2009年5月10日日曜日

iPhoneからエントリ・アップ出来ると思ったが

Safariから出来るなら、iPhoneからも出来るはずだと、試してみる。Googleのモバイル版ではDocuの画面にShareのボタンがないが、Webの画面からやれば、パソコンと同様に出来る。
このエントリは、Rainbow→GoogleDocu→iPhone上のsafari→Bloggerでアップしてみたもの。


 以上を書いてエントリアップを試みたが、結局できずじまい。iPhone上でWeb版のDocu一覧を表示し、エントリアップしたいドキュメントを選ぶと、iPhone版のDocu表示になってしまい、そこにはエントリアップのボタンがないのだ。一覧リストにチェックを入れてShareボタンをクリックしても、そこにはブログへのアップの操作は表示されない。

 結局これはパソコン画面からのエントリアップ。もっと試してみる。

 テストばかりしていて、お目汚しの断片ばかりアップしているが、これも近々出かける海外から、iPhoneによるエントリ書き込みをなんとかしてみたいからだ。

書きこみテスト、その後

  iPhoneからGoogleDocuへ文字化けなしに日本語での書きこみが出来るようになったという。これは、RainbowNoteから書いてみている。
 これが出来ると、そこから、「雑記帳」に送れるはずだ。うまくいくか。試してみる。
 うまく行かないことが分かった。iPhoneのsafariにはBloggerへのアップロード機能がない。
 そうなると今のところ、書いたものをBloggerにアップできるのは、私の知る限り、Shozuというアプリだけだ。
 なお、テキスト・エディターとしての機能が充実し、GoogleDocuへのアップ/ダウンロードに対応していて使いやすいiNoteというアプリは、アップロードの文字化け問題に対応していない。Google側に問題があると作者は主張しているようだが、どうなのだろう。
 さらに追記すると、safariにDocuからBloggerへのエントリアップができないという問題は、すでに解決しているようで、この書き込み自体safariからのアップを試みている。以前はFirefoxしかできないのだった。

書きこみ、うまくいかず


iPhoneからGoogleDucuへ、そこから、Bloggerの「雑記帳」へと、試してみたが、うまくいかなかつた。
上の画像は、Shozuから送るiPhoneの画面。

Posted by ShoZu

2009年5月5日火曜日

核燃サイクルに将来はあるだろうか(切抜21)

(朝日新聞09/4/19-30)

・米、核再処理を断念、政策転換、高速炉も(09/4/21夕 トップ)
・核燃サイクルに影、米 再処理工場断念(09/4/22 社説面)
- 米エネルギー省(DOE) が原発の使用済み核燃料の商業用再処理施設や高速炉の建設計画を取りやめる方針を明らかにした。オバマ大統領の誕生で予想されていたことだ。米国のもともとの方針は、使用済み核燃料を再処理するとできるプルトニウムが核兵器に転用されるおそれがあることから、再処理をしないで、使用済み燃料を直接地下埋設処分するということだった。ブッシュ政権の末期になって、この方針が変更されそうになった。直接処分場の計画が大幅に遅れそうになったため、進んだ再処理技術の開発へと舵を切り直そうということになったのだった。再処理の際プルトニウムだけでなく放射能の高い超ウラン元素を混ぜて取り出して、それを専用の高速炉で燃やしてしまおうという考えだ。これなら再処理工場から出てきた核物質は放射能が高いため、核の闇市場に回ったり、素人のテロリスト集団が、稚拙ながら核爆発する装置をつくって脅すというような事態を避けることができるということだ。しかしこの技術の開発には懐疑的な見方が強かった。巨額の投資も必要だ。日本の六ヶ所村の再処理施設や高速炉もんじゅという既成技術ですら、すでに数兆円を使い、あれだけもたついている。その先を行こうという技術なのだ。オバマ政権がこれにストップをかけるのは当然の決断だろう。ヤッカマウンテンの最終処分地についても、見直し、より良い解決策を求めるとの方針を明らかにしている。原発敷地内での中間貯蔵でいいのだ。プッシュの方針変更を、原子力ルネッサンスと好感をもって受け止める動きが、わが国原子力界にあったが、さてどうなるか。既成の軽水炉型原発の建設はアメリカでも、アジア各地でも進む。その面では日本の原子力産業に活路はある。しかし核燃サイクル(再処理と高速炉)は当分現状以上には進まないだろう。ゆっくりと研究開発を続けていくだけでいいのではないか。プルサーマルは仕方なくやることになろう。外国に再処理を依頼して戻ってくるプルトニウムを消費しなければならないから。ただ、経済的には損だ。ウランは当分あるし、資源が枯渇してくれば、価格が上昇する。そのときは海水からウランを抽出すればいい。ほとんど無尽蔵だ。その技術はすでに見通しがついている。日本の原子力政策は既定路線(核燃サイクル重視)で進むのだろう。この国では大胆に方針転換するということがないから。

・もんじゅ運営 原子力機構「まだ改善途上」保安院指摘(09/4/22夕)
- もんじゅは文科省(もと科学技術庁)のもと、日本原子力機構(もと動燃)が開発中の原子炉だが、発電炉であるから、その安全性に関しては経産省原子力安全・保安院の監視下にある。トラブル続きだったので、この院による特別保安検査が行われ、その結果が検討会に示された。「重要課題への対応はまだ実施途上」という厳しいものだった。機構自身が「職員の責任感が十分でなく、保守管理でのメーカーへの依存度が高かった」と自己分析しているほどだから、この指摘も当然だろう。技術開発も保守管理も外部に大きく依存するという組織のあり方が、事故を契機に問われるようになってすでに十数年、まだ「改善途上」らしい。

・原発への意識、好転?無関心?(09/4/21 科学)
- エネルギー総合工学研究所が首都圏の500人を対象に原発について意識調査を続けている。原発を徐々にやめていくべきだとの意見はこの5年で半減しているが、無関心層も増えているとの結果。以下03年から08年への変化を示す。
「原発利用を徐々にやめていく」32.4%→15.6%
「新増設しながら続ける」6.6%→9.8%
「現状程度のまま続ける」25.8%→34.8%
安全について「不安」、「どちらかといえば不安」63.6%→48.0%
原発に「関心がない」「どちらかといえば関心がない」46.6%(ただし05年のデータ)→53.4%
この結果を、最近原発関連の大事故がなく、食糧問題などの不安が増したため「消極的な好転」となったと分析している。
なお、原発が環境問題の解決に「貢献している」、「どちらかといえば貢献」が37%、「どちらともいえない」が53%という結果は、原子力が地球温暖化対策に貢献するとの関係者の意見を、一般の人は冷ややかに見ているということだろう。

・核なき世界へ 乗り遅れてはいけない(09/4/24 社説)
- オバマ大統領のプラハでの核軍縮演説に対する日本政界の反応が鈍い。自民党内では北朝鮮のミサイルに対する防衛をどうするかとか、何らかの対抗手段を持つべきだ、というような方向へ向かっている。オバマ演説に呼応した国会決議をしようとの動きが一部の与野党議員にあったらしいが、消えてしまった。この社説もオバマ演説で「大事なのは、これが米国の安全保障戦略の一環だということ」と書いて、主張が弱い。

・核軍縮会議「来年日本で」外相表明(09/4/28 1面)
・中国の核 強く批判 米ロ軍縮に同調求める、中曽根外相(09/4/28 社説面)
- 上記のような反応の鈍さのなかで、外相がオバマ演説を強く支持する演説を、遅ればせながらしたことは評価したい。核軍縮に向けて国際社会が取り組むべき「11の指標」を示し、来年早期に核軍縮に関する国際会議を日本で開くことを提案した。中国について「戦略的方向性は不透明な一方、核兵器削減に取り組んでいない。また情報開示をいっさいしていない」と懸念を表明。米ロが減らすのだから、中国も減らすよう求める、ということなのだろう。この演説が単に言ってみただけにとどまらず、この問題で日本がリーダーシップをとっていくつもりがあるのか。

