2015年7月26日日曜日

軽水炉使用済み燃料からプルトニウム原爆ができるか  ー 今井報告書での結論すり替え ー

【以下の記事は、筆者が2006年12月に別のHPに掲載したものである。その後そのHPが閉鎖を余儀なくされたため,閲覧できなくなっていたものを,ここに転載したものである。一部リンクが切れているが,訂正できずにいる】

 軽水炉使用済み燃料から抽出されたプルトニウムから原爆ができるか、という重要な問題について、日本の原子力関係者のあいだでは、「できない」という見解が主流になっているようだ。その根拠は、今井隆吉が書いた報告書にあるらしい。ところが、この報告書は準拠した原論文の結論をすり替え、疑問符を付け、全く正反対の結論を導こうとしたものであることを、大部分の人は気づかずにいる。さらに悪いことに、ねじまげられた結論を、ほとんどの人は鵜呑みにしている。かの技術評論家・桜井淳は、こういうことをこそ批判・吟味すべき立場にありながら、残念ながら語学力も物理の思考力もないのだろうか、原論文を読みもせずに、今井論文を引用して、間違った結論を拡散している。

 この問題について間違った判断を持つことは、大変危険なことだ。本稿では、今井報告書における「すり替え」の事実について書く。原論文での結論を導く物理的議論については、長くなるので別項で書こう。今井隆吉は日本の原子力外交を担った高名な方である。しかし科学者でないので、原論文の物理的議論を全く理解できないまま、図表のみを報告書に貼り付けたものの、唐突に木に竹を接ぐように、結論をすり替えている。読む人も原論文まで遡らず、図表の意味も分析せず、結論だけを鵜呑みにしている。これが日本の原子力界や原子力技術評論の実態なのだろうか。

【今井報告書】
 まず問題の今井隆吉の論文は、調査報告書「原子炉級プルトニウムと兵器級プルトニウム」で、(社)原子燃料政策研究会の委託を受けて、(財)電力経済研究所が行った調査の報告書で、2001年5月、上記研究会が公表している。ネット上にもある(ここ)。また、上記研究会の機関誌「Plutonium」にも掲載されて広く配布された。ネット上にある(ここ)。

 調査委託のテーマは非常に端的で「原子力発電所から取り出される使用済み燃料中のプルトニウムで核兵器が作れるか?」である。この調査報告書は上記研究所の名の下に実施され、上記研究会により公刊されているが、通常の報告書と違って、きわめて個人的意見を強く打ち出した書き方をしている。それもあってだろう、報告書の冒頭「本調査に当たって」には、今井隆吉氏の名を明記しているし、報告書本体の「はじめに」には「中身に関する責任一切は筆者個人にある」と、異色の断り書きがある。中身は、上記の委託テーマに、アメリカ側の資料を調べて技術的に答える、というはずのものだったようだ。しかし、アメリカ側の資料はすべて、核兵器利用を理由にプルトニウム平和利用を抑えようとするもので、技術的検証内容も幼稚だと、否定的結論を導いている。このように個人的で偏向した意見が、公的な調査報告書の体裁をとって発表され、それが権威をもって流布している。それが問題である。

【報告書のもとになった論文】
 技術的議論の根拠になった原論文はJ.Carson Mark の "Explosive Properties of Reactor-Grade Plutonium" (Science & Global Security, 1993, Vol 4, pp 111-128)
 である。ネット上にも公開されている(ここ)。著者はロスアラモス国立研究所、理論部(T-Division)部長の職に、1947年から1972年まであった人である。ロスアラモス研究所は、マンハッタン計画の中心であった研究所で、オッペンハイマーが所長、T-Division の部長は H.A.Bethe であったことはよく知られている。この研究所も、T-Division も、マンハッタン計画終了の戦後においても、原爆・水爆の開発・改良の中心にあったことはもちろんである。その理論部長は、アメリカの原爆開発のすべてを知り尽くしている人とみなしていい。当然、1962年に行われたといわれる原子炉使用済み燃料からの原子炉級プルトニウムを使った原爆実験のことも熟知しているに違いない。そのような人が書いた論文であるという重みを、今井は無視している。

 アメリカの核兵器科学者には、原子力法により厳重な守秘義務がある。たとえ何ごとかを知っていたとしても、秘密解除され公開された文献や事実を根拠にする以外、原爆についての技術的議論を展開できない。それが上記 Mark論文の論理展開を一見もどかしいものにしている。実験が行われ、精緻なシミュレーション計算もあり、結論は明確にあるのだが、それを明らかにできない。そこでこの論文では、マンハッタン計画時にプルトニウム爆弾の成功可能性についてオッペンハイマーが書いたメモ、という時代遅れのデータを根拠に、原子炉級プルトニウムで原爆ができるという結論を世に知らせようという、まあ苦渋の論文なのだ。それでも理論的議論は十全におこなわれていて、それを辿れば、結論には納得がいく。

 その結論はこうである。

・燃焼度を問わず、いかなる原子炉級プルトニウムでも、原爆材料に使える。
・原子炉級プルトニウムを使って簡単で効果的な原爆を設計することは、兵器級プルトニウムを使った場合に比べ、難度が高いということはない。
・原子炉級プルトニウムを使う場合の放射線被曝などの危険度は、兵器級を使う場合に比べて多少高いが、同程度の注意を払えばすむことである。特に少数だけ作るという場合なら、それでいい。組み立てラインをつくって多数作るという場合には、兵器級で作る場合に比べて、ある製造段階には遠隔操作を導入するなどの方策が必要になる。
・分離されたプルトニウムの拡散、転用を防ぐための保障措置、核物質防護については、プルトニウムについては、グレードを問わず同じとの考えで臨むべきだ。

