2009年3月18日水曜日

WBCの金勘定はどうなっているのか(新聞切抜18)

(朝日新聞 09/3/4-13)

WBC 世界の熱狂遠く (09/3/07夕 土曜フォーカス)
- 盛り上がっているWBCの裏で、金がどう動いているか。そこを問題にした珍しい記事。日本では、WBC(第2回ワールド・ベースボール・クラッシック)にみなが熱狂している。日本チームは2位とはいえ、2次リーグに進み、初戦で難敵キューバに快勝した(09/3/16)。韓国との対戦を控え(このエントリを書いているうちにその時間になった)、準決勝戦に進めるか、私のようなスポーツ音痴でも、勝敗の行方には関心がある。
 このWBCとは一体何なのか。米国の大リーグを頂点とする野球界の世界一を決める大会というように受け止めているが、じつは米国での認知度は薄い。それでいて、稼ぎはほとんどアメリカに持っていかれているらしい。大リーグはその知名度をいいことに、大会を開催する音頭を取った。彼らからするとシーズンオフの余興程度のつもりだった。それが思わぬ稼ぎになり、ほくほくしている。その稼ぎの過半は、日本が貢献しているそうだ。日本での熱狂と、本家米国での関心の薄さ。それと対照的に金銭の大半は米国に持って行かれている。
 WBCを主催する法人WBCIは、米国大リーグ機構MLBと大リーグ選手会が50%ずつ出資して作られたものである。ここが収支を全面的に管理している。たとえば日本代表にスポンサーがついても、収益は日本プロ野球組織(NPB)に入るわけではなく、いったんWBCIに入り、そこから配分される。入場料収入とか放映権料も同じ。前回は結果として、米国の主催団体(MLBと大リーグ選手会)が3分の2を取り、日本の取り分は約13%だったという。収入の半分以上が日本マネーであることからすると、馬鹿みたいな話である。
 日本に最終戦まで残ってもらうことが興行収入上はベスト。そうなるのかどうか。日本人の熱狂にニンマリとして、そろばん勘定をはじいている儲け上手が彼の地にいるのだ。敗者復活戦を組み込んで、一度負けても関心をつなぎ止め、興行収入がたんまり入る仕組みにしているところなど、うまいものだ。最終決着まで、何度日韓が闘うことになるのか。そのたびにたくさんの日本人ファンが出かけ、現地が驚くほどの報道陣が押しかけ、日本人は、この経済危機の中で気前のいいこと。
 また、松坂などを借り出すのに、どれだけの金を親球団に払っているのか。日本のプロ球団に選手を出してもらう場合にも金を払っているだろうが、その金と桁違いの高額を要求されているのではないか。
 スポーツの裏にはビジネスあり。端的に言えば、金が動いている。日本のスポーツ関係者は、その場面でビジネスとして負けていないか。もっといえば、お人好しではないか。熱狂ぶりをよそに見ながら、そんな危惧を感じている。

都庁舎 780億円大改修(09/3/06 社会)
- これも合点のいかない金の話。西新宿に大伽藍のごとくそびえ立つ都庁舎(別名バブルの塔)の老朽化が進み、09年度から大規模改修がスタートする。10年もかかる。その費用、780億円。当初の建築費のほぼ半分を要する。改修にこれだけの費用と時間を要するのは、バブル景気時代の金に糸目をつけない設計・建設のせいだそうだ。たとえば外壁。輸入した花崗岩を目地で固めたもの。その目地がひび割れて、あちこち雨漏りしている。総延長150キロになる目地材を張り直す。バブルの頃は、設計の際に老朽化など考えに入れていなかった。建て直せばいい、という考え。だから配管などは壁に埋め込みとなっている。改修するとなると、壁を壊さなければならない構造。石原知事は「建ってそんなにたたないのに膨大な金をかける修復の必要があるのか」と嘆いているそうだ。

