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2017年8月28日月曜日

爆縮による密度上昇と臨界量


 【何年も前に別のサイト(サイト名:核兵器の物理)に書いたものだが、そのサイトが閉鎖になってしまい、ネット上に存在しなくなった。同じ主題について書いている人が最近話題にしているので、私もかつて書いた原稿をサイト上に載せておこうと思い立った】

 爆縮(implosion、内爆)の過程で、核物質(プルトニウムやウラニウム)は爆薬による衝撃波を受けて圧縮され、密度が上がる。それによって臨界量が激減する。核兵器に装填する核物質の量はこのことを見込んで静的な(圧縮を受けていない状態での)臨界量をもとにしたものよりはるかに少なくてよい。このことは、通常の原子炉工学には縁がないので、それを説明した日本語の文献を目にしたことがない。核兵器に必要な核物質の量を問題にするとき、だいじな基礎知識なので、以下に説明しておく。

 結論を先に書いておくと、爆縮によって圧縮された状態での臨界質量Mは、密度の2乗に反比例する。

   M ∝ 1/ρ**2

(**2 は2のべき乗、すなわち2乗の意味)

 爆縮により、核物質が初めの体積の半分にまで圧縮されるとしよう(じっさいそれを越えるぐらいに圧縮されるようだ)。密度は、単位体積中の質量だから、圧縮されると体積に反比例して増加する。体積が半分になれば、密度は倍になる。上の式によれば、臨界質量は4分の1で済むことになる。

 このことを簡単な考察で導いてみる。球形の核物質だけの集合体を想定する。高速中性子により核分裂連鎖反応を持続するのに必要な半径(臨界半径、R)をおおざっぱに推定することにしよう。核分裂自由行程(mean free path for fissions)という概念が重要である。核物質集合体の中で、核分裂により発生した高速中性子が、核分裂物質の核に出会い次の核分裂を起こすまでに飛ぶ距離の平均値である。それをλと書く。臨界半径Rは、およそλ程度の大きさ(λのオーダー)になるであろうことは直感的に分かる。半径がλより小さければ、中性子が2度目の核分裂を起こさずに、集合体から漏れ出てしまう確率が高いから、連鎖反応は持続しない。半径がλより少々大きければ、中性子は集合体にとどまり、次々に核分裂を起こす確率が高くなる。連鎖反応が持続する臨界の大きさは、およそλあたりであると見当がつく。きちんと計算すれば正確な数値が求められるが、それはいま問題ではない。臨界半径はおよそλのオーダーで与えられる、

   R ~ λ   (式1)

ということで十分である。

 λは、高速中性子が飛んでいる間に、どれだけの確率で核物質の核に出会い、次の核分裂を起こすかという確率に反比例する。単位体積中の核物質の原子数Nが多ければ、それに比例して確率は増える。また、Nは密度に比例する。核分裂断面積をσとすると、

   λ ∝ 1/σ ∝ 1     (式2)

すなわち、体積が2分の1になる圧縮を受ければ、平均自由行程は半分になる。半分の距離を飛んだだけで、次の核分裂を引き起こす。

 (式1)により、平均自由行程が半分になれば、臨界半径も半分となる。平均自由行程は長さのスケールを決めているわけで、爆縮によって球体の半径などが変わっても、λでスケールした空間では何も変わっていない。臨界半径もこのスケールで見たときは変わらないはずだ。そう考えてもいい。(式1)は爆縮時にも変わらず成り立つ。

 臨界質量Mは、臨界体積 × 密度であるから、球の体積の式から

   M = (4π/3)R**3・ρ ∝ λ**3・ρ 

(式2)から

   M ∝ (1/ρ)**3・ρ ∝ 1/ρ**2

となり、臨界質量は密度の2乗に反比例することが分かる。

 核兵器に必要な核物質の量は、幾何学的構造などの設計値のもとに、核データなどを入れて精密な数値計算が行われる決められる。爆縮についても精密なシミュレーションコードが使われ、爆縮過程でどれだけの核反応が起きるを計算することだろう。しかし、臨界質量が密度の2乗に反比例することは、正確な臨界計算や爆縮の動力学に関わらず成り立つのである。

 実際の集合体内で起きる核反応は核分裂だけでなく、中性子吸収(正確には捕獲、capture)や散乱がある。核分裂性物質以外の核種も含まれている。しかし核分裂自由行程をもとにしたスケールの議論は、複雑な過程についての詳細計算を待つことなく成り立つのである。

 また、実際の核兵器では、タンパーと称する反射体が使われ、裸の球形集合体をもとにした上記の議論は、その場合どうなのか、という問題もある。炉物理の簡単な議論により、反射体付きの集合体は、半径の少し大きい裸の集合体と等価であることが知られている。したがって、上記の自由行程によるスケーリングの議論は、この場合にも当てはまるのである。

