが使いやすそうだ。
-- 妻のiPadから発送する
-- 妻のiPadから発送する
場所:自宅
2010年8月15日日曜日
テスト
iPhoneの同期トラブルのため、この携帯端末から「雑記帳」にエントリーを送るためのアプリを失ってしまった。復元してみたが、心もとない。試してみることにした。
iPhoneはふだん使っている分にはいいのだが、同期とか、バージョンアップなどの折に、とんでもなくトラブることがある。
今回は10あまりのアプリを失った。何が失せたかが分からない。記憶を頼りに検索しては見つけだす作業で消耗した。
ずっと前、全部のアプリが削除され、その時は大損害だった。
とにかく、iPhoneのバージョンアップとか、バックアップとか同期とかは、よほど用心してやることにしよう。とても長い時間を要し、何をやっているのか分からないこともある。
アプリを記録しておこう。各アプリページの百日紅スクリーンショットをiPhone自体でとって写真ロールに残しておくのがいいな。
-- 自分のiPhoneから発送
iPhoneはふだん使っている分にはいいのだが、同期とか、バージョンアップなどの折に、とんでもなくトラブることがある。
今回は10あまりのアプリを失った。何が失せたかが分からない。記憶を頼りに検索しては見つけだす作業で消耗した。
ずっと前、全部のアプリが削除され、その時は大損害だった。
とにかく、iPhoneのバージョンアップとか、バックアップとか同期とかは、よほど用心してやることにしよう。とても長い時間を要し、何をやっているのか分からないこともある。
アプリを記録しておこう。各アプリページの百日紅スクリーンショットをiPhone自体でとって写真ロールに残しておくのがいいな。
-- 自分のiPhoneから発送
場所:自宅にて
2010年2月7日日曜日
”Twilog” へ移行
Twitter に書いたものを、10日分ずつまとめて、この雑記帳に記録を残すようにしてきましたが、自動的にこの作業をしてくれる"twiblog"というツールが便利だと分かりましたので、今後はそちらに移行します。以下のURLを使ってください。
アクエリアンのtwitterログ
http://twilog.org/aquamasa
このログは3000通のtweetsが上限となっていますから(Twitterの本体がそうなっているため)、それを超えることになったら、その時に考えて、記録を残すようにします。それまではまだだいぶ時間がありそうです。
この「雑記帳」は、もともとの雑記として、また旅先からのiPhoneを用いての書き込み用として、使うことになります。ただ、エントリーはたまに、ということになるでしょう。
アクエリアンのtwitterログ
http://twilog.org/aquamasa
このログは3000通のtweetsが上限となっていますから(Twitterの本体がそうなっているため)、それを超えることになったら、その時に考えて、記録を残すようにします。それまではまだだいぶ時間がありそうです。
この「雑記帳」は、もともとの雑記として、また旅先からのiPhoneを用いての書き込み用として、使うことになります。ただ、エントリーはたまに、ということになるでしょう。
登録:
投稿 (Atom)