2009年5月27日水曜日

ハルシュタットから

(これは、5月20−21日に書き、アップしようとしたものです)



昨日、ザルツカンマーグートのハルシュタットへ移動しました。古い湖畔のホテルですから、インターネットは無理だと、はなから忘れて過ごすことにしていたのでした。先ほど見たホテルの案内に、20分だけ無料で出来るとあります。そこでハルシュタットの一日を書き送ろうと、湖畔を直下に見下ろし、その向こうには、湖を絶壁のように囲む山々を見上げる、部屋のベランダで、書き始めています。

ハルシュタットのキャッチフレーズは、"The world's most beautiful lakeside resort" です。他をあまり知らずして、断言するのはばかられますが、ハイシーズン以前の、静かな湖畔の宿で、穏やかな湖と峻厳な山々のたたずまいを眺めていると、これほどの理想郷はないなという気がしてきます。

さらに書き進める前に、どんな具合に接続できるのか気になって、フロントに訊いてみました。近くのラウンジ(飲み屋)が、インターネット・カフェを兼ねていて、そことの契約で、その店へいけば、20分はただで出来るとのこと。少しやる気が失せましたが、ともかく書いておきましょう。余丁町散人さんに教えていただいたブログ書き込みソフトは、オフラインで書いて草稿として保存しておけるのです。パソコンでは何でもないことですが、iPhoneでは、けっこう苦労するのです。

さて、ウィーンからの鉄道の旅は、荷物のことは別にして、格別のトラブルもなく、無事ハルシュタットに着きました。まるで別天地の秘境のようで、観光客がひしめき、掏摸に怯え続けたウィーンからくると、ほっと気持ちが和みます。

ここからは、次の日に書きついだものです。それも、二日を過ごし、明日はザルツブルクへ移動という時期に書き足そうとしています。

結局、この稿は書き上げることができませんでした。ケーブルカーを乗り継ぎ、2100mの高みに立つて、ダッハシュタインの山地を眺め、いささかのハイキングをして、ハルシュタット湖を山上から眺めました。スイスアルプスなどと似て、ケーブルカーやゴンドラはよく整備されていて、高い場所へいきなり連れて行ってくれます。そこからのトレッキングは、普通の足で歩けるほどのものです。

 ハルシュタットでの夕食は楽しいものでした。レインボゥトラウトやイワナに似たcharと呼ばれる淡水魚の料理を堪能しました。

 画像は、ホテルの部屋のバルコニーでのみや。どうやら元気で過ごしています、の挨拶代わりに。

--iPhoneからエントリアップ

帰国しました

 15日間のウィーンほかへの旅を終えて、先ほど帰国しました。後半はインターネット接続がままならず、ウィーンを離れて以降エントリアップができず、そこでぶっつりと途切れてしまいました。ずっとこのブログを見てくださった方にはご心配をかけました。

 インターネット接続事情については、いずれまとめて報告します。書くゆとりがあり、高額の接続料金を払えば、何とかここに書けないこともなかったのです。しかし、一つには日程に余裕がなく忙しかったこと、もう一つは、ネット接続は、どこでもでき、無料であるべきだとの意地から接続料金を払う気持ちになれなかったことから、エントリアップを見送りました。

 そのあたりは、いずれ詳しく書きます。

 とりあえず帰国したことをお知らせし、iPhoneに書きかけのままになっている分を無様なままお目にかけましょう。

ザルツブルク3日目




今日も好天、高温の日。温度については、今度の旅では予測が外れました。寒暖の差に重ね着で対応しようと、さまざまな組み合わせを用意してきたのでしたが、後半はTシャツと旅行用ベストで足りました。

さて、今日も時間を惜しんで精力的にまわりました。日曜日でしたのでまずは大司教座のカテドラル、ドームのミサに、どんなものかと見に行きました。昨日、ジャズ風のミサとの予告を目にしていたのでした。聖歌隊が歌うミサ曲がすこしそれ風にアレンジしてあるかな、という程度で、伴奏にジャズバンドでないまでも、ドラムス位使うかと、期待したのが間違いでした。カトリックはまだとてもそこまでは行かないのでしよう。それでもジャズ風ミサと名乗るところがえらいです。

一週前の日曜日にはウィーンにいて、王宮礼拝堂でウィーン少年合唱団によるハイドンのニコライ・ミサ曲による極めてまっとうな儀式に参列したのでした。あれから一週間、明日ウィーンへ戻り、そこで長かった旅も終わります。