 密度依存についての説明は以上である。以下は、ついでに多少関連のある話題を書いておく。

 現在の核兵器は、ほとんど爆縮を使っている。爆縮によって密度を上げることで、臨界量を大幅に減らすことができ、しかも効率(装填された核物質のうち、どれだけが爆発時に核分裂して消費されるか。それが爆発時に解放されるエネルギーを決める)を格段にあげることができるからである。爆縮を使わない広島原爆では、装填された核物質(この場合はウラニウム235)のうち、わずか1%少々しか核分裂しなかった。これに対し爆縮を使った長崎原爆では17%の核物質(こちらはプルトニウム239)が核分裂した。効率は約15倍だった。効率がいいのは、爆縮して密度の上がった状態を、爆縮の圧力が、ある程度の時間押さえ込んむからである。核爆発がはじまると核分裂エネルギーにより、核物質の集合体は中心から外に向かって四散しようとする。爆縮による内向きの運動量が、核爆発の外向きの運動量にまさっている間だけ、核物質を超臨界に保持できる。どのくらいの時間、保持できるか。1ミリ秒ぐらい保持できれば、その間に80世代程度の核分裂連鎖反応が起き、約1kgの核物質を核分裂させることができる。爆縮による押さえ込みにより、およそその程度が可能であるらしい。

 臨界質量が密度の2乗に反比例するとなると、核兵器に装填する材料の密度をできるだけ高くすることが要請される。当然核分裂性核種の密度が高い金属が選択される。プルトニウムにはやっかいな問題があった。金属工学的にいうと低温から融点までの間にたくさんの複雑な相(違う結晶構造、したがって違う密度、同素体とも言う)があり、製造や加工が厄介である。室温で安定なアルファ相が最も密度が高く、その点では核物質材料としていいのだが、金属というより堅い鉱物といったほうがいい代物で、これを安定的に製造したり、加工したりするのは難しい。この問題を解決するためにオッペンハイマーがリクルートしたイギリス出身の金属工学のエンジニア、スミス(Cyril Stanley Smith)が、ガリウムを少量入れた合金でデルタ相を安定化するのがいいと提言した。密度という点ではアルファ相より低密度であった。これを爆縮が解決した。ガリウムで安定化したデルタ相は、爆縮をはじめるとすぐにアルファ相に相変態し、密度が増すのである。マンハッタン計画の中で技術的難問が解決されるという劇的局面がいくつかあった。これもそのひとつだった。

 臨界量の密度依存については、Jeremy Bernstein の最近の著作:
"Plutonium: A history of the world's most dangerous elements" (2007).
"Nuclear Weapons: What you need to know" (2008).
で、強調されている。私の上記の説明もこれらの著作によっている。


2015年8月27日木曜日

ハイゼンベルク・原爆・演劇「コペンハーゲン」

 山口栄一京大教授による「科学者の魂を探して」というシリーズ(日経テクノロジーOnline) を、Facebook上で継続して紹介している。これは大きな足跡を残した科学者のお墓を詣でることを通して、その科学者の生涯、特に功績や人柄を偲ぶことをテーマとしている。このところ20世紀初頭に起きた物理学革命に係わった人々を次々と取り上げている。前回のシュレディンガーに続いて、今回はハイゼンベルクである。

