2009年3月18日水曜日

WBCの金勘定はどうなっているのか(新聞切抜18)

(朝日新聞 09/3/4-13)

WBC 世界の熱狂遠く (09/3/07夕 土曜フォーカス)
- 盛り上がっているWBCの裏で、金がどう動いているか。そこを問題にした珍しい記事。日本では、WBC(第2回ワールド・ベースボール・クラッシック)にみなが熱狂している。日本チームは2位とはいえ、2次リーグに進み、初戦で難敵キューバに快勝した(09/3/16)。韓国との対戦を控え(このエントリを書いているうちにその時間になった)、準決勝戦に進めるか、私のようなスポーツ音痴でも、勝敗の行方には関心がある。
 このWBCとは一体何なのか。米国の大リーグを頂点とする野球界の世界一を決める大会というように受け止めているが、じつは米国での認知度は薄い。それでいて、稼ぎはほとんどアメリカに持っていかれているらしい。大リーグはその知名度をいいことに、大会を開催する音頭を取った。彼らからするとシーズンオフの余興程度のつもりだった。それが思わぬ稼ぎになり、ほくほくしている。その稼ぎの過半は、日本が貢献しているそうだ。日本での熱狂と、本家米国での関心の薄さ。それと対照的に金銭の大半は米国に持って行かれている。
 WBCを主催する法人WBCIは、米国大リーグ機構MLBと大リーグ選手会が50%ずつ出資して作られたものである。ここが収支を全面的に管理している。たとえば日本代表にスポンサーがついても、収益は日本プロ野球組織(NPB)に入るわけではなく、いったんWBCIに入り、そこから配分される。入場料収入とか放映権料も同じ。前回は結果として、米国の主催団体(MLBと大リーグ選手会)が3分の2を取り、日本の取り分は約13%だったという。収入の半分以上が日本マネーであることからすると、馬鹿みたいな話である。
 日本に最終戦まで残ってもらうことが興行収入上はベスト。そうなるのかどうか。日本人の熱狂にニンマリとして、そろばん勘定をはじいている儲け上手が彼の地にいるのだ。敗者復活戦を組み込んで、一度負けても関心をつなぎ止め、興行収入がたんまり入る仕組みにしているところなど、うまいものだ。最終決着まで、何度日韓が闘うことになるのか。そのたびにたくさんの日本人ファンが出かけ、現地が驚くほどの報道陣が押しかけ、日本人は、この経済危機の中で気前のいいこと。
 また、松坂などを借り出すのに、どれだけの金を親球団に払っているのか。日本のプロ球団に選手を出してもらう場合にも金を払っているだろうが、その金と桁違いの高額を要求されているのではないか。
 スポーツの裏にはビジネスあり。端的に言えば、金が動いている。日本のスポーツ関係者は、その場面でビジネスとして負けていないか。もっといえば、お人好しではないか。熱狂ぶりをよそに見ながら、そんな危惧を感じている。

都庁舎 780億円大改修(09/3/06 社会)
- これも合点のいかない金の話。西新宿に大伽藍のごとくそびえ立つ都庁舎(別名バブルの塔)の老朽化が進み、09年度から大規模改修がスタートする。10年もかかる。その費用、780億円。当初の建築費のほぼ半分を要する。改修にこれだけの費用と時間を要するのは、バブル景気時代の金に糸目をつけない設計・建設のせいだそうだ。たとえば外壁。輸入した花崗岩を目地で固めたもの。その目地がひび割れて、あちこち雨漏りしている。総延長150キロになる目地材を張り直す。バブルの頃は、設計の際に老朽化など考えに入れていなかった。建て直せばいい、という考え。だから配管などは壁に埋め込みとなっている。改修するとなると、壁を壊さなければならない構造。石原知事は「建ってそんなにたたないのに膨大な金をかける修復の必要があるのか」と嘆いているそうだ。

接続料は半額可能、新規参入のイー・モバイル会長に聞く(09/3/09 経済)
- これも金の話。携帯電話の料金は高すぎる。寡占状態で競争が働かず、高止まりしている。新規参入し、携帯端末などの接続サービスで特徴を出しているイー・モバイルの千本会長は、接続料が高過ぎるという。接続料とは他社の携帯電話につなぐときにかかる料金だ。ドコモの携帯からソフトバンクの携帯にかけると、ソフトバンクがドコモに請求するのが接続料である。3分35円ほどに設定されているが、実際にかかっている経費はその1/3程度だと会長はいう。利益を上乗せしても半分にはできるという。固定電話での接続料、3分4.7円、に比べて高過ぎる。総務省も見直しをはじめているらしい。

原発の「ごみ」米処分場断念も、オバマ政権、予算縮小(09/3/09夕)
- 原発の使用済み燃料の最終的処分地候補だったネバダ州ヤッカマウンテンの計画がオバマ政権で事業断念の方向に傾いてきた。10年度予算では、審査中の原子炉規制委員会(NRC)からの問い合わせに答えるための経費だけとするらしい。実質終止符が打たれたことになる。使用済み燃料は当面原発敷地でキャスクに入れて貯蔵する方針だ。オバマ大統領は選挙中から処分場の安全性に疑問を投げかけており、「客観的・科学的分析に基づく安全かつ長期的な解決策」を探すとしている。日本では、処分場の立地すら決まらず、候補地を求めている段階だが、いずれ同様の結論(キャスク貯蔵、長期的解決策の模索)に辿りつくのではないか。

消える論壇誌、ネットとの共生で活路開け(批評家・仲俣暁生、09/3/12 私の視点)
- 月刊総合誌の休刊が続いている。「諸君!」が休刊となる。昨年は「論座」と「現代」。読者が減り、数が売れず、維持できなくなったのが理由だ。総合誌なるものの読者の年齢層は70-80歳代が中心なのだそうだ。団塊の世代ですら総合誌の読者は少ないらしい。読者層の高齢化が雑誌の売れ行き減に反映しているという。そうなのか。私らやその上の世代は、若いときから毎月何冊かの総合誌に目を通すのが普通だったが、その世代が亡くなりつつあるのだ。「限界集落」ならぬ「限界雑誌」となったのだ。寂しいこと。若い世代はビジュアルな雑誌を好み、総合誌のかわりにその時その時のテーマを取り上げた新書を読む。また論壇はブログに移りつつあるとも言える。さまざまな分野の生きのいい論者が、日替わりでフレッシュな意見をブログに書いてくれる。それを読むほうが、月一のやや時期遅れの論文を読むより現代風なのだ。コメント欄で即時の意見交換すら行われる。だが、ブログに書かれたものは一過的だ。総合雑誌に載る、密度の濃い、考え抜かれた論考は、時には後々まで影響を及ぼすほどのものがある。総合誌とブログにはそれぞれ役割があると思える。筆者仲俣は「ネットと紙、ふたつの公共圏をつなぐ『総合誌』が今求められている」と書いている。

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