・先端研究基金 厚い土台づくりに生かせ(09/4/27 社説)
- 今度の15兆円の補正予算案のなかに、3千億円で最先端研究のための基金をつくるという案が含まれている。30人の中心研究者とテーマを選んで平均90億円の研究費を支給し、3〜5年で世界をリードする成果を上げてもらうという。社説は「選択と集中」を問題視している。私はそれはいいとして、中心研究者とテーマを誰がどう選ぶかが最大の問題だと思う。このようなテーマ選びは、旧文部省系と科技庁系とが手がけてきているが、文部省系は広く薄くになりがち(悪平等)。科技庁系には情報通の目利きがいて、意外にいい選択をしていたのを見ている。言葉は悪いが、いい博労(ばくろう)が必要。麻生首相は「最終的に私が決める」と総合科学技術会議で発言したそうだが、先端研究の目利きをできるはずがない。こういうことこそ「任せる」としたらいい。

・道路財源一般化法が成立(09/4/22夕)
- 一時はあれだけ大騒ぎしていた特定財源の一般化がやっと実現することになった。そのことを伝える新聞の扱いの小さいこと。与党だけでなく民主党なども賛成した。ところで暫定税率はどうなったのだろうか。揮発油税を道路整備に充てるよう義務づける規定が削除されただけなのだから、暫定税率なるものはそのまま存続するのだろうか。何も触れられていない。

・「先生の卵」争奪戦、人材を求めて東北に照準(09/4/27 首都圏)
- 昨年の大分県の事件が明かしたように、地方で教員になるためには、たいへんな競争試験を勝ち抜かなければならない。他方東京、神奈川などの首都圏では教員に優秀な人材を獲得するのに苦労している。東京も横浜も東北地方の各県に出向いて求人に躍起になっているらしい。ちなみに教員試験の倍率は、09年度に東京:2.5倍、横浜市:2.2倍、川崎市2.1倍などとなっている。他方、東北地方では、仙台市:7.4倍、青森、岩手県では10倍台、秋田県となると22.2倍にもなる。首都圏からの勧誘に対して、秋田市の女子学生は「秋田で試験に受からなかったら、関東で教員として技量を高めてから地元に帰ってもいいかな」と語っている。茨城県にいてよく分かるが、教員という仕事は地元志向なのである。親子代々学校の教師という家庭が、地元の名士として尊敬されているのを見かける。

2009年4月29日水曜日

書きこみテスト


以前できていたiPhoneからの書きこみが最近うまくできない。画像つきで試してみる。

iPhoneからのエントリアップが確認できた。これから出先では、こちらにエントリアップをするつもりだ。

Posted by ShoZu

2009年4月28日火曜日

「晴れやかな景色だった」とイチロー(切抜20)

(朝日新聞09/4/1-18)

 またまた滞って、新聞の山、二日がかりでやっと半分ほど。見直すと、ニュースの話題が、いかにめまぐるしく推移しているか、どんなにマスコミに振り回されているか、ばかばかしく感じてくる。それを知るだけでも、溜まったスクラップを見直す作業の意味があろうというもの。

・イチロー新記録、日米3086安打(09/4/18 スポーツ)
- イチローは、スポーツ選手にしては希有な表現力を持っている。大多数の日本人選手の言葉は、実につたない。「ほんとに」をひとことごとに挟む、「やっぱ(り)」を繰り返す、無意味な「いわゆる」をかぶせる、などなど。「日本人」とわざわざ断ったのは、オリンピックや世界選手権などでの外国人選手のインタビューと比べて、明らかに日本人選手の言語表現力は劣ると常々感じているからだ。だがイチローは違う。今度の新記録達成のあとの発言はこうだ。「張本さんが見ていた景色がどんなものか。頂に登ったときの景色がどんなものかを感じたかった。今日登ったが、すごく晴れやかで、いい景色だった」。こんな言葉で記録達成の心境を語った。ここで「景色」とはねぇ、なるほどと感心した。あらかじめ用意したようなわざとらしさもなく、このような言葉が出るとは。先日のWBC決勝打が出たときも、「今まで韓国のユニフォームや、キューバのユニフォームを着ていた。今日はじめて侍ジャパンのユニフォームを着た」と語った。記者たちは、一瞬きょとんとしたのではないか。彼のこのような隠喩的な語り、文学的な語りは、天性のものだろうか。彼はひょっとすると村上春樹を読んでいるのではないかと、私は感じた。
 蛇足をひとつ。「日米通算で新記録」と大騒ぎをするのは、日本の野球界だけ。王のホームラン記録の時もそう思ったが、ランクが違い「通算」は通じない。投手も違えば、球場の大きさも違う。イチローはそれが分かっていて、「日本でのプロ初安打から、ここまで長かったか」と問われて、「(プレーをしている)場所が違うからねえ」と、受け流している。
 ついでにもう少し書こう。
 政治家を含めて、公的場での日本人の語りのつたなさについては、何が足りないのか。一つは良いスピーチが大事だとする社会習慣をつくること。それには学校教育の場でのスピーチの教育(たとえば、アメリカの小学校での"show and tell"のような科目を必修にすること。学校その他での公的セレモニーの場でのお座なりスピーチを軽蔑し、ユーモアのある活きたスピーチを良しとする社会常識を醸成すること。その基礎として、スポーツ愛好者といえども、文学作品に親しむこと、知的な関心を持つこと、などが必要ではないか。
 もう一つには、論理的な議論の仕方、最近の用語でいえば「クリティカル・シンキング」の基礎的なことを、中学生から高校生のどこかで必修科目にすべきではないか。先日の学力テストの中学国語で、論理的な思考能力を試す出題がされていたのは、そういう意味でとてもいい傾向だと思う。だいぶ話が飛んでしまった。