【算術的な検証にすぎないと軽視】
 この結論を今井はMark の論文は算術的な検証であって技術の証明ではない」と一蹴している炉物理の知識があるものが読めば立派に筋の通った「技術の証明」になっていることが分かるのだが今井にはその知識がなかったのだろう英語に"rule of thumb" という成句があるおおざっぱな推定法とでもいおうか英和活用辞典には"Experienced gardeners can mix soils in the right quantities by rule of thumb"熟練した造園家は目勘定で正しく土壌を混ぜ合わせることができるとの用例が記載されているが物理の世界でも同じである基本的な物理の理解があれば手計算で正しい結論を得ることができるむしろそれができるのは物理ができる証拠である今井が「算術的な検証」と呼んだのはこの "rule of thumb" の一種であるがおよその量的な目安も得ているのであるコンピューターの進歩により何でもコンピューターが計算してくれるようになったその反面基本的な物理に基づく "rule of thumb" の議論ができない技術屋が増えたさらには "rule of thumb" の議論を今井のように馬鹿にする風潮までできてしまった嘆かわしいことだ

【爆発規模の推定】
 技術上問題になる点は、いずれ別ページで詳論するつもりだが、プルトニウム240 の自発的核分裂による中性子によって、爆縮後の最適なタイミング以前に核分裂連鎖反応が始まって、未熟爆発を起こしてしまうことである。自発核分裂中性子が、アラモゴードで最初に核実験したときのTrinity(プルトニウム240の含有量は未発表だが、数%といわれる)の何倍であるかによって、爆発力が最大の20キロトンよりどれだけ落ちるかの確率を、Mark が計算で与えている。最悪のケースでも数百トンの未熟爆発となる。原子炉級でプルトニウム240の含有量が20%だとして、5キロトン以上の原爆(広島原爆の半分程度の威力)となる確率が50%以上、20キロトンという長崎並みになるのが28%と、結論から読み取れる。最近は爆縮の技術(爆薬、その配置の設計など)が進歩しているので、確率はさらに上がり、5キロトン以上となる確率は、74%以上となる。これだけ明白な結論を出している論文を引用しながら、算術的だとして結論の確かさに疑問符を付け、ネガティブな印象を導いているのは、うなずけない。

【原子炉級プルトニウムを用いた核実験】
 実際に原子炉級プルトニウムを用いた核実験が行われたことに関しても、今井は「英国産のプルトニウムを使った」というどこにも書かれていない情報をつかんでいる。これは、米政府軍縮局(ACDA)にただ一人招かれて、この実験を行ったことについて説明を受けたさいに聞かされたことのようだ。にもかかわらず、「筆者が承知している限りでは、アメリカは軽水炉で造られたプルトニウムで核爆発装置を作り、それを爆発させ、結果を測定したという経験は持っていない」と書いている。これは聞かされた事実を、個人的印象で無理にねじ曲げて伝えているように思える。以下に引用するが、IAEA事務局長だった Hans Blix が同じ説明を米当局から間接的に受けて、考えを変えたとの情報がある。米当局は、実験の詳細は開示しないものの、各国のキーパーソンに内々に情報を伝えたのだろう。それが日本の場合、今井であったと思われる。説明を受けた当の本人が、個人的に開示された事実を信じなかったということのようだ。

【その他、追加的に】
 少し断片的に付言しておこう。
・Mark の推定は旧式技術に基づく控えめの推算であることその後昨今の進んだ爆縮技術を使えば60%超の確率で20キロトンの爆発が可能だとの論文Hubbardもネット上に公開されている
・IAEAの事務局長だった Hans Blix は、IAEA幹部が米核管理研究所からのレクを受けたあと、それまでの軽水炉使用済み燃料からのプルトニウムは核兵器材料にならないとの考えを変え、プルトニウムがその組成如何に関わらず核兵器材料たり得ることは議論の余地がないとの手紙を、同研究所に送ったとの記述が、同研究所の別趣旨の論文に言及されている(ここ)。
・上記引用の文献に、原子炉級プルトニウムの原爆実験が1962年に行われたことは、1977年に開示され、一般新聞 LATimes で報道されたこと、エネルギー省の公開ペーパーにもあるとの言及があるが、その資料は入手できずにいる。この件については、その他文献にもたびたび言及があり、信憑性は高いと思われる。
・原水禁のHPに引用されている田窪雅文「MOX燃料輸送と核拡散」(軍縮問題資料、1999/5、ここ)は、今井報告書以前のものだが、抽出プルトニウムの兵器転用をめぐる日本側の意見に対し、国際的な場でのやりとりの経緯がまとめられており、今井報告書の背景を知ることができる。これだけの国際世論ややりとりのあとでなお、今井がこのような報告書をまとめたのは、プルトニウム利用を進めたいとの日本側の政治的意図によるものであることを、知ることができる。

 なお私は、プルトニウム利用の是非と、この問題は分けて考えるべきだと思う。軽水炉からのプルトニウムから原爆ができるという事実から目をそらすべきではないと主張しているまでだ。