接続料は半額可能、新規参入のイー・モバイル会長に聞く(09/3/09 経済)
- これも金の話。携帯電話の料金は高すぎる。寡占状態で競争が働かず、高止まりしている。新規参入し、携帯端末などの接続サービスで特徴を出しているイー・モバイルの千本会長は、接続料が高過ぎるという。接続料とは他社の携帯電話につなぐときにかかる料金だ。ドコモの携帯からソフトバンクの携帯にかけると、ソフトバンクがドコモに請求するのが接続料である。3分35円ほどに設定されているが、実際にかかっている経費はその1/3程度だと会長はいう。利益を上乗せしても半分にはできるという。固定電話での接続料、3分4.7円、に比べて高過ぎる。総務省も見直しをはじめているらしい。

原発の「ごみ」米処分場断念も、オバマ政権、予算縮小(09/3/09夕)
- 原発の使用済み燃料の最終的処分地候補だったネバダ州ヤッカマウンテンの計画がオバマ政権で事業断念の方向に傾いてきた。10年度予算では、審査中の原子炉規制委員会(NRC)からの問い合わせに答えるための経費だけとするらしい。実質終止符が打たれたことになる。使用済み燃料は当面原発敷地でキャスクに入れて貯蔵する方針だ。オバマ大統領は選挙中から処分場の安全性に疑問を投げかけており、「客観的・科学的分析に基づく安全かつ長期的な解決策」を探すとしている。日本では、処分場の立地すら決まらず、候補地を求めている段階だが、いずれ同様の結論(キャスク貯蔵、長期的解決策の模索)に辿りつくのではないか。

消える論壇誌、ネットとの共生で活路開け(批評家・仲俣暁生、09/3/12 私の視点)
- 月刊総合誌の休刊が続いている。「諸君!」が休刊となる。昨年は「論座」と「現代」。読者が減り、数が売れず、維持できなくなったのが理由だ。総合誌なるものの読者の年齢層は70-80歳代が中心なのだそうだ。団塊の世代ですら総合誌の読者は少ないらしい。読者層の高齢化が雑誌の売れ行き減に反映しているという。そうなのか。私らやその上の世代は、若いときから毎月何冊かの総合誌に目を通すのが普通だったが、その世代が亡くなりつつあるのだ。「限界集落」ならぬ「限界雑誌」となったのだ。寂しいこと。若い世代はビジュアルな雑誌を好み、総合誌のかわりにその時その時のテーマを取り上げた新書を読む。また論壇はブログに移りつつあるとも言える。さまざまな分野の生きのいい論者が、日替わりでフレッシュな意見をブログに書いてくれる。それを読むほうが、月一のやや時期遅れの論文を読むより現代風なのだ。コメント欄で即時の意見交換すら行われる。だが、ブログに書かれたものは一過的だ。総合雑誌に載る、密度の濃い、考え抜かれた論考は、時には後々まで影響を及ぼすほどのものがある。総合誌とブログにはそれぞれ役割があると思える。筆者仲俣は「ネットと紙、ふたつの公共圏をつなぐ『総合誌』が今求められている」と書いている。

2009年3月14日土曜日

「市場にできないことがある」とアマーティア・セン(新聞切抜17)

(朝日新聞 09/2/24-3/3)

市場依存 危機生んだ(09/2/24 社説面 アマーティア・セン氏に聞く)
- アマーティア・セン(米ハーバード大学教授、ノーベル経済学賞受賞者)は経済問題に倫理的側面を重視した理論を立てた人。「今の問題のほとんどはグローバル化自体よりも、ほかの事情による。政治力、所有物、経済手段などの巨大が不平等が世界に非対称性を生みだしている」。「危機の原因もグローバル化そのものはなく、米国の経済管理の誤りだ」。「市場経済体制はいくつもの仕組みによって動いている。市場はそのひとつに過ぎない」。「市場の利用だけを考えて、国家や個人の倫理観の果たす役割」を軽視あるいは無視することが問題だ。新自由主義(きちんとした定義のない用語だが)は、その役割を否定したために「人々を失望させる非生産的な考え方」に陥った。レーガン元大統領は「政府は問題の解決策でなく政府こそが問題だ」といったが、「政府は解決でもある」。「国家は、金融機関の活動を抑制する点でも重要だ」。「米国では金融機関への規制をほとんど廃止したので、市場経済が混乱に陥った」。規制緩和が非常によいことだと見られてきたが、「その考えには途方もない混乱があった」。「市場にはできることもあればできないこともあるし、国家が引き受けるべきこともある。こんな基本的なことが無視されてしまった」。経済危機が、過度の市場依存の見直しを求め、この人の説くことに耳を傾けさせている。