・米、核軍縮率先を明示、オバマ氏演説(09/4/06 国際)
・オバマ演説、核なき世界へともに行動を(09/4/07 社説)
- 私はこのオバマのプラハでの演説は、画期的なものだと考えるが、同じ日に北朝鮮のミサイル発射という事件報道に埋まって、大きくは報道されなかったし、あまり注目されなかった。演説内容も、圧縮されて、要旨が小さく報じられただけだった。むしろネット版のほうが、演説内容を詳しく伝えている。
 画期的であったとするのは、1.核兵器を使ったことがある国として、核廃絶に向けて行動する道義的責任があると明言したこと。2.核軍縮と核不拡散へ向けて、具体的な方策を示したこと。特にロシアとは削減新条約の締結についてすでに合意していることを明らかにしたこと、に注目したい。1.について注目点の原文はこうである。”As a nuclear power - as the only nuclear power to have used a nuclear weapon - the United Staes has a moral responsibility to act." 言い出しの繰り返し、as the only・・・と繰り返したところに、力点がある。
 一方、核廃絶の困難にも言及している。「この目標は、すぐに到達できるものではない。おそらく私が生きている間にはできないだろう」と。「私が生きている間」との表現に何が込められているか。暗殺にあう運命を予感しているとコメントした人もいる。
 この演説を広島・長崎でやってほしかったという被爆者の声もあった。唯一の被爆国として、日本こそ、核廃絶に向けての国際協力を主導すべきであった。世界平和に向けて、日本こそ、具体的なアクションをとるべきであった。この演説に対する日本の政治家の反応は鈍い。ひどい人になると「日本に対する核の傘に不安はないか」などという。全く情けない。

・「感謝状」贈りたい、天皇・皇后両陛下、結婚50年会見(09/4/10 社会)
- テレビでも放映されたが、この記者会見は、実にほのぼのとして、お二人の人柄と夫婦のあり方がにじみ出たものだった。全文が載っているこの記事を保存しておくことにした。夫婦としてうれしかったこと、楽しかったことをたずねられて、天皇は健康と笑いがあったことを答えていたが、皇后はエピソードを話した。それがほほえましかった。散歩道のクモの巣を、二人して天皇が切った細竹で払いながら歩んだこと。コブシの花をとりたいと言ったら、天皇が高い枝を引き下ろしてくれたこと。お二人の日常が想像できた。

・石原都政、光と影の10年(09/4/11夕 トップ面)
- この日、初当選から10年となる石原都政を有識者3人が、石原の主な公約について採点している。政治学者の御厨貴(M)、もと副知事の青山やすし(A)、漫画家のやくみつる(Y)。「ディーゼル車排ガス規制」(10点満点で3人の平均値、9.3)と「羽田空港国際化」(7.7)については、いずれも評価が高い。「行政改革と財政再建」については、64の外郭団体を33に、都職員を2万人減らしたので、まずまずの評価(7.0)。これに次ぐのは、「3環状道路整備」(7.0)、「民間活力の福祉への導入」(6.0)。そろって評価が低いのは「負の遺産のない銀行創設」(1.0)、「横田基地返還・軍民共用化」(3.3)、「ロードプライシング」(流入規制、3.6)など。評価が割れているのが、「東京オリンピック招致」(M:7、A:10、Y:3、平均6.7)、「カジノ大実験の実施」(M:5、A:6、Y:0、3.7)、「学区廃止など新しい教育」(M:6、A:6、Y:3、5.0)、「情報公開推進」(M:8、A:6、Y:2、5.3)である。御厨教授は「東京から日本を変える、というメッセージは前2代の知事より都政の面白みが伝わった」。だが、「横田基地返還などはかけ声倒れで、新銀行東京の失敗は致命傷。2期以降はアイデアはほぼ枯れ、最後は五輪頼み。注目度は右肩下がり」と総評する。3期目の立候補の際「これが最後のご奉公」と言ったことで、このところ都庁内の求心力が落ちているらしい。10月にオリンピックが来ないことが決まったら、途中で投げ出すのではないかとの噂も。

・ニッポン人脈記「素粒子の狩人」(09/4/6-17夕)
- 朝日の夕刊で、様々なテーマで人脈記を載せている。今回のテーマは素粒子物理で、知っている人も登場し、興味深かった。菅原寛孝は、物理の理論家とは思えない(というと失礼になるが)抜群のリーダーシップで長期にわたって高エネルギー物理学研究所(KEK)の所長をした人だが、この人とは、私のいた研究所とKEKが、大強度陽子加速器をつくることを共同でできないかと、定期的に話し合いをしていた仲だった。それが今、東海村のJ−PARCとなって実現している。今回ノーベル賞受賞の小林・益川理論は、この人がその重要さを世界に触れて回ったとのこと。初代所長の西川哲治は、最初は物理学者でかつ牧師である人として、その名を知った。後半生は最初のイメージと全く違う、すごいやり手と再認識した。この人がトリスタン加速器を成功させるためにアメリカ・ブルックヘブン研究所から呼び寄せたのが尾崎敏。私も同じ研究所にいたことがあり、その令名を知っていたが、分野違いで知遇を得なかった。私が家族連れの在米時代に、中学生だった息子に学校がつけてくれた特別教師が尾崎夫人だった。今も親友ヒルデガード(この人については、HPやブログで何度か書いている。たとえばここ)の友人として消息を耳にしている。第5回に登場した山本義隆は将来を嘱望されていた素粒子物理学徒だった。東大全共闘代表としてその名を覚えている。現在は科学史家としていい仕事をしている。大学に席を持たない彼の研究、特に文献集めを、何人かの先輩たちが支援しているようだ。

・「原子力」の冠、復活(09/4/06 教育)
- 原子力の不人気で、大学や大学院の学科、専攻名として消えていた「原子力」が復活しつつある。原子力の再評価や人材不足によるものだ。かつて60年代から70年代は、原子力は将来技術として夢があり、多くの理学系、工学系の人材を集めた。工学部には「原子力」を頭につけた学科や大学院専攻コースがあった。チェルノブイリその他の原子炉事故がきっかけで、80年代後半からつい数年前まで、原子力は不人気だった。学生たちは専攻を選ぶさい、世の中の風潮に実に敏感である。原子力には有能な人材が集まらなくなった。教授陣も存亡の危機を感じ、工夫を凝らし、学科名を変えた。「原子」の名がついた学科は、84年に10大学にあったが、02年にはゼロになった。量子システム工学とか、さまざまの名で存続したが、一時は原子力関係に就職するものが少なくなり、金融機関などへ人材が流れたりした。それがこのところ復活してきた。08年、「原子」の名をもつ学科が2大学、大学院専攻は5大学と増加しつつある。温暖化と石油枯渇対策として原子力が見直されつつあるのと、原子力事業を担った世代が退職期を迎え、人材不足が深刻になったからだ。既存の原発を安全に動かしていくだけでも、人材不足は心配だが、今後アジア(中国とインド)の原発需要に対応するためにも、原子力関係企業は、多くの原子力専攻エンジニアを求めている。

