2009年4月28日火曜日

「晴れやかな景色だった」とイチロー(切抜20)

(朝日新聞09/4/1-18)

 またまた滞って、新聞の山、二日がかりでやっと半分ほど。見直すと、ニュースの話題が、いかにめまぐるしく推移しているか、どんなにマスコミに振り回されているか、ばかばかしく感じてくる。それを知るだけでも、溜まったスクラップを見直す作業の意味があろうというもの。

イチロー新記録、日米3086安打(09/4/18 スポーツ)
- イチローは、スポーツ選手にしては希有な表現力を持っている。大多数の日本人選手の言葉は、実につたない。「ほんとに」をひとことごとに挟む、「やっぱ(り)」を繰り返す、無意味な「いわゆる」をかぶせる、などなど。「日本人」とわざわざ断ったのは、オリンピックや世界選手権などでの外国人選手のインタビューと比べて、明らかに日本人選手の言語表現力は劣ると常々感じているからだ。だがイチローは違う。今度の新記録達成のあとの発言はこうだ。「張本さんが見ていた景色がどんなものか。頂に登ったときの景色がどんなものかを感じたかった。今日登ったが、すごく晴れやかで、いい景色だった」。こんな言葉で記録達成の心境を語った。ここで「景色」とはねぇ、なるほどと感心した。あらかじめ用意したようなわざとらしさもなく、このような言葉が出るとは。先日のWBC決勝打が出たときも、「今まで韓国のユニフォームや、キューバのユニフォームを着ていた。今日はじめて侍ジャパンのユニフォームを着た」と語った。記者たちは、一瞬きょとんとしたのではないか。彼のこのような隠喩的な語り、文学的な語りは、天性のものだろうか。彼はひょっとすると村上春樹を読んでいるのではないかと、私は感じた。
 蛇足をひとつ。「日米通算で新記録」と大騒ぎをするのは、日本の野球界だけ。王のホームラン記録の時もそう思ったが、ランクが違い「通算」は通じない。投手も違えば、球場の大きさも違う。イチローはそれが分かっていて、「日本でのプロ初安打から、ここまで長かったか」と問われて、「(プレーをしている)場所が違うからねえ」と、受け流している。
 ついでにもう少し書こう。
 政治家を含めて、公的場での日本人の語りのつたなさについては、何が足りないのか。一つは良いスピーチが大事だとする社会習慣をつくること。それには学校教育の場でのスピーチの教育(たとえば、アメリカの小学校での"show and tell"のような科目を必修にすること。学校その他での公的セレモニーの場でのお座なりスピーチを軽蔑し、ユーモアのある活きたスピーチを良しとする社会常識を醸成すること。その基礎として、スポーツ愛好者といえども、文学作品に親しむこと、知的な関心を持つこと、などが必要ではないか。
 もう一つには、論理的な議論の仕方、最近の用語でいえば「クリティカル・シンキング」の基礎的なことを、中学生から高校生のどこかで必修科目にすべきではないか。先日の学力テストの中学国語で、論理的な思考能力を試す出題がされていたのは、そういう意味でとてもいい傾向だと思う。だいぶ話が飛んでしまった。

米、核軍縮率先を明示、オバマ氏演説(09/4/06 国際)
オバマ演説、核なき世界へともに行動を(09/4/07 社説)
- 私はこのオバマのプラハでの演説は、画期的なものだと考えるが、同じ日に北朝鮮のミサイル発射という事件報道に埋まって、大きくは報道されなかったし、あまり注目されなかった。演説内容も、圧縮されて、要旨が小さく報じられただけだった。むしろネット版のほうが、演説内容を詳しく伝えている。
 画期的であったとするのは、1.核兵器を使ったことがある国として、核廃絶に向けて行動する道義的責任があると明言したこと。2.核軍縮と核不拡散へ向けて、具体的な方策を示したこと。特にロシアとは削減新条約の締結についてすでに合意していることを明らかにしたこと、に注目したい。1.について注目点の原文はこうである。”As a nuclear power - as the only nuclear power to have used a nuclear weapon - the United Staes has a moral responsibility to act." 言い出しの繰り返し、as the only・・・と繰り返したところに、力点がある。
 一方、核廃絶の困難にも言及している。「この目標は、すぐに到達できるものではない。おそらく私が生きている間にはできないだろう」と。「私が生きている間」との表現に何が込められているか。暗殺にあう運命を予感しているとコメントした人もいる。
 この演説を広島・長崎でやってほしかったという被爆者の声もあった。唯一の被爆国として、日本こそ、核廃絶に向けての国際協力を主導すべきであった。世界平和に向けて、日本こそ、具体的なアクションをとるべきであった。この演説に対する日本の政治家の反応は鈍い。ひどい人になると「日本に対する核の傘に不安はないか」などという。全く情けない。

「感謝状」贈りたい、天皇・皇后両陛下、結婚50年会見(09/4/10 社会)
- テレビでも放映されたが、この記者会見は、実にほのぼのとして、お二人の人柄と夫婦のあり方がにじみ出たものだった。全文が載っているこの記事を保存しておくことにした。夫婦としてうれしかったこと、楽しかったことをたずねられて、天皇は健康と笑いがあったことを答えていたが、皇后はエピソードを話した。それがほほえましかった。散歩道のクモの巣を、二人して天皇が切った細竹で払いながら歩んだこと。コブシの花をとりたいと言ったら、天皇が高い枝を引き下ろしてくれたこと。お二人の日常が想像できた。