 ともに量子力学の創成を担った2人だ。ハイゼンベルクが先行し、シュレディンガーがあとを追った。ハイゼンベルクが原子などのミクロ世界にそれまでの物理学は当てはまらず、新しい概念と方程式が必要だとその道を切り開き、シュレディンガーがその概念を実用的な方程式に具体化した。今回の記事では、そのことだけでなく、ナチス・ドイツでの原爆開発の指導者であった面にもスポットを当てている。併せてウラン核分裂の発見者であったリーゼ・マイトナーにも言及している。
 米国で科学者たちが総力を挙げて原爆を開発したのは、当時ドイツでハイゼンベルクが核分裂エネルギーによる新型爆弾開発に乗り出しているとの噂が引き金になった。彼の能力とドイツの産業力とをもってすれば、必ずや早期に原爆開発に成功するに違いないとの恐怖心が、政治家、軍、科学者たちを駆り立てて、あのマンハッタン計画を創設し、しゃにむに原爆の実現へと総力を挙げさせたのだった。ところがハイゼンベルクを中心とするドイツの科学者たちは、核分裂爆弾なんてものはできるはずがないと早期に諦めて、大規模な開発計画を発動しなかった。ドイツにおけるそんな経緯が分かったのは戦後になってからだった。ハイゼンベルクが消極的だったのは、嫌々ながらナチスに協力させられた事情もあるし、彼の倫理観がそんな大量破壊兵器開発に携わることを許さなかったともいわれている。
 それにつけても思いだしたことがある。「コペンハーゲン」という演劇である。英国の劇作家マイケル・フレインが1998年に創作し、イギリス、次いでアメリカで大ヒットした演劇である。日本でも2001年に国立新劇場の小劇場で上演された。それを私は見たことがあった。ハイゼンベルクが、ドイツ占領下にあったコペンハーゲンで1941年、ニールス・ボーアの自宅を訪ねた。その一夜の会談を再現した劇である。ニールス・ボーアは、量子力学の創成時代に、ハイゼンベルクを指導する立場にあった先生だ。ボーアは、1939年核分裂の発見直後、たまたま米国訪問の機会があり、米国にいたフェルミ、アインシュタインら亡命科学者たち、米国の科学者たちに、この発見の衝撃を伝えた。それがアインシュタインのルーズベルト大統領への手紙を経て、マンハッタン計画始動の発端となったのだった。その後も米国を訪れ、原爆開発の状況を知る立場にあった。
  上記の演劇で、ハイゼンベルクがボーアを訪ねた目的は、米国において原爆の開発が進められているかどうか、着手しているならばその進行状況などを探るためであった。登場人物は3人。上記2人とボーア夫人。量子力学の創成期のことも話し合われた。その頃2人の間に競合関係もあった。ハイゼンベルクの着想した不確定性原理の発表に、ボーアは待ったをかけ、それを拡張した「相補性原理」を提案した。師弟関係を超えて競い合ったのだった。この会談ではその時代を想い起こし、激しく意見が対立する場面もあった。それをボーア夫人がやんわりとたしなめたりして、3人の会話が劇的に進行するのだった。
 よくぞこのような知的内容をこなしながら、緊迫したドラマを仕立てたものだと観ていて感心した。連合国側(米国が始めたものに英国の科学者たちも加わった)での原爆開発の状況をボーアは知っていながら、のらりくらりとはぐらかし、結局ハイゼンベルクは何もつかめずに退去したのだった。もしここでボーアが実情を知らせていたら、別の展開があったかも知れない。このハイゼンベルク・ボーア会談は実際にあったらしいが、その内容はその後も両者は明かしておらず、演劇は全くフィクションである。
 日本上演では、ボーア役を江守徹がやり、ハイゼンベルクとボーア夫人を今井明彦、新井純が演じた。2007年にも同じ劇場で上演されている。ボーア役は村井国夫に代わっていた。
 この演劇を見ての感想を、ホームページに書いていた。すっかり忘れていた。「演劇 コペンハーゲン」でグーグル検索したら、誰かが劇評を書いていた。それを見たら、何のことはない、自分だった。以下のリンクでごらんになってください。これを書いた頃(退職のあと)はあれこれの演劇やミュージカル、コンサートなどを鑑賞に行き、その記録をホームページに書いていたのだった。


 演劇の作家マイケル・フレインのシナリオは、詳細な作者後書きとともに出版されている。興味があればアマゾンで以下を検索してください。

マイケル・フレイン「 コペンハーゲン」 (ハヤカワ演劇文庫27)

2015年8月5日水曜日

軽水炉使用済み燃料からプルトニウム原爆ができるか 2.  ー 米 政 府 の 公 式 発 表 ー

 原子炉級プルトニウムを使って米国が実際の核実験を行ったことは、さまざまな文献で言及されており、その信憑性が高いと、前回書いたが、その公式発表ペーパーを入手した。

Additional Information Concerning Underground Nuclear Weapon Test of Reactor-Grade Plutonium
U.S. Department of Energy, Office of the Press Secretary, Washington, DC 20585

で、ネット上に公開されている。以下である。 公開の日付は文書にはないが、 引用文献をみると、June 27, 1994であるようだ。

以下に日本訳を示す。

『原子炉級プルトニウムの地下核兵器実験についての追加情報』
アメリカエネルギー省・報道官室(June 27, 1994)

 エネルギー省は、原子級プルトニウムを核爆発物に用いて、1962年にネヴァダ試験場で行われた地下核実験について、追加的情報を公開する。

【主要点】
・兵器級プルトニウムの代わりに、原子炉級プルトニウムを核爆発物として用いた核実験は、1962年に成功裡に行われた。
・爆発出力は20キロトンを下回った。

【背景説明】
・この試験は、原子炉級プルトニウムを核爆発性物質として用いる可能性についての核設計情報を取得するため行われた。
・この試験により、原子炉級プルトニウムが核爆発物として使用できることが確認された。この事実は、1977年7月に機密解除(公開)された。
・この追加情報を公開するのは、商用発電炉の使用済み核燃料を再処理して分離される原子炉級プルトニウムに関連する核拡散問題に公衆の注意を喚起することが重要であると考えられるからである。
・合衆国は広汎な核実験データを保持しており、核兵器開発の今後の可能性に十分な見通しを持っている。これらの情報と今回公表する低出力試験結果とを結びつけて予測すると、原子炉級プルトニウムで核兵器が製造できることは明らかである。
・1970年以前には、プルトニウムの等級を定義するのに二つの術語しかなかった。兵器級(Pu240の含有率7%以下)と原子炉級(Pu240の含有率7%以上)であった。1970年代の初頭、核燃料級(約7%から19%のPu240)という用語が用いられるようになり、原子炉級は19%超のPu240を含有するものに用いるよう変えられた。