・朝日ジャーナル「怒りの復活」(09/4/11 文化)
- 書店店頭で「朝日ジャーナル」が平積みされているのを見て、驚いた。何かの間違いではないかと。ずっと昔に廃刊になっていたものだ。もともとの「ジャーナル」は、92年に休刊となっていた。創刊されたのが1959年3月。それを記念しての一号だけの復刊らしい。巻頭の週刊朝日編集長の言葉によると、2,3人の飲み屋話からやろうということになり、週刊朝日編集部が緊急増刊として出したものらしい。復刊テーマに「怒りの復活」とあるのは、この国の現状に対する強い危機感を表したものだ。「いまこの時代に『ジャーナル』があったら、どんな論陣を張っていただろう」ということでつくられた誌面は、中身が濃い。見田宗介「現代社会はどこに向かうのか」の巻頭論文をはじめ、加藤典洋、高村薫、柄谷行人らが、日本型社会システムの破綻を論じている。そのどれかについては、別に紹介するつもりである。大学紛争がもっとも高揚した時期などに、ジャーナルはある種の羅針盤であった。元愛読者として復刊を祝い、続刊を期待したい。それは売れ行き次第らしい。

2009年4月7日火曜日

日本人は「遠慮」、韓国人は「主張」(切抜19)

(朝日新聞 09/3/14-31)

 「新聞スクラップ」の掲載を怠ってしまった。一つには身辺事情もあるが、もう一つには、最近の新聞報道に嫌気がさしていることもある。小沢問題に起因する政局の奇妙な真空状態、北朝鮮ミサイルについての過剰報道など。じっくり新聞を読む気がしない。そんな中から拾った断片。

・日韓で行動・意識に差(09/3/24 文化)
- 日本人と韓国人の対人行動を比較する日韓共同研究の結果。たとえば、「電車の座席で人と人の間に少し隙間があったら窮屈でも座りますか」という質問。年代によって違うが、60代では、日本人(東京)の21%が座るのに対し、韓国人(ソウル)は61%が座る。20代前半では、日本人28%、韓国人47%。これは「身体的接触から見た個人テリトリー意識」の問題だそうで、日本人から見ると韓国人は、自分のテリトリーを主張しすぎと映り、韓国人から見ると日本人は、相手のテリトリーに配慮しすぎと映る。01年から日韓の言語学者7人が取り組んで、東京・大阪・ソウル・プサンで、20代・40代・60代の市民2175人にアンケートをした結果だという。尾崎喜光『対人行動の日韓対照研究』 として出版されている。感情表現が激しいか、控えめかなどに日韓の差を感じていたが、対人行動面にこんなにも差があるとの研究結果は興味深い。

・(防衛大学校)校長を悩ます「田母神」応援団(09/3/16 オピニオン、コラム風考計、若宮啓文)
- 防衛大学校の五百旗頭(いおきべ)校長が、いま田母神シンパに激しく攻撃を受けているらしい。田母神問題が起きたときに、毎日新聞のコラム「時代の風」(08/11/09)で田母神氏の処分を強く支持したことが攻撃を受けるもととなった。そこで五百旗頭氏は「軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは、軍人が社会における実力の最終的所有者であるだけに、きわめて危険である」と書いて文民統制の重要さを説き、戦前の苦い教訓をあげて自衛官に自重を求めた、とのこと。田母神氏は最近多方面で活躍して、まるで「野に放たれた手負いの虎」の趣がある。しかしその論旨はあまりに単純で、間違いが多い。ところが一部の右派論壇では、大もてで応援団が多数いるらしい(安倍元首相もその一人)。その田母神応援団が、五百旗頭の罷免を要求したり、嫌がらせのメール攻撃をかけたりしている。大阪で開かれた防大OB会での講演が中止されるという事件まで起きたという。近頃は右の人同士の論難合戦が目立つが、防衛庁・自衛隊関係者・即・右より思想の持ち主、という風潮が強まると、日本にとってきわめて危険である。五百旗頭氏は、高坂正尭京大教授直系の「柔らかな現実主義」者。このような人が、防衛大の教育の責任者であることは大事だ。