オバマ政治 1ヶ月(09/2/26 オピニオン)
- 3人の識者がオバマ政治の最初の1ヶ月を評価している。
 プリンストン大学に滞在中の慶応大准教授・細谷雄一は「修正続け成長 国民に自信」で、オバマはよくそう思われているようだが、「決してポピュリストではなく、むしろその対極のように思える」とする。政策運営は手堅く、国民に語りかける言葉は慎重だ。「これほどまでに冷静で言葉を大事にする政治指導者も珍しい。まるで国民の熱気を鎮めようとするかのようでもある」。彼の姿勢を「明るいプラグマティズム」と呼んでいる。誠実だ。「厳しい現実を率直に語り、自らの能力の限界も冷静に認識する態度からだ。解決が難しい問題については率直にその困難を国民に語る。人気取りとは正反対だ」。勤勉だ。学習能力が異様に高い。当選以前には敵陣にいた人を用い、具体性に欠けていた「外交安保に関する発言は、格段に質が向上している」。「常に前向きで、修正しながら成長する大統領を持ち、今のアメリカ国民は限りなく自信に満ちている」。
 東大教授・古谷旬は「革命的変化なるか未知数」で、いきなりの経済危機のなかで「諸課題に明確な優先順位をつけて」「あらゆる手段を適宜使い分けて」「「政権内の分業体制が明確にされて」、オバマは「最高司令官として、危機対応の立案と実行の全過程に目を配り」「素早くかつ安定的に政策を打ち出している」と評価している。しかし「共和党との超党派的協力関係の構築」に失敗し、「『大きな政府』対『小さな政府』といった体制選択的な対立構図を引きずっている」。そのマイナスを補っているのは、オバマ政権に対する60%超の高支持率である。「米国史には、制度の根幹が改められたわけではないのに、その人の登場によって、政治行政のルールが大きく変わり、革命的な変化がもたらされるような大統領がときどき現れる」。「ニューディールの推進者フランクリン・ローズベルト」、「『小さな政府』を目指した新自由主義者ロナルド・レーガン」らがそれ。オバマもそのような大統領になるかは今のところ未知数だが、期待できる。
 池上清子は国連人口基金東京事務所長という立場から「『国連回帰』は勇気を与える」と書いている。国連関係者の多くは「アメリカが戻ってきた」と喜んでいる。国連人口基金(UNFPA)への資金拠出を、オバマはさっそく再開したことなどからだ。ブッシュ前大統領は、この基金が「中絶の促進に関与した」として、拠出を拒否してきた。全くのぬれぎぬだと、米国務省、米国議会などさまざまな調査団が指摘したが、態度を変えなかった。「価値観の対立にとらわれず、現実的な解決を目指すオバマ大統領の姿勢は、米国内での政策転換のみならず国際的にも大きな影響を与えるに違いない」と期待している。

オバマ大統領施政方針演説 焦点は(09/3/26 社説欄ほか)
ー 経済危機に関して、景気対策:7870億ドル(約76兆円)、金融安定化計画(不良債権対策など):想定規模2兆ドル(約194兆円)、住宅ローン対策:2750億ドル(約26兆円)。規模の大きさと速さで勝負。ただし議会は渋い。
- 外交安保。「テロとの戦い」との用語が消えた。最初の成果はグアンタナモ収容所の閉鎖決定。
- 気候変動。排出量取引による二酸化炭素削減と、風力・太陽光など再生可能エネルギーの技術開発など。産炭地出身の民主党議員の賛成が得られるか、議会の動向次第。

歯科医療費 改定幅超す伸び(09/2/27 政策)
医療の値段「保険村」の闇(09/2/27 経済)
- 08年上半期の歯科診療費の伸びが、07年末に決まった診療報酬引き上げ幅を大きく上回った。関係者の言「歯科医が診療報酬を請求するのに融通が利きやすい内容になった」。改訂では歯科全体の伸びを0.42%となるよう、診療項目ごとの配点を決めた。ところが、実際には08年の上半期で前年同期比3.4%の伸びとなった。請求基準を緩めた結果「患者に見えぬようにひねり出す」「水増し請求」が可能になったらしい。隔年に行われる診療報酬改定作業が、「密室」での政治的な利害調整作業であることが問題とされている。

かっこう悪い卵たち(09/2/25 文芸時評 斉藤美奈子)
- 斉藤美奈子は、村上春樹が嫌いらしい。評判のよかった村上春樹のエルサレム賞受賞演説(文藝春秋 4月号に、受賞スピーチ日英全文と「僕はなぜエルサレムに行ったか」との村上春樹インタビューが載っている)のさわり、『もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでも私は卵の側に立ちます。』について、「ふと思ったのは、こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって『卵の側に立つ』というのではないか、卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである」と書いている。エルサレムへ行って、ペレス大統領などのお歴々を前にして、その表情がこわばってくるのを見ながら、このようなスピーチをした村上春樹の勇気を、私は買いたい。また受賞を拒否するより、現場を見、メッセージを届けることの方がはるかに有効であったと思う。卵の比喩は、村上らしい精いっぱいの工夫だった。それを「総論はなべてかっこいい」というのはどうか。作家として出発して以降今日にいたるまで、村上は、日本の文壇から白い目で見られ続けてきたが、文壇の相変わらぬ閉鎖性を見せたコメントだったと思う。

2009年3月6日金曜日

漢字や言葉の話題(切抜16)

(朝日新聞 09/2/16-23、その2)

漢字復権 韓国沸く(09/2/19 国際)
ー ハングル使用を原則としていた韓国で、漢字が復活しつつある。学校教育で漢字を学ぶ機会は、高校の選択科目「漢文」しかなかった。一部の小学校で課外授業として行われていたが、最近では小学校から漢字教育が復活しそうな動向。中国や日本とのビジネスの現場で必要とされているとか、漢字表記の方が理解力・思考力を増すとか、過去の文書を読めないとか、いろいろな理由があるらしい。日本で文書が全部ひらがな表記になったとしたらどうかと、考えてみたらその不便さが分かる。たとえば「電気」、「伝記」、「転機」は同じ「チョンギ」と読む。韓国語の7割は漢字由来で、漢字表記した方が理解しやすい。例:「カムサハムニダ(ありがとう)」=「感謝ハムニダ」。採用試験に漢字の試験を行う企業があり、政府公認の漢字検定試験もあるとか。ハングル化政策は民族意識の高まりからだった。国際化の中で見直しが行われるのはいいこと。日中韓が漢字文化を共有するのは望ましい。

漢字の変容、「懐かしい道連れ」とともに (高橋郁夫〈論説顧問〉、09/2/23 オピニオン)
- 「洋の東西を問わず、文字は時に磨かれた美しさと厳しさを備えた道具であり、懐かしい道連れだ。漢字の文化圏にある国々や地域は、互いの言語や国のありようの違いと特質は尊重しながら、この道連れとのこれからの付き合い方を考えてみるのも大事だろう」。パソコンで文書を書くのが多くの人にとって普通になり、その際ローマ字変換を使うことが多い。(1)頭の中で日本語の文を思い浮かべ→(2)ローマ字でキー入力→(3)変換・修正という作業が行われる。このことが、漢字文化を変容させているのではないかと筆者は心配げに書く。どうだろうか。自分の場合を考えてみると、(1)、(2)という段階は、日本語を思い浮かべ、ペンで文字を書くという作業同様、ほとんど無意識に行われていて、ローマ字を思い浮かべているという自覚はない。むしろ外来のカタカナ語を書くとき、時おり違和感がある程度である。ローマ字変換入力の普及が、日本語のローマ字化とか、英語にせよなどという、一部のグローバル化論者を勢いづかせる心配など無いと思う。

言語と思考 遅さの技法 (中山元〈哲学者・翻訳家〉、09/2/21夕 文化・エンタメ)
- 思考は言葉によって紡がれる。言葉のうちに思考は育っていく。だから他人の思考を理解することは、その人の言葉のうちで呼吸している思考を理解するということ。長い時間をかけて言葉となったテキストの上を、読むものの目は高速で滑走してしまう。思考を読み解くためには「遅さ」ということが重要。そのための技法。(1) 朗読して、録音して、聴く。(2)翻訳してみる(日本語なら他の言語に)。こうして思考を「遅らせる」ことで、他人の思考が、自分の思考と絡み合ってくる。「遅く考える」ことが大事だと。これはわが意を得たりという指摘。私は考えるのにとても時間がかかる。

首相の言葉、大平正芳氏に学ぶこと (若宮啓文〈コラムニスト〉、09/2/16 オピニオン)
- 首相の言葉が軽くなった中で、思い出されるのは大平元首相である。現職時代には「アー、ウー首相」とからかわれていた。言いよどみながら適切な言葉を探していて、発言を文章にすると、無駄のない的確な表現になっていた。言葉に重みがあった。言葉だけではない。責任のとり方にも重みがあった。「濡れ衣を着せられると、おれははなはだおもしろくない」と、責任転嫁などしなかった。三木内閣時代の蔵相だった大平は、オイルショックの後遺症で税収が伸びず、補正予算のため赤字国債発行に追い込まれた。誰もがやむをえないと見ていたが、大平は悩み抜き、「この後始末は一生かけても自分がしなくては」と思い詰めたという。大平が今、麻生首相の立場にいたら、郵政問題について「ぬれぎぬ」などといわず、こういったのではないかと、若宮は書く。「郵政民営化の決定には悩みもしましたが、総務大臣として責任の一端を担ったのは間違いない。だからこそ、その行方を誤らせた罪は万死に値する。その思いでいま、直すべきところは直すという重い責務を感じているのです」と。

本の全文検索 波紋、米グーグル ネット公開へ準備 (09/2/23 2面「時々刻々」)
- グーグルが勧めてきた書籍本文のデジタル化について、米国の作家協会などが著作権侵害と訴えていたが、和解が成立する見通し。これまでのデジタル化の補償金を払う。ネットで公開する書籍へのアクセス権料や広告費などの収益の63%を著作権者に支払うなど。日本の作家も拘束されるらしい。「集団訴訟」という制度上、和解は原告だけでなく共通の利害関係全員に及ぶらしい。日本の作家からすると寝耳に水の結果だろう。現在の音楽配信と同様、本の内容がネット上で有料利用が進みそう。
 この記事には触れてられていないが、すでにアマゾンは、キンドルという電子ブックリーダーを発売している。その改良版kindle-2が最近発売され、米国では実用化段階に入ってきた。私にとって関心事は、iPhoneがリーダーの代用になること(現在のところ米国のみ)。日本にも「青空文庫」などがあるが、少数の古典的な作品など(著作権の消滅したもの、無料で公開したもの)に限られている。米国の場合、最新の出版物までもがネット配信される(もちろん有料、ただし最初の部分は、現在一部で行われているように「立ち読み」できるらしい)。

2009年3月4日水曜日

新聞を救うには(W. Isaacson, TIME 3月02日号)

 アメリカで新聞の将来が危ぶまれている。紙媒体の日刊紙を止め、ウエッブ上(オンライン)だけとした新聞。倒産した新聞社(L.A.Times と Chicago Tribuneの親会社が倒産)。経費節減のために記者の数を減らしたり、支局を閉鎖している新聞社など、どこも先行きを案じているらしい。たしかに日刊紙の印刷数は減っている(08年の場合、主要6社の9月までのデータで、2-7%減)。一方ではオンラインの読者は増えている(08年間、6-99%増)。新聞紙面での広告収入は、ここ数年ずっと漸減傾向で、いまでは年率20%で減っている。それをオンラインの広告収入で補ってきたが、この不況が来て、こちらの方も減り始めた。このままでは新聞社が経営不振に陥り、新聞が無くなるとか、ジャーナリズムの質が維持できなくなるおそれが出て来た。オンラインを含めれば、読者は増え、記事はよく読まれているのに、新聞社は経営不振に陥るというおかしな状況に陥っている。

 雑誌TIMEで長年働き、最後には編集長を務め、CNNの経営を担ってたりした W.Isaacson(現在 Aspen Institute 会長)が、どうしたらこの状態を救えるかについて提言をしている("How to save your newspaper")。彼は、「広告モデル」でも「契約者モデル」でもない、第3の道として、オンライン上で一記事ごとに少額の課金(10セントとか、25セント程度)をするシステムを勧めている。