3日目を終えて、この日のことをまとめようと書きはじめると、こんな具合に細部にわたり、枝葉に入り、長くなって、iPhoneのような入力効率の悪い機器では、書ききれなくなってしまいます。私の悪い癖です。

あとは、どこを訪れたか、列記するに留めておきましょう。

はじめて新市街散策。ミラベル庭園へ。歩行者専用のモーツァルト橋を渡って再び旧市街へ。ザルツブルク川の遊覧船がたまたま出るところだったので、それに乗って40分の川クルーズを楽しむ。こんな具合に、この日は、行き当たりばったり。

新しくできたエレベータで山上に登り、現代美術館に隣接する眺望のいいレストランで昼食。そこから撮ったiPhone画像をこの日の一枚として添付します。右側の山上のお城が、大司教の居城、ホーエン・ザルツブルク城で、この山は撮影している現代美術館のテラスまで続いています。画像の右端で山が切れいてますが、ずっと続いていて、その山下にあるのが、ザルツブルク音楽祭の開催される祝祭劇場です。画像右端の中程にあるものです。一部山をくりぬいたように建てれています。城塞の左手に固まって見える一群の塔屋が、大聖堂(ドーム)、大司教の宮殿(レジデンツ)、ザンクト・ペーター教会などです。手前右の古い塔の見え手いる教会の前あたりから左上に伸びている通り沿い、かなり外れたところに見える塔(旧市庁舎)の少し手前あたりに、モーツアルトの生家があります。画面から左に外れたあたりにザツルブルク川が見え、川の左(北側)が新市街です。

現代美術館にも入って見ましたが、奇矯な表現を競っているとしか見えず。二三の写真とビデオ作品に目を留めただけでした。

小休止したあと、トロリーバスでザルツブルクで500年を超える歴史をもつStieglビールの醸造所を、ただ飲みに誘われて訪問。広いビアガーデンでテースティングを愉しみました。まあ、見るべきものは見終えたというゆとりといいますか、時間つぶしでした。

ということで、どなうやらこのエントリだけは、完書(?)しました。

どこかで接続が出来たらアップします。ほかにも書きかけのエントリがあるので、機会があったら順不同で掲載します。

--iPhoneから

2009年5月19日火曜日

ウィーン最終日

今日はウィーンでの最後の日、ツアーとしての最後の日でした。帰国する旅仲間とお別れして、明日から夫婦単独の旅となります。
今日は全日自由行動でした。帰る人たちは、お土産の買い物に忙しいようでしたが、私たちは、ウィーンの旧市街町歩きを楽しみました。以前のエントリで引用した山口さんの本を小わきに抱え、小路から小路へ、場合によっては、中庭を経て別の中庭、そして元の小路へ、というような、知る人ぞ知る辿り方がこの本のおかげでできました。
旧ユダヤ人街にもいきました。20万人いたうち、 6.5万人がナチに殺され、土地、資産などを失った悲劇の地です。巨大な長方形のコンクリートのかたまりの記念碑が物言わぬうめき声を発しているようでした。
明日は鐵道で4時間の旅をして、ザルツカンマーグートのハルシュタットへ行き、そこで3日滞在します。
アイホーンで写真を撮るチャンスがなく、画像なしのエントリが続いています。ハルシュタットでのネット接続がうまくいけば、次は画像つきでアップします。
では、しばらく。

--iPhoneから。

2009年5月17日日曜日

王宮礼拝堂のミサ

今日は日曜日。ウィーン少年合唱団がミサ曲を歌う上記タイトルの音楽ミサを聴きに行きました。ハイドンのミサ曲をはさみながらのもので、本来のミサ曲は、このように奏でられるものなのだと、現場を知ったのでした。合唱団も、独唱者もどこやら高い回廊で歌っているらしく、姿は見えません。
音楽と儀式が複雑に組み合わされて進行し、部外者にはものものしくも、儀式なりの様式美とも、感じられました。かのウィーン少年合唱団の本来の用務はこれなのです。
ミサの核心部分である聖餐を受ける人は僅かで数百人もいた会衆の大多数は観光客なのでした。指定席で料金を29ユーロも取るのです。本来の儀式なのか見せ物なのか、疑問でした。ただ音楽は素晴らしく、稀有な機会を楽しみました。

昨日送り損なった掏摸のことは、あらためて書く気になれず、いずれにします。


--iPhoneからエントリアップ

二度も掏摸(すり)に(再)

せっかく時間をかけて書いたものが、どこかへとんでもしまつたようです。思わせぶりのタイトルの中身は、また。

2009年5月16日土曜日

シュタインホーフ教会

二日目は、ウイーンの森辺りを、精力的に見て回りました。特に気にいったのは、タイトルのものでした。オットー・ワーグナーの代表作でしよう。心を病む人たちのために、広大な敷地に建てられた病院内の高台に、燦然とした姿で立っています。内部も素晴らしいものでした。









--iPhoneからエントリアップ

2009年5月15日金曜日

美術史博物館とオペラ




ウイーンでの初日。まずはもっともこの地らしい場所に行き、この場所ならではのものを堪能した。
まずかの有名な美術館でブリューゲルなどをゆっくり時間をかけて鑑賞。この空間に いる稀有な時を、奇跡と。
国立オペラ座のチケットは、ギブアップした代わりに、館内ツアーに参加して、舞台裏を見たり、観客席に座ってみたり。
夜は、さいわいフォルクスオパーの券が買えたので、「メリー・ウィドウ」を鑑賞。この館らしく、たっぷり楽しませてくれました。
こんな具合に濃い時間を過ごし、早くもいささか疲れ気味。
今日は、ウイーンの森のホイリゲへ出かける予定。
寒くはありませんが、昨日は終日小雨。
iPhoneであまり写真を撮らなかったので、上掲のものは、美術館の階段を登り、名作に逢いに行く、気持ちと受けとってください。


--iPhoneからエントリアップ

2009年5月14日木曜日

ヨーロッパへ12時間のフライト





(機内の航跡ビデオ画面から)


予定通りの順調な出発。現在、ウラル山脈の北を超えて、いよいよヨーロッパへ。到着は、夕方4時半頃。日本時間の深夜。早速町に飛び出してみるつもりです。

ホテル到着後の書き足し。
ヒルトン・ホテルでのインターネット接続料金は非常に高い。一日20ユーロ、1時間16ユーロもします。利用は諦めました。得体の知れない無線LANで接続できていますので、試しに、それを使って、送信してみます。

--iPhoneからエントリアップ

2009年5月10日日曜日

やっとiPhoneからエントリアップ




  iPhoneからこの「雑記帳」へ書きこみをしようと、あれこれトライしていたところ、余丁町散人さん(最近はこちらも)から助け船がきた。二つ前のエントリへのコメントである。

  さっそくアプリをインストールして、この試し書きをしている。

 前のエントリに書いたが、3日後に、海外旅行に出かける。行き先はウィーン。ほかにザルツカンマーグートとザルツブルク。二週間余の旅になるが、Macを持たず、iPhoneだけで、メールの読み書きをし、できればブログにも画像つきで、旅通信をおくりたい。

 おかげさまで何とか見通しがついた。

--iPhoneからエントリアップ

iPhoneからエントリ・アップ出来ると思ったが

Safariから出来るなら、iPhoneからも出来るはずだと、試してみる。Googleのモバイル版ではDocuの画面にShareのボタンがないが、Webの画面からやれば、パソコンと同様に出来る。
このエントリは、Rainbow→GoogleDocu→iPhone上のsafari→Bloggerでアップしてみたもの。


 以上を書いてエントリアップを試みたが、結局できずじまい。iPhone上でWeb版のDocu一覧を表示し、エントリアップしたいドキュメントを選ぶと、iPhone版のDocu表示になってしまい、そこにはエントリアップのボタンがないのだ。一覧リストにチェックを入れてShareボタンをクリックしても、そこにはブログへのアップの操作は表示されない。

 結局これはパソコン画面からのエントリアップ。もっと試してみる。

 テストばかりしていて、お目汚しの断片ばかりアップしているが、これも近々出かける海外から、iPhoneによるエントリ書き込みをなんとかしてみたいからだ。

書きこみテスト、その後

  iPhoneからGoogleDocuへ文字化けなしに日本語での書きこみが出来るようになったという。これは、RainbowNoteから書いてみている。
 これが出来ると、そこから、「雑記帳」に送れるはずだ。うまくいくか。試してみる。
 うまく行かないことが分かった。iPhoneのsafariにはBloggerへのアップロード機能がない。
 そうなると今のところ、書いたものをBloggerにアップできるのは、私の知る限り、Shozuというアプリだけだ。
 なお、テキスト・エディターとしての機能が充実し、GoogleDocuへのアップ/ダウンロードに対応していて使いやすいiNoteというアプリは、アップロードの文字化け問題に対応していない。Google側に問題があると作者は主張しているようだが、どうなのだろう。
 さらに追記すると、safariにDocuからBloggerへのエントリアップができないという問題は、すでに解決しているようで、この書き込み自体safariからのアップを試みている。以前はFirefoxしかできないのだった。

書きこみ、うまくいかず


iPhoneからGoogleDucuへ、そこから、Bloggerの「雑記帳」へと、試してみたが、うまくいかなかつた。
上の画像は、Shozuから送るiPhoneの画面。

Posted by ShoZu

2009年5月5日火曜日

核燃サイクルに将来はあるだろうか(切抜21)

(朝日新聞09/4/19-30)

米、核再処理を断念、政策転換、高速炉も(09/4/21夕 トップ)
核燃サイクルに影、米 再処理工場断念(09/4/22 社説面)
- 米エネルギー省(DOE) が原発の使用済み核燃料の商業用再処理施設や高速炉の建設計画を取りやめる方針を明らかにした。オバマ大統領の誕生で予想されていたことだ。米国のもともとの方針は、使用済み核燃料を再処理するとできるプルトニウムが核兵器に転用されるおそれがあることから、再処理をしないで、使用済み燃料を直接地下埋設処分するということだった。ブッシュ政権の末期になって、この方針が変更されそうになった。直接処分場の計画が大幅に遅れそうになったため、進んだ再処理技術の開発へと舵を切り直そうということになったのだった。再処理の際プルトニウムだけでなく放射能の高い超ウラン元素を混ぜて取り出して、それを専用の高速炉で燃やしてしまおうという考えだ。これなら再処理工場から出てきた核物質は放射能が高いため、核の闇市場に回ったり、素人のテロリスト集団が、稚拙ながら核爆発する装置をつくって脅すというような事態を避けることができるということだ。しかしこの技術の開発には懐疑的な見方が強かった。巨額の投資も必要だ。日本の六ヶ所村の再処理施設や高速炉もんじゅという既成技術ですら、すでに数兆円を使い、あれだけもたついている。その先を行こうという技術なのだ。オバマ政権がこれにストップをかけるのは当然の決断だろう。ヤッカマウンテンの最終処分地についても、見直し、より良い解決策を求めるとの方針を明らかにしている。原発敷地内での中間貯蔵でいいのだ。プッシュの方針変更を、原子力ルネッサンスと好感をもって受け止める動きが、わが国原子力界にあったが、さてどうなるか。既成の軽水炉型原発の建設はアメリカでも、アジア各地でも進む。その面では日本の原子力産業に活路はある。しかし核燃サイクル(再処理と高速炉)は当分現状以上には進まないだろう。ゆっくりと研究開発を続けていくだけでいいのではないか。プルサーマルは仕方なくやることになろう。外国に再処理を依頼して戻ってくるプルトニウムを消費しなければならないから。ただ、経済的には損だ。ウランは当分あるし、資源が枯渇してくれば、価格が上昇する。そのときは海水からウランを抽出すればいい。ほとんど無尽蔵だ。その技術はすでに見通しがついている。日本の原子力政策は既定路線(核燃サイクル重視)で進むのだろう。この国では大胆に方針転換するということがないから。

もんじゅ運営 原子力機構「まだ改善途上」保安院指摘(09/4/22夕)
- もんじゅは文科省(もと科学技術庁)のもと、日本原子力機構(もと動燃)が開発中の原子炉だが、発電炉であるから、その安全性に関しては経産省原子力安全・保安院の監視下にある。トラブル続きだったので、この院による特別保安検査が行われ、その結果が検討会に示された。「重要課題への対応はまだ実施途上」という厳しいものだった。機構自身が「職員の責任感が十分でなく、保守管理でのメーカーへの依存度が高かった」と自己分析しているほどだから、この指摘も当然だろう。技術開発も保守管理も外部に大きく依存するという組織のあり方が、事故を契機に問われるようになってすでに十数年、まだ「改善途上」らしい。