【公表による社会的便益】
・エネルギー省長官の情報公開方針の一部として、エネルギー省は原子炉級プルトニウムを用いて1962年に行われた地下核実験に追加情報を公開した。これにより、アメリカの公衆は、使用済み核燃料再処理により分離可能な原子炉級プルトニウムの不拡散についての議論にとって重要な情報を持つことになる。また国際的な保障措置の重要性に気づくことだろう。この情報を開示することは、他国が同様な試験情報を持つなら、それを公開するよう促すことだろう。
・本情報は、国際社会において分離された原子炉級プルトニウムの不拡散管理体制をどうするかを決めるのに、有用であろう。また国際的な保障措置について要請される事項を確定し、補強するのに有用であろう。
・この情報は原子炉級プルトニウムが核兵器に用いられる潜在的可能性について他の場でなされている間違った主張を正すことになろう。

【主たる利害関係者】
・公衆。核不拡散問題を盛んに議論している公益グループにとって本情報は有用であろう。
・公益機関。利害関係者としては、環境、安全、保健グループ、歴史家、市民活動家、研究者、科学者、産業界のひとびと、及び州政府連邦政府の人々が含まれる。核実験関連の活動を監視することに興味を持つ人々には、原子炉級プルトニウムで行われた核実験に関する追加情報をえることになろう。この情報に興味を示している公共利益機関としては以下のものがある(省略、本文参照)。
・環境問題活動家。プルトニウム関連の活動について環境監視を行っている人々にとっては、原子炉級プルトニウムの利用について付加的な情報を得ることになる。それらの公益機関として以下のものがある(省略)。

【質疑応答】
Q. 核実験の正確な核爆発出力をなぜ公開しないのか。
A. どれだけの爆発力があったかを公表することは、核拡散を目論むものに有益な情報を与えることになるということで、公表しないことになった。

Q. 核実験に使われた原子炉級プルトニウムの量は?
A. この場合、特定の情報は核拡散を目論むものの利益になるので、公表できない。

Q. 米国の核兵器に使われているプルトニウムの等級は?
A. 米国は兵器級プルトニウムを使っている。7%以下のプルトニウム240を含有すると定義されているものだ。

Q.核兵器に使う場合、兵器級プルトニウムが原子炉級プルトニウムより優れているのはなぜか。
A. 原子炉級プルトニウムは、かなり放射能が強く、兵器に使う場合ややこしくなる。

Q. この核実験が公開され通り成功なら、米国はなぜ原子炉級プルトニウムを核兵器に使わないのか。
A. 原子炉級プルトニウムは、かなり放射能が強いので、兵器の設計、製造、備蓄が複雑になる。原子炉級プルトニウムを使うと、兵器の組み立て工員の放射線被曝を軽減するため、遠隔操作装置を使うことになり、大きな出費が必要となる。兵器に原子炉級プルトニウムを使うと、軍の保守要員の放射線被曝も心配しなければならなくなる。いずれにせよ、法律(Public Law 94-415)により、ライセンスを受けた設備、すなわち商用炉、で生産されたプルトニウムを軍事用に転用することが禁じられている。

Q. 実験に使われた原子炉級プルトニウムはどこから供給されたのか。
A. プルトニウムは1958年米英相互防衛協定にもとづき、英国から供給された。

Q. この核実験に実際に使われたプルトニウムの同位体成分比は?
A. 特定の核兵器、核実験に使われたプルトニウムの同位体成分比は公開しないことになっている。情報公開することで核拡散を目論むものを助けることになる。それを防止するためだ。

【以上】

 少し、追加的コメントをしておこう。
・前回書いた今井隆吉が軍縮局に招かれ、説明を受けたのは、この内容だったと推定される。核物質が英国から供給された、との情報も符合する。今井はそれを信じなかった、というか、信じたくなかったので、この内容をそのまま、我が国関係者に伝えることなく、むしろ、正反対の結論を公表したのであった(前回分参照)。

・前回文献を引用し、「原子炉級プルトニウムの原爆実験が1962年に行われたことが、1977年に開示され、一般新聞 LATimes で報道されたこと、エネルギー省の公開ペーパーにもあるとの言及があるが、その資料は入手できずにいる」と書いたが、その公開ペーパーが、上記訳出のものであった。