 このブログの二つ前のエントリの中で、同様のテーマを話題にした(「新聞、ネット事業模索(09/2/08 社会)」)。そこでは、欧米の新聞社の取り組みに比べて、日本の新聞社のオンライン上の記事掲載は遅れているとし、「新聞社はこれからのビジネスモデルを見定めるチャンスではないか。『出し惜しみ』、有料契約は成功しないと思うが、どうだろうか。」と私は書いた。しかし、Isaacsonの記事で欧米の新聞社の苦境を知ると、そうも行かないなと考え直した。

 オンライン上の広告収入で新聞社が成り立ち、読者が新聞を無料で読めるというビジネスモデルは不健全だと、Isaacson は主張する。内容のいい記事には対価を払うことが、いいジャーナリストを育てる、というのだ。広告を出す企業の方だけを気にしたジャーナリズムは独立性を脅かされかねない。それは、日本でも新聞社やテレビ社について、問題を感じることがあり、分かる主張だ。現在のインターネットでは、良いコンテンツを創る社なり人が収益を得るより、検索エンジンを提供したり、ポータルサイトを運営したり、プロバイダー業を営む社が、収益を上げている。これはたしかにおかしい。

 さりとて、オンライン読者に契約してもらって定額を課金するシステムはよくない。ブログなどで新聞記事をリンクしても、課金を払っている人しか読みに行けないことになる。ハイパーリンクという、現在のインターネットの根幹をなす情報システムのメリットを損なってしまう。

 そこで、Isaacson が提案するのが、マイクロ・ペイメント(少額支払い)の仕組みだ。記事を読みにいくたびに、自動的に少額が支払われるような仕組みである。現在、アップル社の iTunes が音曲1曲あたり99セント(日本では115円)を支払わせているのが一つのモデルになる。支払い側にも集金側にも、もっと便利に気軽に使えるオンライン上の支払いシステムが構築されれば、これからそのような方向へ進むのではないか。私は月額500円とか払って、あれこれの新聞社と契約するのには乗り気でないが、1記事10円、20円程度なら、気軽に読みにいくし、それが良いジャーナリズムを支えるなら結構なことだ。

 この少額支払いシステムが普及すれば、Isaacson は、他のネット上のコンテンツにも適用可能になるのではないかとしている。良質なブログ記事、市民ジャーナリストのニュース配信、テレビ番組、アマチュアの動画や音曲、ゲーム、料理のレシピなどに適用されよう。私は「田中宇の国際ニュース解説」のメール配信を受けているが、4月から有料となり、半年6000円の購読料を必要とするとのお知らせをもらった。良質な解説記事に対価は当然だとは考えるが、もともと配信は受けていても、熱心な読者ではない。そんな高額の購読料を払うつもりはない。これなどもネット上の記事を小分けして少額課金するならば、テーマ次第で読みにいくだろう。

 ついでに、日本の新聞社のネット配信についての取り組みを、ニフティ配信の@niftyビジネスから紹介しておく。

・【産経新聞】産経NetView 月額315円(紙面そのものを配信、直近1週間分までをさかのぼって読める)から
 http://www.nifty.com/netview/index.html
・【朝日新聞】asahi.comパーフェクト 月額525円から(全紙面ではなく、ニュースダイジェストか、速報ニュース)
 http://www.nifty.com/asahi/index.htm
・【毎日新聞】毎日デイリークリック PLUS 月額1019円(これもニュ−ス中心のようだ)
 http://www.nifty.com/mdcplus/index.htm
・【読売新聞】ヨミダス文書館(新聞の過去記事、コラム、書評など
 http://www.nifty.com/yomidas/index.html

いずれも、契約者課金システムであるし、全記事でなかったり、期間の制限があったりする。どれだけ契約者を獲得できるだろうか。Isaacson 提案のシステムは参考になると思うがどうだろうか。

2009年3月2日月曜日

中川前大臣、酔っぱらい会見問題、新聞の反応は鈍かったのでは(切抜15)

(朝日新聞、09/2/16-23)