原発への意識、好転?無関心?(09/4/21 科学)
- エネルギー総合工学研究所が首都圏の500人を対象に原発について意識調査を続けている。原発を徐々にやめていくべきだとの意見はこの5年で半減しているが、無関心層も増えているとの結果。以下03年から08年への変化を示す。
「原発利用を徐々にやめていく」32.4%→15.6%
「新増設しながら続ける」6.6%→9.8%
「現状程度のまま続ける」25.8%→34.8%
安全について「不安」、「どちらかといえば不安」63.6%→48.0%
原発に「関心がない」「どちらかといえば関心がない」46.6%(ただし05年のデータ)→53.4%
この結果を、最近原発関連の大事故がなく、食糧問題などの不安が増したため「消極的な好転」となったと分析している。
なお、原発が環境問題の解決に「貢献している」、「どちらかといえば貢献」が37%、「どちらともいえない」が53%という結果は、原子力が地球温暖化対策に貢献するとの関係者の意見を、一般の人は冷ややかに見ているということだろう。

核なき世界へ 乗り遅れてはいけない(09/4/24 社説)
- オバマ大統領のプラハでの核軍縮演説に対する日本政界の反応が鈍い。自民党内では北朝鮮のミサイルに対する防衛をどうするかとか、何らかの対抗手段を持つべきだ、というような方向へ向かっている。オバマ演説に呼応した国会決議をしようとの動きが一部の与野党議員にあったらしいが、消えてしまった。この社説もオバマ演説で「大事なのは、これが米国の安全保障戦略の一環だということ」と書いて、主張が弱い。

核軍縮会議「来年日本で」外相表明(09/4/28 1面)
中国の核 強く批判 米ロ軍縮に同調求める、中曽根外相(09/4/28 社説面)
- 上記のような反応の鈍さのなかで、外相がオバマ演説を強く支持する演説を、遅ればせながらしたことは評価したい。核軍縮に向けて国際社会が取り組むべき「11の指標」を示し、来年早期に核軍縮に関する国際会議を日本で開くことを提案した。中国について「戦略的方向性は不透明な一方、核兵器削減に取り組んでいない。また情報開示をいっさいしていない」と懸念を表明。米ロが減らすのだから、中国も減らすよう求める、ということなのだろう。この演説が単に言ってみただけにとどまらず、この問題で日本がリーダーシップをとっていくつもりがあるのか。

先端研究基金 厚い土台づくりに生かせ(09/4/27 社説)
- 今度の15兆円の補正予算案のなかに、3千億円で最先端研究のための基金をつくるという案が含まれている。30人の中心研究者とテーマを選んで平均90億円の研究費を支給し、3〜5年で世界をリードする成果を上げてもらうという。社説は「選択と集中」を問題視している。私はそれはいいとして、中心研究者とテーマを誰がどう選ぶかが最大の問題だと思う。このようなテーマ選びは、旧文部省系と科技庁系とが手がけてきているが、文部省系は広く薄くになりがち(悪平等)。科技庁系には情報通の目利きがいて、意外にいい選択をしていたのを見ている。言葉は悪いが、いい博労(ばくろう)が必要。麻生首相は「最終的に私が決める」と総合科学技術会議で発言したそうだが、先端研究の目利きをできるはずがない。こういうことこそ「任せる」としたらいい。

道路財源一般化法が成立(09/4/22夕)
- 一時はあれだけ大騒ぎしていた特定財源の一般化がやっと実現することになった。そのことを伝える新聞の扱いの小さいこと。与党だけでなく民主党なども賛成した。ところで暫定税率はどうなったのだろうか。揮発油税を道路整備に充てるよう義務づける規定が削除されただけなのだから、暫定税率なるものはそのまま存続するのだろうか。何も触れられていない。

「先生の卵」争奪戦、人材を求めて東北に照準(09/4/27 首都圏)
- 昨年の大分県の事件が明かしたように、地方で教員になるためには、たいへんな競争試験を勝ち抜かなければならない。他方東京、神奈川などの首都圏では教員に優秀な人材を獲得するのに苦労している。東京も横浜も東北地方の各県に出向いて求人に躍起になっているらしい。ちなみに教員試験の倍率は、09年度に東京:2.5倍、横浜市:2.2倍、川崎市2.1倍などとなっている。他方、東北地方では、仙台市:7.4倍、青森、岩手県では10倍台、秋田県となると22.2倍にもなる。首都圏からの勧誘に対して、秋田市の女子学生は「秋田で試験に受からなかったら、関東で教員として技量を高めてから地元に帰ってもいいかな」と語っている。茨城県にいてよく分かるが、教員という仕事は地元志向なのである。親子代々学校の教師という家庭が、地元の名士として尊敬されているのを見かける。