・身の納まり(09/3/30 天声人語)
- 随筆家・幸田文が書いた「身の納まり」という言葉が紹介されている。出入りの畳職人が口にした言葉で、「腕がよくても老後に身の納まりがつかない者はよい職人といえない」と。その意味は「若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、よい技術を受け継いでもらわなくてはいけない。寒々しい老後を見せれば、若い者はこの仕事を続けていいものか不安になる。それでは失格、身の納まりがよくない」ということだ。群馬で起きた高齢者向け住宅のことを話題にして「尊厳ある老後」という文脈で、国としての身の納まりが悪いとの話につないでいるが、そのことは別として、この言葉の語感の良さと意味合いの深さに感心した。それぞれの人が、よい人生を生きたかどうかは、老後の「身の納まり」の善し悪しに顕れる。

・原子力期待に応えていない、08年白書(09/3/24夕)
- 08年版原子力白書。「地球温暖化対策として原子力エネルギーが有効という国際的な共通認識が広まった」が、国内については、原発の稼働率が低下、使用済み核燃料再処理工場の本格稼働が遅れるなど、「必ずしも期待に十分応えていない」。稼働率については、新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽原発全7基が停止した影響。これまで発電量の約3割を占めてきた原子力の割合が07年度は25.6%に低下した。しばらくこの状態が続くのではないか。

・原発の安全審査、信頼向上への中立性ルール(09/3/27 政策、コラム政策ウォッチ)
- 原発の安全審査に携わる専門家が、電力会社に手心を加えることはないか。原子力安全委員会と経産省・原子力安全保安院が、新しいルールを作った。審査に当たる専門家に電力会社などとの関わりを自己申告してもらって、審査の中立性に影響しそうな場合は外すことにした。これまでも、ある場合には原子力推進、ある場合には安全規制と二股をかけていた人は多い。どの辺に線を引くのか分からないが、関係者には電力会社からアドバイスを求められた程度の人は多かろう。大丈夫かな。

・75歳以上ドライバー、6月から認知検査(09/3/26夕)
- これまで70歳以上のドライバーに義務づけられていた高齢者講習(私の経験)に加えて、75歳以上のドライバーは認知機能検査が義務となる。受検日の年月日、曜日、検査時の時刻(時計を見ずに)などを答えたり、イラスト16種(ライオン、オートバイ、ぶどうなど)を見て記憶し、順番に何があったかを答えたり、時計の文字盤に指定した時刻を示す針の位置を書き込んだりするものらしい。最近高齢者による死亡事故が増えたことから導入することが決まった。増えたということがよく話題になるが、その指摘は部分的にミスリーディングだと私は思う。ドライバーの年齢分布が高齢の方向へ寄ったため母集団が増えた。それゆえ高齢者の事故数が増えるのは当然である。年齢層別の事故率を比べたとき、高齢者の事故率が高いとのデータが本当にあるのだろうか。またこの程度の検査が果たして有効なのだろうか。

・新聞よ、どこへいくのか(09/3/22 文化 100 Answers)
- 百人に聞くという2年続いたシリーズの最終回は、「現在の新聞は生き残れると思いますか」。各界の著名人に聞いている。答え。生き残れる:62人、生き残れない:8人、その他:27人、無回答:3人。私は「生き残れる」が意外に多いと思った。生き残れないとの答えは、「どんなものにも限りがある。残念ながら使命は終わったのではないか」、「圧倒的に『新聞は不要』の世代が都市部の中心に生まれている」、「(記者クラブなどの談合体質などを挙げて)今のままの形ならテレビ同様生き残らなくてもいいのではないか」。生き残れるという理由。「瞬間的メディアが増えた分、『読み返せる』、『切り取って残せる』紙の情報媒体は貴重」、「一覧性とでもいえばいいのか、ぱっと広げて、世の中全体を見渡せる感じは、新聞ならでは」、「分析力や批判力ではテレビやネットを上回る」、「(過剰で複雑化する情報を)的確なサイズと深度で提供できる、取材力、編集力を備えた組織ジャーナリズムの必要はなくならない」。その他には、「条件付きで生き残れる」という意見があり、「新聞が百年以上かけて培ってきた情報収集と報道の底力を残さねばならない」、「ネット新聞やテレビ報道のようなつまみ食い程度の情報しか得られないのならばいらない」。私はもちろん生き残れる派。新聞のない生活など考えられない。