 中川全財務・金融相がG7閉幕後の記者会見で「もうろう状態」で醜態をさらしたことについて、麻生首相の対応が鈍かったことは、さんざん叩かれている。私は新聞を見直してみて、新聞の反応も同じように鈍かったのではないかと疑っている。朝日新聞の記事を時間で追って見るとこんな具合である。

・閉幕後の記者会見は2月14日午後4時頃(現地時間、日本時間では2/15、午前8時)。

・朝日新聞の第一報は、2/16朝刊、社会面。中川財務相会見、質疑かみ合わず、G7後、眠気こらえ? 一日遅れの報道が、社会面の小さな記事(2段、二十数行、1段の小さな写真付き)でなされている。眠気をこらえている様子で、記者の質問への答えがかみ合わなかった。同行筋は「一時はどうなるかと思ったが、何とか答弁は保ったようだ」とのんびりした記事。そもそも社会面扱いとは、新聞社にも危機感がなかったのではないか。

・第2報。2/16夕刊、第2面。「自己管理を」「即刻クビ」、財務相会見、与野党から批判。これも5段組みとはいえ、2面の比較的扱いの軽い記事。政府は風邪薬のせいにし、一部は「あれはきつい」とのコメント。最後に鳩山民主党幹事長の「国益を損なう破廉恥な行為」とのコメント。

・第3報。2/17朝刊、第1面。野党、中川財務相問責へ、もうろう会見、首相は続投指示。このあたりからやっと麻生政権にとって致命傷になるかもというニュアンスの報道となった。同時に「海外メディアが酷評」という見出しで、米、英、伊、露、韓、中などの嘲笑的な酷評を伝えている。外国での反応に、やっと朝日もこれはたいへんな事態だと目覚めたようにも思える。

・2/17社説「中川財務相、この大臣で大丈夫なのか」。どちらかというと、事実と海外などでの反応を伝える程度で、新聞としての主張はまだ弱い。辞めよ、とまでいかず、「このままとどまっても茨の道」という程度。

・2/17夕。中川氏「一生懸命やる」、診察で国会欠席、民主反発。まだこのあたりでは、辞めることになるとの推移を予想していない記事。

・2/18朝刊トップ。中川財務相辞任、首相の責任 野党追及、予算後退陣に現実味。いったん衆院通過後の退陣を表明したが、野党各党が参院に問責決議案を提出し、国会への影響が避けられなくなったため、即日辞任に転じたことを報じた。

・2/18社説「財務相辞任、政権の体をなしていない」。「当時の事情や本人の意図がどうあれ、政治は結果責任だ。辞任は当然である。それにしてもこの決断がなされるまでの右往左往ぶりには、開いた口がふさがらない」。「首相自身の判断の甘さ、緊張感の欠如は隠しようがない」。オピニオン・リーダーとしての新聞社の判断もどうだったのか。

 以上拾ってみたの一連の経緯を見ると、新聞社の扱いに、同行記者団がつるんでいるがゆえの、報道と判断の甘さを感じてしまう。その後明かされた事実によると(2/191面、「中川氏自らワイン注文」会見前昼食の同席者、2/20社会面、中川前財務相の「もうろう会見」ローマ2日間、何があった)、記者会見前の昼食に何人かの新聞記者が同席し、飲酒していたことが、歯切れの悪い書き方で明かされている。朝日新聞記者は同席していなかったらしいが、同業者への遠慮が見え見えである。

 そもそも、記者会見の場にいて、どの社の記者も、異変を問題視せず、事態の推移を漫然と見ていたのはどうだったのか。そのうえ「眠気こらえ?」という程度のレポートしか本社に送らなかった記者のセンスを疑う(これについては、09/2/23、池上彰の新聞ななめ読み、記者は何をしていたのか?)。世界中に放映されたテレビ画面を見て、本社のデスクも、たいへんな事態だと直感し、その後の推移を予想できなかったのか。

 私も現職時代、今回ほどの重要会議の際ではないが、大臣の海外出張への随行(随行者の随行という程度の)、同行記者団との会見などを経験したことがある。ある種の外遊気分が大臣側と記者団との間にかもされ、政府対報道側の緊張感が削がれるようなのである。そんな雰囲気が今回の突発事にシャープな対応を鈍らせたのではないか。

ほかの切抜もあるのだが、今回は上の件だけで、次回回し。