石原都政、光と影の10年(09/4/11夕 トップ面)
- この日、初当選から10年となる石原都政を有識者3人が、石原の主な公約について採点している。政治学者の御厨貴(M)、もと副知事の青山やすし(A)、漫画家のやくみつる(Y)。「ディーゼル車排ガス規制」(10点満点で3人の平均値、9.3)と「羽田空港国際化」(7.7)については、いずれも評価が高い。「行政改革と財政再建」については、64の外郭団体を33に、都職員を2万人減らしたので、まずまずの評価(7.0)。これに次ぐのは、「3環状道路整備」(7.0)、「民間活力の福祉への導入」(6.0)。そろって評価が低いのは「負の遺産のない銀行創設」(1.0)、「横田基地返還・軍民共用化」(3.3)、「ロードプライシング」(流入規制、3.6)など。評価が割れているのが、「東京オリンピック招致」(M:7、A:10、Y:3、平均6.7)、「カジノ大実験の実施」(M:5、A:6、Y:0、3.7)、「学区廃止など新しい教育」(M:6、A:6、Y:3、5.0)、「情報公開推進」(M:8、A:6、Y:2、5.3)である。御厨教授は「東京から日本を変える、というメッセージは前2代の知事より都政の面白みが伝わった」。だが、「横田基地返還などはかけ声倒れで、新銀行東京の失敗は致命傷。2期以降はアイデアはほぼ枯れ、最後は五輪頼み。注目度は右肩下がり」と総評する。3期目の立候補の際「これが最後のご奉公」と言ったことで、このところ都庁内の求心力が落ちているらしい。10月にオリンピックが来ないことが決まったら、途中で投げ出すのではないかとの噂も。

ニッポン人脈記「素粒子の狩人」(09/4/6-17夕)
- 朝日の夕刊で、様々なテーマで人脈記を載せている。今回のテーマは素粒子物理で、知っている人も登場し、興味深かった。菅原寛孝は、物理の理論家とは思えない(というと失礼になるが)抜群のリーダーシップで長期にわたって高エネルギー物理学研究所(KEK)の所長をした人だが、この人とは、私のいた研究所とKEKが、大強度陽子加速器をつくることを共同でできないかと、定期的に話し合いをしていた仲だった。それが今、東海村のJ−PARCとなって実現している。今回ノーベル賞受賞の小林・益川理論は、この人がその重要さを世界に触れて回ったとのこと。初代所長の西川哲治は、最初は物理学者でかつ牧師である人として、その名を知った。後半生は最初のイメージと全く違う、すごいやり手と再認識した。この人がトリスタン加速器を成功させるためにアメリカ・ブルックヘブン研究所から呼び寄せたのが尾崎敏。私も同じ研究所にいたことがあり、その令名を知っていたが、分野違いで知遇を得なかった。私が家族連れの在米時代に、中学生だった息子に学校がつけてくれた特別教師が尾崎夫人だった。今も親友ヒルデガード(この人については、HPやブログで何度か書いている。たとえばここ)の友人として消息を耳にしている。第5回に登場した山本義隆は将来を嘱望されていた素粒子物理学徒だった。東大全共闘代表としてその名を覚えている。現在は科学史家としていい仕事をしている。大学に席を持たない彼の研究、特に文献集めを、何人かの先輩たちが支援しているようだ。

「原子力」の冠、復活(09/4/06 教育)
- 原子力の不人気で、大学や大学院の学科、専攻名として消えていた「原子力」が復活しつつある。原子力の再評価や人材不足によるものだ。かつて60年代から70年代は、原子力は将来技術として夢があり、多くの理学系、工学系の人材を集めた。工学部には「原子力」を頭につけた学科や大学院専攻コースがあった。チェルノブイリその他の原子炉事故がきっかけで、80年代後半からつい数年前まで、原子力は不人気だった。学生たちは専攻を選ぶさい、世の中の風潮に実に敏感である。原子力には有能な人材が集まらなくなった。教授陣も存亡の危機を感じ、工夫を凝らし、学科名を変えた。「原子」の名がついた学科は、84年に10大学にあったが、02年にはゼロになった。量子システム工学とか、さまざまの名で存続したが、一時は原子力関係に就職するものが少なくなり、金融機関などへ人材が流れたりした。それがこのところ復活してきた。08年、「原子」の名をもつ学科が2大学、大学院専攻は5大学と増加しつつある。温暖化と石油枯渇対策として原子力が見直されつつあるのと、原子力事業を担った世代が退職期を迎え、人材不足が深刻になったからだ。既存の原発を安全に動かしていくだけでも、人材不足は心配だが、今後アジア(中国とインド)の原発需要に対応するためにも、原子力関係企業は、多くの原子力専攻エンジニアを求めている。

朝日ジャーナル「怒りの復活」(09/4/11 文化)
- 書店店頭で「朝日ジャーナル」が平積みされているのを見て、驚いた。何かの間違いではないかと。ずっと昔に廃刊になっていたものだ。もともとの「ジャーナル」は、92年に休刊となっていた。創刊されたのが1959年3月。それを記念しての一号だけの復刊らしい。巻頭の週刊朝日編集長の言葉によると、2,3人の飲み屋話からやろうということになり、週刊朝日編集部が緊急増刊として出したものらしい。復刊テーマに「怒りの復活」とあるのは、この国の現状に対する強い危機感を表したものだ。「いまこの時代に『ジャーナル』があったら、どんな論陣を張っていただろう」ということでつくられた誌面は、中身が濃い。見田宗介「現代社会はどこに向かうのか」の巻頭論文をはじめ、加藤典洋、高村薫、柄谷行人らが、日本型社会システムの破綻を論じている。そのどれかについては、別に紹介するつもりである。大学紛争がもっとも高揚した時期などに、ジャーナルはある種の羅針盤であった。元愛読者として復刊を祝い、続刊を期待したい。それは売れ行き次第らしい。

0 件のコメント: